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「生きている」のと「ただ死んでいないだけ」は全く異なる

人生の先輩であり親友であり、社会人になってからおそらく最もプライベートを共に過ごしたカズさんが死んだ。死因は心筋梗塞だった。カズさんが30歳になったばかりの出来事だった。
本来であれば「亡くなった」と書くべきかもしれない。ただ、カズさんの場合はあえて「死ぬ」という表現を使いたい。その理由は後述する。

カズさんとの出会いは、僕がまだ大学4年生の2012年8〜9月頃のことだった。当時僕をかわいがってくれていた社会人2年目の大学の先輩(Mさん)が紹介してくれたのが、Mさんの会社の同期のカズさんだった。

二人は誰もが知る国内大手メーカーに勤めていた。僕はMさんとはプライベートで遊ぶ機会が多々あったが、たまたまその会社の同期で「浅草に集まって花火をしよう」という話が出たらしく、Mさんは部外者同然の現役大学生である僕をその会に誘ってくれた。

たしか、その会には10〜15人ほどの男女が集まっていた。その中の一人がカズさんだった。カズさんは、他の人たちと一人だけ纏っている空気感が違った。他の同期の方々よりも冷静で、落ち着いていて、どこか達観しているような表情と口調で年下の僕に優しく接してくれた。といってもカズさんは僕と同じ1989年生まれだったし、早生まれのカズさんと5月生まれの僕は2〜3ヶ月ほどしか誕生日は違わなかった。

その日、僕はカズさんとTwitterで相互フォローになった。どういう流れでそうなったかは覚えていない。ただ、この相互フォローが僕とカズさんの人生を変えたことは言うまでもない。

その後、僕は晴れて都内のIT企業に滑り込みで新卒入社し、辛くもあり楽しくもある社会人1年目を過ごしていた。カズさんとはその花火の会から1年ほど会う機会もなく一切連絡も取っていなかったが、僕が「会社員」という肩書きに慣れてきた夏頃にたまたま開いたTwitterで久しぶりにカズさんのツイートが目に留まった。
「あれから1年くらい経ったのか……」と思ったのも束の間、僕はカズさんのツイートに「今度飲みに行きましょう」と軽いノリで、半分冗談でリプライを送っていた。

それから1ヶ月ほど経った頃だった。「ごめん、返信するの忘れてた」とカズさんからリプライが届いた。その1週間後、僕たちは渋谷のイタリアンに飲みに行くことになった。1年ぶりに会ったカズさんと話せば話すほど、お互いの趣味や価値観が似ていることに気付いた。「自宅にバーカウンターを作りたい」という僕の発言にも共感してくれ、結果的に僕よりも先にカズさんがそれを実現したこともあった。

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カズさんと特に話が合ったのはグルメ関連の話題だった。僕もカズさんも美味しいものには目がないほど食事にこだわりを持っていて、それから毎週のように飲みに行った。お互いにおすすめの飲食店を紹介し合う仲になり、僕たちは当時たまたま二人とも東横線ユーザーだったこともあって、特に渋谷〜中目黒エリア、そして武蔵小杉エリアは二人で数十軒を食べ歩いた。ヒュージグループのお店にはよく行ったし、カズさんと僕が特に気に入っていたのは武蔵小杉のナチュラだった。

そうやってお互いの距離が縮まっていく過程で、グルメの話はもちろん、男子高校生レベルのくだらない話もたくさんした。その流れで立ち上げたのが「不死鳥の騎士団」というLINEグループだった。
「このLINEグループには、僕たちとバイブスが合う男性メンバーを追加していこう」ということだけ決めた。一種のコミュニティだった。

2013年の12月29日に立ち上がった「不死鳥の騎士団」には、今では僕たちを含めて8人の男性が入っている。バイブスが合う男性に僕が出会うたびに声をかけていた関係で、僕は各メンバーと会ったことがあるが、メンバー同士では会ったことがないということもザラだし、カズさんと会ったことが無いメンバーも居る。
メンバーの中には会社経営者や大手金融機関の営業担当のほか、広告代理店の部長クラスの方までそこそこのキャリアの方々が集まったが、基本的には僕よりも年上の方々ばかりだ。

そしてこの「不死鳥の騎士団」で一番話題を提供してくれたのがカズさんだった。カズさんは仕事もプライベートも話題の振れ幅が大きく、下世話から資産運用まで日常のさまざまな出来事を共有してくれていた。
そうやって、僕たちはオンラインで毎日のように(というかLINEグループを立ち上げてから本当に毎日)情報交換を行い、タイミングが合う時に集まれるメンバーで集まって飲みに行く関係を構築していった。

「不死鳥の騎士団」のスタンスは「来るもの拒まず去るもの追わず」だ。そのため、今のメンバーに落ち着くまでにさまざまなメンバーの出入りがあった。その中の一人が僕の大学時代の友人、T君だ。

T君は、当時原宿勤務だったにも関わらず三浦海岸で一人暮らしをしていた時期がある。僕は夏になると海沿いに住居を構えるT君の家に遊びに行ったし、もちろんその時はカズさんも一緒だった。男3人で酒を片手に、ここでもたくさんくだらない話をした。カズさんとは本当にそのくらい長い間、プライベートの時間を共に過ごしていた。

カズさんはその後、突然「結婚式を開くことになったから出席してくれ」と言ってきた。僕はカズさんに彼女が居たことも、もちろん婚約者が居たことも知らなかった。カズさんはそのくらい自由に伸び伸びとプライベートを過ごしていたし、これだけ一緒に過ごした僕に対して事後報告であるところもカズさんらしいと思ったから、そこまで驚くことは無かった。

でも、ただ一つ驚きを隠せないことがあった。それは、カズさんの地元である福島県で行われる100人規模の結婚式で、この僕を友人代表のスピーチに選んでくれたことである。僕にとって人前で話すことは本当に苦手なことの一つだったけれど、カズさんのためならと引き受けた。この一件で、僕たちの信頼関係はより強固なものとなった。

カズさんは結婚してからも僕とよく飲みに行ってくれたし、2018年11月に引っ越したばかりの僕の今の住居に真っ先に遊びに来てくれたのもカズさんだった。この時も近所のイタリアンに二人で食事に行き、ワインを片手にお互いの近況を報告し合った。2013年9月に渋谷のイタリアンで1年ぶりに再会したあの日と変わらず、僕たちはいろんな話をしたし、「不死鳥の騎士団」ではカズさんをはじめ毎日誰かが必ず話題を提供してくれた。
そんな日常がずっと続くと思っていた。

そして今年の4月1日。早朝にまたカズさんが「不死鳥の騎士団」でおもしろい話題を提供してくれた。それに対して僕は「www」とだけ返信したが、このやりとり以来、急にカズさんからの連絡が途絶えた。連絡が途絶えるというよりも「不死鳥の騎士団」への投稿が一切なくなった、という表現の方が正しいのかもしれない。
1週間経っても2週間経っても、8人が所属するLINEグループで既読は「6」のままだった。カズさんだけが未読のままだということはすぐに分かった。

3週間経ってもカズさんからの投稿は無いし、既読の数も「6」のままだ。その間、僕は何度も「不死鳥の騎士団」の中で「4月1日以降カズさんからのレスが無いが、大丈夫だろうか」と不安を抱いていることをメンバーに伝えていた。

そして4月28日。やはり様子がおかしいと思った僕は、カズさんと僕を繋いでくれたMさんに、6年半ぶりにLINEを送った。僕は大学を卒業して以来カズさんとばかり遊ぶようになり、MさんはMさんで新たな交友関係を広げていたので、Mさんと僕は僕が大学を卒業してから一切連絡を取らなくなっていた。

そんなMさんから返ってきたのは、「カズさん、4/1に亡くなったんだよ」の一言だった。それを読んだ瞬間、全身鳥肌が立って頭の中が真っ白になった。言葉がなにも出てこなかった。現実を受け入れられなかった。
たぶんそれから3分ほど経った頃だったと思う。僕の目からは一気に涙が溢れ出した。堪えられなかった。ちなみに今、このnoteも泣きながら書いている。

死因は心筋梗塞とのことだった。たしかにカズさんは飲酒もタバコもそこそこやっていたが、まさかこんな結末を迎えるなんて誰が想像していただろうか。

カズさんとはお互いに友人を紹介し合っていたものの、結局は僕とカズさん二人の関係に戻ってしまう。だから、カズさんのご家族や友人は僕とカズさんが今でも濃い関係を築いていたことを知らなかったのかもしれない。あるいは僕を悲しませたくないと思ったのだろうか。いずれにせよ、僕は誰からもカズさんが死んだことについて連絡を受けることができなかった。

心の底から悔しさが込み上げてきた。どうしてよりによってカズさんなんだろう。どうして僕はカズさんが死んだことを1ヶ月間知ることができなかったんだろう。どうして葬式に出られなかったんだろう。
「むなしい」とか「切ない」とか「儚い」とか、いろんな表現が今の状況に当てはまると思う。でも最もしっくり来るのは「悔しい」だ。もっとカズさんといろんな飲食店に一緒に行きたかったし、僕がもしも結婚式を挙げる時は絶対にカズさんに友人代表のスピーチを頼もうと思っていた。
「後悔」という言葉の意味を、初めて理解できた気がした。

あまりにも突然で、あまりにも早すぎる死だ。

カズさんと僕との心の距離は誰よりも近かった。だからこそ、他人行儀な「亡くなる」という表現は僕たちには合わないし、たぶんカズさんも「死ぬ」という表現の方が合っていると思うはずだ。

カズさんは、会社では30人の部下を抱えていた、いわゆるエリートコースを歩んでいた方だ。もちろん給与も良いし、それだけではなく資産運用もイケていた。プライベートでは家庭を持ち、子供も2人目が生まれたばかりだっただけではなくて、”遊び”に関しても手を抜かなかった。

でも、死んだらそれまでだ。もちろん家庭を持っていたカズさんにとっては家族に遺せるものもあるかもしれない。ただ、それまで築いてきた関係やそれまで貯めてきたもの全てが、彼自身にとって「それまで」になることは否定できない。

死は、決して他人ごとじゃない。「まだ20代だから」「まだ健康診断で一度も引っかかったことがないから」なんて関係ない。だからこそ、今を精一杯生きなきゃいけない。
「生きている」のと「ただ死んでいないだけ」は全く違う。人間として生を受けたからには生きなければならない。

会いたい人には会える時に会っておくべきだし、食べたいものは食べたい時に食べておくべきだし、行きたい場所は行きたい時に行っておくべきだし、欲しいものは欲しい時に手に入れるべきだ。

僕はカズさんが生きるはずだった残りの数十年間を、カズさんの分まで生きようと思う。

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