悲しくても。人生は続いていく
過去に経験したことのないすごく大きな壁に当たったり、これから先は一体どうしたらいいんだって言いたくなるような、途方に暮れるくらいの自分の頭で対応できないものにぶつかると、
「あー、消えてしまいたい」と思うことがある。
「死にたい」よりも、「消えてなくなりたい」に近い。
そういうときは、あまりにも悲しすぎて、自分の体では処理できない感覚。
数年前に、おばあちゃんとお別れしたときはつらすぎて、「私も一緒に消えてなくなりたい」って思った。
でも、自分の中に「冷静さ」みたいなものがちゃんといて、私が消えたところでどうにかなるわけじゃない、ってわかってる。
だから、消えるためになにか行動を起こすわけではないんだけど。
思いとどまるというか、ふとそこで気づく。
過去に戻ることはできない。
亡くなったおばあちゃんを、蘇らせることもできない。
おばあちゃんはもうここにはいない。
そして、私は生きている。
おばあちゃんは、自分の人生を全うして旅立った。
じゃあ、私は?
どうしようもない悲しさに、襲われ続けているなかで、絶望しながら気づくんだ。
結局、私は、私の日常をただ生きていくしかない。
結論って言ったら大げさだけど、その事実。
どんなに悲しくても、おなかはすく。
仕事だって、何日か後には戻らなきゃいけない。
そういえば、来週友だちと会う予定が入っていた。
世の中は、おばあちゃんがいなくても変わらず動き続けている。
大切な家族が亡くなって、こんなにも悲しいのに。
これまでの人生で経験がないほどの衝撃なのに。
私には用意された私の日常がある。
私とおばあちゃんは別の個体であることを、改めて思い知らされる。
救いもないし、分かりやすい答えもない。
誰かが私を助けてくれるわけでもない。
残酷だなって思うけど。
この先、何が起きたとしても、自分の日々を ただ生きていくしかない。
それしかないんだ。
本当に地味。
目の前のことをやるって一番シンプルだけど、実は大変なこと。
私は私の日々を生きる。
私の人生、to be continued.
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