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文字の奥行き

今回のnoteは小川によるエッセイです。言葉と空間の関係性について

久々に文章を書こうと思ったのだけれど、スッと浮かぶようなものがなく、それは自分があまりにも多忙な生活に身を任せているからであり、知らずのうちに、立ち止まって何かを考える様な在り方を手放してしまっていたのだ、と気付く。何かきっかけがなければいけない。決まって私はものを書くとき、または、書くことにとどまらずものを創るとき、材料を必要とする人間だ。

前に読んだアーティストの座談会に、こんなことが書いてあった。

そもそも僕はそんな芸術家肌じゃないから。常々考えてるわけじゃないし。いろんな興味はあるけど、そんなに芸術に向いてる方ではないと思う。どっちかっていうと営業マンに近くて。だから、自分を作るモードに持っていかないとダメなんだよ。スポーツのように自分を高めて。本読んで、「来た、来た、今だああ!」っていうのをしないと(笑)でもモードになったときの、その爆発力は信じてる。(小袋)

宇多田ヒカル 小袋成彬 酒井一途 座談会Section7


私のきっかけって、なんだろう……、と考えたときに思い浮かんだのは、紙とペンで書き起こすことだった。

文字を書く、ということ。書道をやっていて良かったことの一つに、目に入る文字が常に美しい、ということがある。勉強や創作に行き詰まったとき、とりあえず書いてみようの気持ちにさせられる。書いてみると、そこに奥行きが生まれる。たて、よこ、奥行き。

たて、と、よこ。
過去に友人が、書いた小説を縦書きにしたときに立ち上がった感覚を覚えた、と言っていた。文章は、たての流れとよこの流れがあり、もちろん読むスピード、リズム、文章の見え方が違ってくる。現代のインターネットはよこが中心なので、たてを目にすることは少ない。たてにする、それが、文字を立ち上がらせることなのであれば、ペンで書くことや印刷をすることは、文字に奥行きを与える行為そのものではないだろうか。

奥行き。
紙の上にインクを乗せると、かすれ、たまり、にじみになる。紙から顔を離して、全体で見てみる。紙、という空間に、奥行きを持って文字が存在しているような気がしてこないだろうか。(ディスプレイの中では)均一だった、手書きや印刷の濃淡が生む立体性は、私のからまりかけた思考をほどき、つなぐ助けになっている。

(墨の濃淡は書道にとって大切な要素の一つだ。神保町付近の書道教室に行きたい、と思ってはいるが、しばらく通えそうにない。)

最近、詩のインスタレーションに興味がある。文芸誌の発行を通じて、自分の文章が誌面に載るということを経験した。次は、空間に自分の文章をおく試みをしてみたい。




引用した座談会の書き起こし。パソコンで開くと縦書きで読めます。

最近のおすすめ。ラーシュヤンソンのMore Humanという曲。気分が落ち着きます。


(文責:小川)

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