「好き」を守りながら歩く

趣味は読書ですと。ありがちだが、すぐに答えることができる。

しかし、読書好きを公言していても、なかなか文字が追えず「積読」が発生してしまうことがある。

平時であれば、私にとって「積読」はたいてい一時的に起こるものである。本が好きな人の中には、「未読の本を持っておきたい」「本があると安心する」といういかにも本好きな「常時積読」の理由を持つ人もいると思うが、私はなんとなく「読んでいない本」があるとそわそわしてしまうから、あまり積むことはない。

私が積読をするということは、単に「なかなか文字を追えないから」「読書をする気が起きないから」ということだ。そういう時は、どんなに発売を待望していた本でも、癖に刺さりそうな題材でも、文字を摂取できない。

そういう時はだいたい時間がなく、疲れている。
そういう時に私は自分の「好き」を疑ってしまうのである。

「好き」なのに、できないことがあるものか、と。

*

そういえば仕事で「好き」を疑ったことがあったことを思い出した。

旅行代理店で働いていて、現在はコロナ禍でなかなか出勤できないのだが、
当時新人だった頃、先輩に言われた言葉がある。

「好きなものを仕事にするってつらいこともあるよ。」

博識で物知りで、とにかく旅行が好きな先輩がそう言っていた。心の中で「ふぅん」と受け流してしまったのは、話の本題の「呪文のような国の旅行話」の方に当時は興味があったからだ。

それに「旅行好きな旅行会社社員」がどうやったら旅行が嫌いになるのかがいまいち想像できなかった。しかし今の私は話の流れを止めてでも、「その好きなことを仕事にしてどう辛かったんですか。」と胸倉をつかんで聞きたい。それは答えが見当もつかないからではなく、ある程度答えを持っていて、その答え合わせをしてみたい、と思うからだ。

好きなことを仕事にしたら、辛いこともある。小説家であったり、画家であれば、話はわかる。(ような気がする)そもそもプライベートで楽しんでいたことを仕事にしているので、仕事になることで、自分の書きたいことと違うことをやることになったり、生活が懸かっているというプレッシャーから、好きだったことが嫌いになってしまう、といったことはあるのかもしれない。

でも、旅行が好きな旅行会社社員はどうだろうか。確かに仕事が辛いことはあるだろうが、好きなことをお客様に伝えればいいのである。別に好きな旅行先にいけなくなるとか、プライベートの旅行先が限定されるとか、そんなことはもちろんないのだ。だから、旅行が嫌いになる、もしくは「仕事が辛くなったのは、旅行が好きなことが原因」なんてことはあるのだろうか、と少し考えてみたが、回答ができず、セルフQ&Aは成立しなかった。

しかしなんとなくの「A」は、働き続けるとなんとなく分かって来た。

例えば、世界各国を飛び回り旅行経験国50か国以上の社員と自分を比べたり、旅行慣れしたお客様へのご案内時に自分の知識がおぼつかないと気づいてしまった時に感じてしまう感情だ。

「好き」なのに、「好き」と主張していいのだろうか・・?

そういう時に自分の「好き」を見失う。「好き」という感情は主観的なもので比べるものではない。ただ自分が癒されるもの、心地よいものを「好き」と主張できる。だから、50か国海外旅行に行ったことがある人と、2か国行ったことがある人、どちらも海外旅行が好きと主張できるはずだ。

しかしそれを仕事にするとその指標がぶれることがある。

それは会社にいる以上、すべての所作に評価がつく。旅行先への深い知識、お客様へインフォームするときの熱意、「好き」という気持ちがあればそれらを高めることはたやすいのだと思う。

しかし、「好き」という気持ちは技術や経験を高めるための着火剤でしかない。「好きという気持ち」と「技術・経験」は必ずしもイコールではないのに、イコールだと思い込んでしまい、足りない技術や経験に気づいてしまうと自分の「好き」を疑ってしまうような節が、昔はあった。

このコロナ禍、物語に触れる事、行ったことのある旅行先や未来に行きたい旅行先に思いをはせることが、私を救った。たしか「想像上ではどこへだって旅へ行ける」も件の先輩の言葉だったような。たしかにそうだ。どこにも行けないコロナ禍も、想像上で物語の世界や現実の旅行先にいくことができた。

とはいえ、コロナが収まって、またあわただしい日々が始まるだろう。「忙しい」「給料少なくてやってられない」「ほんと人間関係無理」とか愚痴が駄々洩れつつも、一瞬やってくる喜びを原動力として働き続けている日々はなんだかんだ賑やかで、趣味を置いてけぼりにすることもあるかもしれない。博識な後輩や同僚、お客さんと出会い、自分の知識や経験の量に自信を失い、自らの好奇心が弱弱しいものだったと感じることもあるだろう。そんな日々に疲弊し、以前のように、たくさん文字が読めなくなることも、あるんだと思う。これからも、様々な状況下で好きを見失いがちになるのかもしれない。

それでも、「好き」はいつでも私の傍にいて、誰にも奪われるものでもないと覚えていたいのだ。

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