「貨幣の信用」と「貨幣の価値」9 ―嘘が吐けない関係―
結局、政府と国民が「対等」でなければ「より強固な貨幣の信用」は誕生しません。
為政者が名君であれば「租税貨幣論」からの「貨幣の信用」であっても問題はないのでしょうが。
さて、では「より強固な貨幣の信用」は可能なのか?
これは逆説的に、「政府と国民」が「対等な関係」であればよいわけです。
しかし、どうやって対等性を成立させることができるのか?
一つの手段として「民主主義による議会政治」という形態が既に試みられます。
しかし、これは不完全です。
確かに、民主的議会政治により政府と国民が対等になるための努力は行われています。かつての君主政治よりも対等ではあるのでしょう。
ですが、例え民主的に選出されたとしても、政治家という職には国民に不利益を働き、自分に利益を誘導する余地があります。
現実、我が国の政治家が「貨幣の信用の確立、価値の交換を正当に行う」と宣言したとして信じるに足りうるでしょうか?
今は、「過去よりマシ」というだけで、政府と国民が対等とは言えません。
権力関係での対等な関係の構築は不可能に近い手段です。
では、どうやって対等な関係を構築するのか?
さて、世の中には数字は嘘を吐かないという言葉があります。
100という数字は政治家であろうと、民間であろうと100という数字で共通しています。
そんな共通認識がある中、もし政府が対等な貨幣の価値の交換を「行わない」ということがあるとしたら?
それは政府がこの「100」という数字を「50だ!」と「嘘」を主張して「50の数字を国民に無理やり受け取らせる」ことができる、ということです。
この「政府が一方的に数字において『嘘』を吐くことができる」状況が「対等ではない」と言えるでしょう。
そして、政府の思惑一つで100を50という「嘘」を国民に強制できる状況が「貨幣の信用」を脆弱なものにしているわけです。
これは金本位のところで説明しましたね。
逆説的に「100」を「50である」と「嘘を吐けない」状況が構築できれば「貨幣の信用」はより強固である、と言えるでしょう。
果たして「数字上嘘を吐くことができない」ということはどうやって成立させることができるか?
その説明は次回以降で。
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