5 by 5+α〜私が影響を受けた本(松崎篇)
5冊の本
小学生のぼくにとって文学とは、単純にカッコいいものだった。少しむずかしいけれど、何だかイケてる。みんなは知らないすごい世界。それはちょっとの優越感を伴う、子供らしい背伸びだったように思う。確かぼくがいわゆる物語を読むようになったのは、小学3年の教室の本棚にあった「ゲド戦記」だった。本棚の中でいちばん文字が小さくて多い。ただその理由だけで手に取って、朝の読書の時間に読んでいた。いつのまにか文字を追うことに馴れると、ストーリーを楽しむようになり、言葉の連なりに美しさがあると知るようになる。そんなぼくが小学5年の時に読んだのがサン=テグジュペリの『夜間飛行』だった。まず始まりの一文からしてカッコよすぎた。
この滲むペンによって書かれた線画のような鮮やかな風景描写にぼくは一瞬で魅了されてしまった。それから支配人・リヴィエールの圧倒的な冷徹さ!こんなに美しくてカッコいいものがあるのかと感動してしまい、いつの間にかぼくは小説家になるのだと心に決めていた。
それからぼくは父のレコメンドや文庫本の後ろの目録なんかを見て小説を片っ端から読んでいった。そしてぼくが出会ったのが安部公房の諸作だ。初めて読んだのが『カンガルー・ノート』でその奇天烈な世界観と緻密な文章に、小説って「何でもアリ」なんだと勇気をもらった。退屈で鬱屈していた少年時代のぼくに安部公房の作品は、ここではないもう一つの世界を教えてくれた。そしてそのことはいまだにぼくの慰めに、希望になっている。
ここでは『燃えつきた地図』を挙げたい。回想と主人公の思考が交差する序盤の映像的な表現や「…」の使い方など、安部文学の魅了がつまった作品だと思う。
中一のぼくが出会ったのが、ガルシア=マルケスである。安部公房が彼の小説の熱心な読者だったから読んだ。『予告された殺人の記録』における芳醇な語りと、圧倒的な物語としての強さは、ぼくにとって衝撃だった。マルケスの小説を以上の衝撃や感動をぼくはいまだに得ていない。なぜぼくをそこまでさせたのか、それはぼくが時間をかけて解き明かすべき問題なのだろう。
小島信夫の後期作品は、そのメタフィクション的な語りが面白かった。ほとんど独り言のような混乱さえも内包してしまった文章と、夢オチや逸脱さえ厭わない無茶苦茶な展開など、これもまたぼくに「自由であっていい」と言ってくれているように思えた。
現代における日本語のもっとも優れた日本語の使い手は誰だろう?それは小西康陽であるとぼくは断言できる。平易な言葉だけで、ここまでの情景を表現できるものかと感嘆させられる。エッセイ『これは恋ではない』には、リーダーを務める音楽ユニット・ピチカート・ファイブのメンバーである野宮真貴に対する狂気的とも言える文章が収録されている。
1本の映画
ぼくのためだけの映画。
1枚のアルバム
くりかえす日々が生む軋轢のための音楽。
文責・松崎(編集長)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?