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なんでもない地元の話。

この年末年始、なくしたもの。
それは我慢して育てたはずのくびれさん。
年末年始のお腹は膨らむ一方だった。少し後ろを見ると、「おっと腰にも来てるぞ」ってな感じ。帰省や旅行のときはそういうことを一切気にしないことにしている。
帰京したら不思議なスイッチが入るから。。。

なんでくびれがなくなるかはハッピーな理由しかない。ひたすら落ち着く場所に囲まれて、大好きな人たちに会い、そこでしか食べられないものを食べる時間が多いから。
なんてハッピーなんだぁぁぁ!
12時間ずっと食べ続けたりもしていた。
そりゃなくなるよくびれさん。
それでもね、時間が足りなかったのよ。

年齢を重ねるたび、帰省したときに会う人というのはとても限られてくる。家族ができたり、環境や住む場所が変わったりして。お互い遠慮して連絡しなかったりもあるのかもね。だからほんとは時間がもっとあったら会いたい人はたくさんいる。

その中でも今回会ったのは
直接お礼を言いたい人たちだった。

不意に手紙や贈り物をなんでもない日に送ってくれたりして。しかもそれが神戸にしかないものだったりする。

「『神戸』という文字を見ると
映里香を思い出すから」

なんて嬉しいこと言って送ってくれる友人もいたりして。離れていたり、あまり連絡を取らないと、思い出してくれるだけでも有難いのになぁ。
私の中で直接会って話したい気持ちはピークに達していた。

2、3年ぶりに会っても、時間だけが過ぎて変わらない関係がそこにある。だからかな、年齢も変わってないとどこかで思ってしまう。
それを小学校の友達に話すと、「私も!」「やんなぁ!」で話が止まらなくなった。地元の友達にはなんでも思ったことを思った時に言い出せる。LINEでも。全部受け止めてくれて、素直に明るく返してくれる安心感があるから。かっこつけることもないし、たぶん全部お見通しだから無駄な遠慮も必要ない。

昨年ぶち当たった壁について、
赤裸々に話してみた。

私のことを理解してくれた上で、代わりに怒ってくれて、一緒に悩んでくれて、お互い笑い合える。ここにいるこの人たちは永遠に味方だとすら思える時間だった。
それはね、たまに会うからかもしれない。私と毎日居たら呆れるかもしれない。それでもこの人たちは多分ずっと笑ってくれると思った。

なかなか会えない友達のいる場所、そんな帰る場所があることに、、、あ、いや、なんだか90年代の歌詞みたいになったけど、出逢えたことからすべてが始まった、、、あ、、、平成の名曲が出ちゃったよ。
青春を共に生き抜いた友達と
今も青春みたいな感覚なんだろうなぁ。

神戸の餃子は味噌ダレ

そんな地元、神戸の街を歩いてるだけで泣きそうになることがある。「懐かしい」ということだけじゃなくて、「なんでここを歩くのが私の日常じゃないんだぁぁぁ!」って考え出すとなんかぐっとくるのよ。それくらい慣れ親しんだ景色があまりにも多すぎる。それって観光地とかじゃないから人に伝わらないしね。
東京に10年住んでも、工事が多くて慣れたころには景色や場所が移り変わっていく。特定の場所で仕事をしているわけじゃないから、なかなか土地に愛着も湧きにくいってのもあるかもしれない。

通い慣れた場所にはビル風とともにぶふぁっと蘇る思い出があったりする。昔はその場所が日常だった。電車からの風景も目に焼き付ける必要もなかった。でも今では神戸の景色、電車、人、お店が私の日常じゃなぁぁぁい!もう一度行きたいと思っても、次いつ行けるのかいつ会えるのかわからない。なんかそんなことを思うとあの頃の通りすがりの目線はなくて、その光景を記憶に残したくなる自分がいる。

散々女々しいこと言ってきたけど、住んでないから味わえる「懐かしさ」っていう特権とも言えるんだろなぁ。「懐かしむ」って代わりのない「ときめきの瞬間」でもあって、それをなくしたくない。
どないやねん!って感じね。
結局ないものねだりなんだよなぁ。
かつての日常が私の中でこんなにも色褪せることなく存在してるんだねーって感じる場所が地元なんだろう。それを深緑のようなやさしい濃さにしてくれるのが友達。

この年末年始は2年分の話、主に「よんなな」について地元の友達に話した。「楽しんでる映里香が見れたらそれだけで嬉しい」と言ってくれた先輩、心配しないでいてくれる友人、くだらない話で笑い合える仲間、そんな人たちと会って話せたことで、今年の想いがより明るくなった気がする。ありがとう。

とまあ、神戸でこれだけ食べて膨らんだお腹は東京に戻ってくると萎んでしまった。
(腰と下半身は簡単に戻らないから、そこは汗かいて引き締めます。てへ)
帰京すると食欲がなくなるという不思議なスイッチが入る。
なんでかっていうと、基本的に一人だからということと、仕事スイッチなんだろなぁ。
友達と気兼ねなく食べたいから普段食べない、ということを繰り返していると一人の時にあまり食欲が湧かないというスイッチがいつの間にか入るようになった。

ってことは、それだけ東京でも会って話して楽しめる友達がいるってことなんだな。このご時世、不意にそんなことが本気で心に沁みたりする。
壁にぶち当たった時、周りを見てみた。そしたら手本になるような素敵な人たちばっかりだった。

人の支えがないと生きられない私だけど、大好きな人たちを大切にするために今年は特に想いを形にしていこうと思う。
かっこつけた言葉じゃなく、噛んで噛んで噛み残った素直な想いを手渡しで人に伝えられるように。

なんでもないことを書いただけですが、こんなふうに生きてます。今年も精一杯生きようと思います。

2022年もどうぞよろしくお願い致しますっ!!!

読んでいただき、ありがとうございます! 子どもの頃の「発見の冒険」みたいなのを 文章の中だけは自由に大切にしたくて、 名前をひらがな表記にしました。 サポートしていただけると とっても励みになります。