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blaseになるということ ~いまある日常を理解する~

あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いいたします。
社会学、人類学系のコンテンツを今年もたくさんアップしていくのでぜひ遊びに来てくださいね。

今日は僕が社会学人類学が好きになったきっかけの難しいテーマの文章を僕なりに解釈して日常に結び付けてみます。


イントロ

ゲオルグ・ジンメル、「大都市と精神生活」より

Just as an immoderately sensuous life makes one blase becuase it stimulates the nerves to their utmost reactivity until they finally can no longer produce any reaction at all, so, less harmful stimuli. 
むやみやたらに人間の感覚に訴えかけてくる(大都市)生活は人々を関心のない人間(blase)にしてしまう。なぜなら神経が受け取りうる最大限まで刺激をあたえてしまい人々はやがてなにのリアクションもできずただただ鈍る。(意訳)

(Simmel, 1903)

ジンメルはドイツの出身の学者で社会学の一つのテーマである人と人との関わり合いについて多く研究し著書を残した学者です。友人に誘われた授業で一発目にその授業に行ってみると教授は課題として授業の最後に「これ読んでリーディングノートとっておいて。来週そのノート使ってディスカッションするから」と言い残し一つのファイルを学校の課題提出サイトにアップロードしました。それがジンメルのThe Metropolis and Mental Life(大都市と精神生活)、上記の引用が含まれている文章ファイルでした。皆さんもよんで思ったと思いますがこれなに言ってんだと思ったと思います(笑)。ぼくも思いました。何なら今でも思っています。彼の言葉はいくら読んでも完璧に理解できるまでにかなり時間がかかってしまいます。まだまだ勉強が必要だと感じますが、この文章が実際の生活に結び付くとなんとこれが素晴らしい文章だと理解できたのです。それを皆さんにも疑似体験してもらいたく、今日は実際に日常にある例をとりながら最終的にはジンメルの考えるblaseとは何かに行きつくために考えていきたい思います。

引用文解釈

「むやみやたらに感覚に訴えかけてくる(大都市)生活」の中の背景設定とマイナスの意味について

ではいったん頑張って僕が意訳した文章の冒頭を見ましょう。「むやみやたらに感覚に訴えかけてくる(大都市)生活」とはなんでしょうか。まずここで僕が現代生活という風に現代という言葉(大都市は英語でmetropolis)が入ってないのに入れたのは、ジンメルが主にタイトルにもなっている、”大都市”という場所を前提に話をしているからです。ということは「感覚にうったえかける」のは何が訴えかけるかというと大都市が訴えかけると捉えることができるでしょう。それではなぜ彼は「むやみやたらに」というあえてマイナスなイメージを読者に与えながら大都市をプレゼンしているのでしょう。ここで少し考えてみてください。なぜ大都市は人にとってマイナスな感覚をあたえるのでしょうか。

Photo taken by Ore

これは箱根の山の麓で撮った写真なのですが皆さんはこのような自然豊かな場所に行くときは何を感じますか?
僕は…
うわぁ空気きれいだな とか
落ち着いてるなぁ とか
ゆったりしてるな とか
考えてそのまま1時間くらいこの場所にいました。
これはジンメルの言う「むやみやたらに感覚に訴えかけてくる」ような生活というよりかは「自然に感覚に訴えかけてくる」ものだとすれば、マイナスなほうはこんな感じでしょう。

Photo taken by Ore

情報量多すぎますよね(笑)。何も考えなくても人との距離が近かったり、他の人はスマホで写真いっぱいとってたり、ぶつかってきたり、変な人いたりとこれは「むやみやたらに」といえますね。なので都会にいると疲れるしちょっと自然豊かなところに行きたいなと考えるのも普通でそれをわかっていてジンメルは表現をしているはずなのです。

「神経が受け取りうる最大限まで刺激をあたえてしまい」:刺激の多い大都会で起こる慣れ

続いて後半の文章についてですが、これはつまり大都会の情報量の多い、何もせずとも勝手に人の感覚を刺激してくる状況に人は慣れ切ってしまっているということです。

大都会に住む方々ばかりではないと思いますが、東京の例を出させてください。東京で生活をしていると続けて満員電車に朝乗る状況が発生するときがあるかと思います。最初はしんどくてなんで押してくるんだとか考えますが気づくと慣れていて地方の友人や家族に「そんな地方の満員電車は満員じゃないよ」とかを言うようになります。自分がそうです。つまり人から(人じゃくても出来事でも良いですが)日常的に刺激を受ける状況=大都会で、そしてある最高潮のラインを超えなくなる、つまり、起こったことがある出来事以上の刺激が無くなるといずれ慣れてしまうということなんです。それが日常的に起こりうるのが大都会ということなのです。

「人々はやがてなにのリアクションもできずただただ鈍る」ということは「関心のない人間(blase)」になるということ

最後にblaseとはなんだろうと思ったかと思います。これは刺激に慣れすぎてしまってただただ何にも反応しない人間になってしまったということです。これは僕の考える例で例外も存在しますが大都会と地方では少し違うことがあります。

地方

  • 何か余ったり、作ったりすると隣人が持ってきてくれる。

  • バス停で待ってると話しかけてくれる。

  • 村の中ですぐ話が広まる。

大都会

  • エレベーターに乗ったとき周りの知らないほかに乗っている乗客と目を合わせることはない。

  • 満員電車で向かい合って立っていることはない。

  • 近所または隣の家の人をあんまり知らない。

  • ぶつかった人に対して謝るが向かい合ってしっかりとはしない。

などなど皆さんも大都会と地方での違いを見つけることができるのではないでしょうか。勿論、これらの事例に対してそうでない場合も多くあり、それらをまとめるとしっかりした新規研究になるのですが、ジンメルの言いたいことはおそらくこのような違いが彼の理論からは見出されるということでしょう。つまり、このようなこととは人が無関心になるということです。刺激に慣れすぎてしまっているがゆえにほかの人に対してblaseな態度をとることが一般的になってしまっているのです。

まとめ:大都会であるということとblaseな態度

blaseな態度が刺激がありまくるせいで、ほかの人たちにも蔓延してお互いがお互いにblaseである状況が形成されてしまいます。これこそが大都会に見られる一状況であるのです。鈍った人間の感覚が大都会を形成する大きな特徴といえるでしょう。
どうでしたか?僕が社会学に興味を持ったきっかけの理論は大都会の状況によく結び付けることができそうです。大都会に住んでいる人そうでない人もぜひジンメルの言う特徴を考えながら人間を観察してみてください。もちろんblaseは装わなければなりません。それが大都会のルールなのですから。


長くなってしまいましたが以上となります!
長い時間お付き合いいただきありがとうございました。
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また日常を観察したくなったらお待ちしてます。

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