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芸術(アート)と論理(ロジカル)の関係性「収録を終えて」

 本日もこの記事を読もうと思ってくださりありがとうございます。

ことば遊びのことびです。

先日stand.fmという音声配信アプリにて

おゆうさんとコラボ配信をしました。

そんな配信の文字起こしということで

ザックリとまとめてみました。

感性のズレが言葉に落とし込むようになった

 ことば遊びのことびです。

と名乗ってますが正直言うと

国語や現代文、読書が大嫌いです。笑

 しかし今回コラボしていく中で分かったことは

私はとある質問を投げかけられた時

A案かB案で答えられる内容に対してC案を出してしまうクセがあります。

ある意味この感性のズレが僕にとっては

生きてきた中で色んな言葉を繰り出すようになっていると思います。

それは勉強して得た感覚ではなく人と違うことを好むことに特化しすぎたひとつの仕草に近いクセになるので

もともと国語力は苦手でした。

つまり今までは感性のまま生きてきたため

この後に話しますが芸術的(アーティスト)のような働きをしていました。

webライターを目指すことを決めて痛感した論理力

 私は8月から色々な事情がありwebライターを目指すことを決めました。

そんな中で嫌いな文章力を挑戦してみて痛感したことは

感性だけでは通用しないこと

今書いている文章はハッキリ言ってヘタクソだと自覚しています。

それは今まで感覚で発言したり文章を書いたりしていたからです。

しかし何も分からない状態のまま勉強していくうちにわかったことは

芸術の根本には必ず論理が存在していた

ということを今回お話する中で再認識出来た部分でした。

また僕が好きな本に「武器になる哲学」という本があります。

哲学というと固いイメージを持つと思います。

しかしこの本は思考や組織などといった

テーマ別に合う偉人の紹介がまとまっている本のためポイントごとに読むことが出来ます。

そんな中、有名な「ソクラテス 無知の知」についてのページにて

知らないということを知っている

この思考が大切だと書いてあります。

どういうことか

自分は知らないのだ」という認識を持てないと学習がスタートしない。

当たり前のことですが「僕はわかっているもんね」と考えてる人は知的に怠惰になってしまう。

「自分はわかっていない」と思うから調べたり、人に話を聞いたりという努力が駆動されるわけです。       抜粋

芸術と論理は離してはいけない関係性

 本題に入ります。

※ここからは芸術をアートと呼び論理をロジカルと言い換えます。

例としておゆうさんが挑戦しているデザインで話すと

とある絵を見てアートと感じるその根本にはロジカルな働きがあります。

歴史的背景、心理学、社会学、数学的

そのすべてが詰め込んだ宝箱がアートに感じさせることが出来ます。

つまりアートと捉えることは簡単で、ロジカルと捉えることは難しい

と私は断言したいと思います。

私もライティングを改めて勉強したときに

当たり前のことを学ぶ結果となりました

・主語と述語は近づける

・同じ文末表現を続けない

自分自身が出来てるとは思ってません。

挑戦中です。

しかし勉強したことで分かったことは

当たり前のロジカルを追求する事がアートを演出できる

だからこそロジカルとアートは切り離してはいけない

と、思います。

人と話すことで自分というロジカルを知る

 まとめに移ります。

ここまでの会話の全貌は1時間40分を話したほんの一部にすぎません。

是非聞いてくださるとうれしいです。

最後の話としては

自分を知るということは相手に教えてもらうこと

と思います。

今回webライターを目指すようになった経緯として

人と話すことが自分を知ることになる

これに尽きると思います。

ハッキリ言うと、自分のことは自分が一番分からないです。

だからこそ人と話すことが大事だし、それで気づいたことだと思います。

自分のことを理解できていたら今よりすごい人生だったな。笑

だからこそ僕は文章を書き続けることで

過去の自分に伝えたかったことを今見てくださる方に代わりに伝えることが今の自分の役目であると周りが教えてくれました。

どうかこの全貌を配信として作業音のひとつとして聞いてみてください。






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