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パルプ・フィクションとパンテオンの思い出



94年の映画「パルプ・フィクション」は私が当時勤めていた映画館で上映されたのもありよく覚えている。クエンティン・タランティーノ監督の作品はその前の「レザボア・ドッグス」と言う作品が衝撃的に面白くてカッコ良かった。渋谷のシネマライズだったか、当時スペイン坂の中腹にあった半地下の映画館に見に行った記憶がある。渋谷は私が青春を過ごした街で、当時東口にあった渋谷東急文化会館(現在ヒカリエ)の1階、渋谷パンテオンと言う映画館で高校3年生から6年間アルバイトをしていたのだ。渋谷パンテオンは当時ハリウッド発の大規模映画をかけるロードショー館で、新宿ミラノ座、丸の内ルーブル、と共にこの3館が最も目玉の東急レクリエーション・グループが所有する1番館の映画館で、パンテオンはその一つだった。パンテオンは他にも「ファンタスティック映画祭」と言う、ゾンビとかホラーとかが好きな人にはたまらないカルト映画祭を一年に一度行い、そう言ったファンの聖地としても知られていた。私の仕事はモギリと呼ばれる仕事で、受付に座って来場されたお客さんのチケットを切って半券を渡す仕事だ。空いている映画館の午後、少し遠くに聞こえるバスのロータリーの雑踏、正面のエスカレーターを行き来する青山学園の生徒たち、入り口脇のユーハイム、今でも色濃く思い出すことができる、大切な学生時代の思い出だ。

「パルプ・フィクション」は本来なら東レクの2番館チェーン(東急文化会館5階にあった渋谷東急)でかけられていた作品だったが、パンテオンの方が客席数が大きいので(2階も含め1250席だったと思う)、カンヌ映画祭でパルムドールをとったばかりの「パルプ・フィクション」の上映はパンテオンに移された。

私は少し鼻が高かった。都内の芸術系の大学に通い、それなりに何本も映画を見ていた私は、当時少し尖りたかった。パンテオンで半年間も上映していたケビン・コスナーとホイットニー・ヒューストン主演の大ヒット映画「ボディーガード」とかではなくて、当時映画好きの友人の間でも尊敬を集めていた「レザボアドッグス」のタランティーノ監督の新作を上映している劇場で働いていた事が誇らしかったのだ。

「レザボアドッグス」同様に「パルプ・フィクション」も分かるようでわからない映画で、ストーリーは分かるにしても、テーマや作り手の意図は相当映画を見て色々知っている人でないと分からないかもしれない。そしてその分からなさが、またいいのだ。どちらにも共通しているのは、両作品ともなんだかどうでもいい会話を続けるところ。銃を片手にこれから起こす物騒な騒動とはおよそアンバランスな、たとえばフライドチキンについてとかそう言う話を男たちが話すのが、なんだかそれがとてもカッコ良かった。当時若さ故にハリウッド映画に食傷気味だった私はヨーロッパ映画の方が好きだったのは、おそらくヨーロッパ映画にもそう言った「関係ないけどかっこいい」部分が比較的多かったからなのかもしれない。

これはずっとずっと後になって気がついた事だが、ハリウッド映画には人気ストーリー・メソッドがあって、それはロバート・マーキー氏に代表する「全てのシーンが最後のシーンに向かって作られている」と言う手法だ。つまり映画の中に無駄なシーンや無駄なセリフなどあってはならないのだ。ハリウッドで代表的なストーリーテリングであるロバート・マッキーさんの手法はあのフローレスなピクサー/ディズニーのストーリーテリングの元になっているもの。

マーキー氏は映画「カサブランカ」の例などをあげて、ハリウッド・ストーリーテリングの極意を語る。私のプロデューシング・パートナーのジョン(仮)は実はディズニーでストーリー開発をしていた人なので、このメソッドを耳にタコができるほど色々な人に説いているわけだが、いつも通訳を仰せつかる私もまた門前の小僧さながら聞きかじりを披露することもある。

そして随分後になってから、「パルプ・フィクション」がこのメソッドにさっぱり乗っ取っていない事に気づいたのだ。関係ありそうで関係ないシーンとかもある。ただ全てのシーンがこの映画にとって必要ないかといえばそうではない。関係ありそうで関係ないシーンや会話たちは、この映画をとにかくめちゃくちゃカッコよくしている。当時の私はそのカッコよさに痺れた。タランティーノ作品を理解できる自分もまたカッコイイと思ったりして、本当は全然理解してなかったけど。。青春てそんなものかも。

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