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IQ139が語る、幼少期からの教育の影響

世のお母様方。いつも本当にお疲れ様です。子を生むという尊い行為のみならず、愛情を持って子供に接せられている方々には尊敬の念しかございません。さて、皆様は日頃より教育について考えられていると存じますが、いかがでしょうか。私は三ヶ月の集中的な勉強で上智大学に合格しましたが、その要因の一つに、幼少期からの流れがあったと思います。

ニッセイが20代までの一般家庭の男女1155人に実施した「子どもの頃に通っていた習い事」のアンケートでは、1位「水泳」42.9%、2位「書道」32.3%、3位「学習塾」30.5%、4位「音楽教室」26.1%、5位「英会話」15.3%だったという。どれも昔から人気のある、定番の習い事だ。一方、東大家庭教師友の会が東大生202人に実施したアンケートによると、「過去にしていた習い事」(ただし学習塾は除外)によると、1位は同じく「水泳」65.8%で、以下2位「ピアノ」56.4%、3位「英会話」32.2%、4位「習字」25.7%、5位「サッカー」19.3%…と続く。こちらも、どれも定番のものばかりだったが、特筆すべきは東大生の「ピアノ」が、一般家庭のピアノを含む楽器の「音楽教室」に比べて2倍以上だったことだという。         (ダ・ヴィンチニュースより引用)

このデータをご存知でしょうか。私もこの内の水泳とピアノを経験した者として、かつIQ139の人間として、私の学習能力にどのような影響があったのかを幼少期から大学入学に至るまで時系列的にかつ端的に述べさせていただこうかと思います。


①幼少期

 私は4歳の頃にピアノを始め、7歳の時に水泳を始めました。ピアノを始めたからか、小学校に入るまでに、街中に書かれている漢字は勝手に読めるようになるまで知能が発達していました。そのため、小学校に入ってからは、学校の勉強がつまらなく、悪ガキでした。ただ難しい問題も、勉強をしていなくても答えられたため、「賢いね」とよく褒められていたことを覚えています。低学年の間は、特に何にも興味がなかったのですが、仲の良い友達と一緒のタイミングで水泳を始めることとなり、水が苦手だった私も、その子と競い合うようにして成長していきました。今思えば、異常なまでの競争心はあの時に鍛えられたのだと思います。


②小学校高学年~中学卒業まで

 結局その後も勉強自体に楽しさは覚えられませんでした。あまりに勉強しない上に宿題すらしない僕は、長期休みのときは親に叱られっぱなしでした。ですが学校に行くと、いつも学年で一位の点数で、サッカーもしていてクラスの中心の人気者となっていた僕も”ガリ勉”といじられることがありました。ですが私は本当に何も勉強をしていなかったので、とても不思議に思っていました。

 そんな中、親は心配を募らせ、私を塾に入れます。もちろん塾でも宿題もせず、勉強もしませんでした。理由は、「簡単すぎることを強制的にやらされることに違和感を覚えていたから」です。塾でも常に一位争いをしている中の一人でした。普段から勉強していないのは僕だけです。もちろん嘘だとよく言われました。(これは辛かった。)

 塾での成績も良いため、親も塾も中学受験を考え出すようになりました。私としては勉強は大嫌いなのですが、地元は荒れに荒れた中学だったので、せっかく勉強ができるなら私立の賢いところに行かせたかったようです。結果から述べますと、落ちました

「え、賢かったんじゃないの・・・」「なんで落ちたの?」

 理由はすごく簡単。勉強嫌いの度が過ぎていて、受験勉強しないどころか、過去問すら一度も手をつけない状態だったのです。ところがこの体験が、後々私を覚醒させることとなります。

 公立の中学に入学した後、「高校は落ちてもらっちゃ困る」と継続して塾に通わされました。もちろん宿題はしません。それでも常に一番上のクラスだったし、毎回の国語のテストは勉強せずとも満点で常に一位、数学のテストもほぼ満点で一位か二位かでした。どちらも平均点は満点の半分くらいのテストです。普段は勉強していないくせに負けたくないという、変な競争心だけはありました。水泳で培った負けず嫌いが、心のなかに根を張っていました。

 結局、高校の入学テスト時もろくに勉強はしませんでした。バンドを始めていたので、ずーっとドラムばかり叩いていて、家ではドラムを叩く私にお母さんが「勉強しなくていいの!?」と怒鳴る毎日でした。誇張無しです。さすがに塾も高校には受からせたいからということで、生徒を集めて無料の集中講座的なものをやっており、皆仲が良かったので、楽しくていってました。行けば競争心が燃えて、誰よりも問題を解きたくなり、一心不乱に演習していました。結果としては進学校の公立に合格。ちなみに悪ガキの中の一人だったので、内申点は最悪でした。技術家庭や音楽、美術なんかは遊び倒していたので、10段階で2でした。(これも誇張無しです。)私立は特進に合格しました。


③高校入学から高3まで

 彼女の高校が近いからと選んだ高校。もちろん楽しいはずがありませんでした。幼馴染が二人通っていたので、不思議な感覚でしたが、つまらない中に馴染みたくはなく、地元の友達と遊び、バンドに打ち込んでいました。その中で、洋楽がすごい好きだったので英語の勉強を始めたのです。といっても勉強嫌いの私はなんの本も読まず、iPhoneで勉強をすることにしました。方法は至ってシンプル。洋楽を聴きながら、歌詞を見る。それだけです。「英語のまま理解したいんだ」という気持ちが大きく、英語の勉強を始めたので、その方法しか思いつかなかったし、当時の僕からすると一番良い方法でした。通学時間に電車でやるだけですから、一日合計30分程度。すごい楽でした。ちなみに学校の英語のテストはいつも40点程度で、他の科目も一切勉強しなかったため、クラス最下位でした。パーカーを着て学校に行ったり、ただのクソガキだったと思います。

 そんな私でしたが、たまに皆から驚かれていました。なぜなら、例えば古典単語のテストでは、授業開始1分前に勉強してきた友達から単語帳を借り、1分確認するだけで満点を取るというのを繰り返していたり、高2の世界史のテストでは、一学期8点しか取れなかったのを二学期、前日の夜に2時間勉強するだけで80点を取ったりしていたからです。自分でもその才能だけは不思議でした。異常な記憶力とそれなりの理解力があったからです。結局そこにも捨てきれない競争心がありました。古典テストも負けたくなかったり、世界史も先生に「次は絶対大丈夫ですよ」と約束したり、男として負けられないライン的な考えがあったと思います。

 そうして高校2年生の1月頃、模試を受けさせられて、それが3月頃に帰ってきました。校内偏差値で数学は45、国語は55、英語は70でした。東大レベルです。そしてその直前に、たまたま前の席のAさんとの会話でこんなのがあったのです。

A「慶應行こっかな」 私「無理でしょ」 A「私立で3科目だからワンチャンあるかなってwww」 私「え、慶應って3科目で入れるの!?」

 親も受験事情はよく知らないし、私も大学なんて行けないだろうと思い込んで知らなかったので、その時初めて知ったんです、3科目で行けることを。家に帰って大急ぎで調べたら殆どの私立が3科目で驚きました。それと同時に、勉強を決意します。本当に学習習慣がなかった私は塾に入り、一日一時間の英語の勉強を3月から4月まで、他教科は5月から続けることとなります。もちろん時間は足りないし、英語しか興味がなかったので英語ばっかりやっていました。日本史の量に焦ったのは夏休みでしたが、持ち前の記憶力で、なんと模試の判定がこんな感じ。

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 慶應は第一志望の商学部がC判定、文等がB判定。(受験ではD判定が受ける基準)Bは基本的に受かるので安心してました。しかし・・・


④高校卒業から大学入学まで

 予想してなかった事が起こります。家庭崩壊です。細かな情報は出せませんが、両親の関係が悪化、その結果、姉は精神薬依存症になり、私が毎日朝の4時まで監視していました。そして私も不眠症となり、塾で寝る毎日になったのが、12月の頭の話です。受験までほぼ丸3ヶ月。学力は一気下がり、すべての大学に落ちました。悔しさもわかない無力感に襲われる中、浪人を決めます。

 地元を離れ上京して浪人。親友二人も一緒に上京してきたため、遊びっぱなしの生活でした。不眠症も夏まで続きました。

 でもふと12月に思い出したのです。中学受験に落ちたあの日を。大学受験に落ちたあの日を。「大学に行きたい」「過去問を解かなきゃ」「負けたくない」そうして3ヶ月の猛勉強をしました。英語はそんなに下がっていませんでしたが、古典や日本史はひどかったです。大体3ヶ月でどちらも偏差値を15上げました。法律に興味を持った私は法学部を受験することに決めます。結果として上智大学法学部に合格、入学しました。


⑤以上のまとめ

 結論として、私の大学合格は、「根本的な知能(いわゆる地頭)」「競争力」の二点が基盤としてあったと思います。その根底には、幼少期からの音楽教育と、水泳があったことは紛れもない事実だと思えます。

 皆様もお子様にはぜひ、そうしてみてください。「やらせる教育」ではなく「好奇心を育てる教育」であれば、著しい成長が見られると思います。乱文失礼いたしました。


長文ながら最後までお読みいただきありがとうございました!

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