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孤独感に飲み込まれないための考え方

孤独はつらいもの

私が、孤独はつらいな、一人はつらい、と思ったのは高校生の時だったと思う。実家から遠隔の高校に進んだ私は、寮に入ったのだが、ここが私と合わなかった。そこにいた人々には何も罪はない。ただただ私が集団生活で過ごしていくことが苦手だったことにほかならない。個人部屋はなく、24時間同級生に囲まれて過ごすという形式だったが、これが自分にとって良くなかった。私自身は他人といるといろんなことを考えてしまい神経がすり減ってしまうタイプだったのに、いつも周りに他人がいるものだから、疲れてしまった。疲れてしまってもまだ周りにいるので、いつしか人付き合いを避けるようになってしまう一方で、自分の環境を呪い、他人にやさしくできなくなっていく。そんな悪循環の3年間だった。

大学以降も、この孤独感みたいなものはトラウマとなり、孤独は避けたいと強く望むようになった。大学生活、会社と進み家族も持ったが、自分のベースとして、問題意識は強く持ち続けている。時間にして三十年くらい。そして、なんとなくやるべきことが見えてきた。

私が三十年かかってやっと見つけることができたかもしれないことは、おそらくほかの誰かは、今もって見つからず苦しんでいるのかもしれない。明日は孤独がやってくるかもしれないというその怖さを。

孤独を避けたら、また別の苦痛、思ったことも言えずやりかいこともできず、ただただグループに同調し、ついていかなければいけないのかという苦しみ。日本独特の同調圧力は、もしかしたら孤独に対して敏感な日本人の特性の、裏返しなのかもしれない。

孤独は避けたい。でも自由にしたい。この両面の間で揺れる心。

この複雑な現代社会で、個人がいかに孤独を避け、楽しく生きていくことができるか、ぜひつづってみたい。
確信を得るのに、三十年も要したのだから。


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