感情がない作品はつまらない気がする
世の中に、“アート作品”と呼ばれるものは無限にあって、一生かけてもすべてを把握するのは難しいと思う。
でも、心に残る本や、何百年も後世に語り継がれている絵画はいくつか存在する。たとえば、絵画マニアではなくても、画家・ピカソの名前は聞いたことがあるんじゃないかな?
それらの作品は、ほかと比べて何が違うんだろう。
ここで、みんなにひとつ聞きたいことがある。以下の文章で、興味をそそられるのはどっち?
今日は、家族と紅葉を見に行きました。久しぶりの遠出だったので、楽しかったです。
今日は、大好きな家族と3ヶ月前から計画していた紅葉を見に行きました。今まで弟の練習試合や父の出張があり、久しぶりの遠出だったので、前日の夜から眠れないくらいワクワクしていました。
おそらく、2だと思う。
1との違いは、「書き手の経験や感情がのせられているかどうか」。
紅葉に行く計画を3ヶ月前から立てていたこと、弟の練習試合やお父さんの出張がかぶって忙しいことが、2では具体的に書かれているよね。
だから人は、オンリーワン要素があって、人の感情や体験が見えるような作品に共感し、興味をよりそそられる、気がする。
先日、そんな作品に出合って衝撃をうけたので、みんなに知ってほしい!
Haruto Kataokaによる参加型現代ダンスショー『“art of dance”「」- the making -』。
長崎県でダンスを中心に、“アーティスト”として活動しているHarutoさん。今回のイベントは彼の完全招待制で、私はご縁があってたまたま誘ってもらった。
一言で感想をのべると、「このアートは、今この瞬間の、彼にしかつくられない、彼だけの作品だ」と感じた!
現場の空気感は、文章で表現するのは難しくて、そこにいた人にしかわからないと思う。
でも少しだけわかってほしいから、私の感情をざっとまとめてみるよ。
完全に"Haruto World"に引き込まれていた。
何より、「また見たい」と思ったんだ。
まんまとワナに引っかかっている気もするけれど、オリジナルの世界観を創り出しているのは、本当にすごい。
以前、「ダンスをするときの振り付けは、誰かの作品を参考にしているのですか?」と彼に尋ねたことがある。
「僕のダンスに決まりきった振り付けはありません。日常のすべて、人生が、ダンスで表現されるんです」。
予測不能で、即興で踊るのがHarutoさんのダンスなんだな、と。
もちろん、事前に構想は考えるけれど、同じものは二度とできないんだって。
イベントが終わったとき、本人も何をしたのか、詳しくは覚えていないと言った。
彼が創るものは、感情がふんだんにのせられた、誰にもマネできない作品だった。
そんな作品が、後世まで語り継がれてオンリーワンの価値がうまれるのだと思う。
念のため言っておくけれど、創り手の感情や経験がのせられていないアート作品でも、ステキなものはもちろんある。数字としてはいい結果がでるかもしれない。
でも、個人的には、その場限りで継続して重宝されない気がする。(あくまで私の意見)。
普段、わたしが書いている文章だって、同じ。
感情がのせられていない、きちんとした読みものって綺麗だけれど、「また読みたい」と思わないんだよねぇ。
絵画、音楽、文章、ダンス……アートって何にでも、どうにでもなって、面白いな。
私も、Harutoさんようなオンリーワンの表現者になるんだ!
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