Cha@ウォナビー・プロデューサー

ロサンゼルスでウォナビー・プロデューサーをやっているChaと言います。 何故ウォナビー…

Cha@ウォナビー・プロデューサー

ロサンゼルスでウォナビー・プロデューサーをやっているChaと言います。 何故ウォナビーなのかと言うと、まだ一本も自分の手掛けた作品が世に出ていないし、プロデュースで一円も稼いでないので、自分のことをプロデューサーと呼ぶのには抵抗がありウォナビー(なんちゃって)でしかないのです。

最近の記事

パルプ・フィクションとパンテオンの思い出

94年の映画「パルプ・フィクション」は私が当時勤めていた映画館で上映されたのもありよく覚えている。クエンティン・タランティーノ監督の作品はその前の「レザボア・ドッグス」と言う作品が衝撃的に面白くてカッコ良かった。渋谷のシネマライズだったか、当時スペイン坂の中腹にあった半地下の映画館に見に行った記憶がある。渋谷は私が青春を過ごした街で、当時東口にあった渋谷東急文化会館(現在ヒカリエ)の1階、渋谷パンテオンと言う映画館で高校3年生から6年間アルバイトをしていたのだ。渋谷パンテオン

    • スキー旅行のこと

      #一度は行きたいあの場所 夫は物よりも経験にお金をかけたいという信念を持っている。旅行や自然と戯れたりすることが人生において最も大切なことだと考えている。しかし、私はウォナビープロデューサーで、プロデューサー費はまだまだ入らない訳だし、他フリーランスの仕事もそれほど儲かるわけではなく、彼の信念を支え続けるのは結構大変だ。 4人家族で寝室が一つしかない1ベットルームのアパートに住み、様々な支払いのことを考えない日はない。ちなみに家を持つことも高い家賃を払って広い家に住むことも

      • 「トッケビ 」と税金と映像ファイナンスの話

        2016年にヒットした韓国ドラマ「トッケビ 〜君がくれた愛しい日々〜」は最近の時流に乗って、「愛の不時着」⇨ロス⇨他の韓流で泣けるやつ⇨「トッケビ 」という流れで再ブーム燃焼中だ。かくいう私もその一人で、トッケビ に関する感想はもう書かないけど、ふと思ったことを書いてみた。 トッケビ の主人公キムシンさんとお相手女子高生ウンタクちゃんの思い出の場所はケベックシティと言うカナダの街なわけだが、私はまず二人がケベックに行った時「ん?なんでケベック?」と思った。美しいカエデ並木や

        • 韓ドラにハマる前に韓国映画について思っていたこと

          あれは2020年の最初だったか、とにかくコロナが流行り始めてはいたけど、まさかこんな風になるとおは思いもしない頃だった。日本から権利元の会社の人が来て、私のプロジェクトではないが、パートナーのボブとジョンがやっているプロジェクトなので、少しコーディネーションと通訳を手伝った。某日本の人気アニメ作品の実写化を作っているテレビ制作会社の社長との会食の際、彼はひたすら、ポンジュノ監督の話をしていた。それは、あの20年のアカデミー賞の発表の前で、とにかく外国語の映画がノミネートされた

        パルプ・フィクションとパンテオンの思い出

          NY出張と「推し」と出会う前に私が「推し」について抱いていた偏見

          NYへの出張に行ったのは、2020年の2月の最後から3月の最初だった。その1週間後にコロナ騒動が始まり、ロックダウン。本当にギリギリセーフの旅だった。自分がプロデューシングパートナーのボブとジョンと一緒にプロデュースする予定の作品のアダプテーションライツをNYの某会社にとりにいった。つまり、使いたいキャラクターの権利を「これこれこう言う映画にしたいので、貸してくれ」って言いに行ったのだ。とりあえず、企画が走る前で、三人とも自腹でNYまできた。私はたまたま夫の叔父がブルックリン

          NY出張と「推し」と出会う前に私が「推し」について抱いていた偏見

          自己紹介、そして韓国ドラマがいかに私を救ったか、について。

          ロサンゼルスでウォナビー・プロデューサーをやっている。 何故ウォナビーなのかと言うと、まだ一本も自分の手掛けた作品が世に出ていないので、自分のことをプロデューサーと呼ぶのには抵抗があるからで、更にプロデュースで一円も稼いでないので、ウォナビーでしかない。(なんちゃってみたいな意味でちょっとカッコ悪い響き含む)。プロデュース活動はアメ人のプロデューシングパートナー、(とりあえずボブとジョン(仮名)としておく)と一緒にやっている。二人はウォナビーじゃなくて本物のプロデューサーだけ

          自己紹介、そして韓国ドラマがいかに私を救ったか、について。