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絵事常々 -川の絵とわたし-

よく描くモチーフに「川」があります。
川を描き始めたのは10年程前、大学の卒業制作を控えた頃からです。


卒業制作以前には、記憶や感情のゆれ動く様子や、重なり合う矛盾した様子など、移ろいながら変わっていくものを受け入れる気持ち・受け入れたくない気持ちなど、そんな曖昧模糊なものを花や風景に託して描いていました。
そしていざ卒業制作で何を描こうか、色々と習作を重ねて練っていましたが、いかんせん何かふんぎれないものがありました。

その当時は、卒業後にも制作を続けようとあまり思えず、続けられず半端にできなくなるくらいならばいっそやめてしまおうと思っており。
今から思えば「最後の作品」に対しての気負いが大きかったのかもしれません。



そんなある日、同じ大学に通うタイ人の男性がスケッチに誘ってくれました。彼はタイでデザインや映像の勉強をしたのちに、日本画を学びたいとやってきた人でした。観察眼と気配りのできる彼は、無意識に思い悩みが出ていた私を誘ってくれたのだと思います。

スケッチ先は平等院の蓮ということで、宇治が地元の私は道案内も兼ねて彼と出向きました。午前中に蓮を描いたのち、宇治川べりをぽとぽと歩きながら、せっかくなので川も描きましょうかと始めたのが、その後ずっと描き続けたくなる川の絵の始まりです。


結果、その夏の間中、私は宇治川を描き、描いている間に自分が絵をやめられないことを本気で実感しました。本を読むのも、詩作も好きだけれど、本当に自分の中が燃えるようになるのは描くことだと思い知りました。
それまでにも描きながら何度も感じていた想いなのに、人並みに進路を悩んでいる内によくわからなくなっていたようです。


宇治川は水の多い、流れの急な川です。
その川に向かって座り込み、大きな紙を広げ流れを描きとっていきます。
動くのは眼と右肩から右手の指先にかけてだけ。頭も体も固定して、這いつくばるように描いていきます。
宇治橋の下は暗く、黒い水がごうごうと呑み込みながらすべて押し流していきます。その何の抵抗もない滑らかな速さ。うねる白い波の重さ。


圧倒されるあまり怖いとさえ思いながら、川に憑りつかれた様になったあの時間に今でも感謝しています。


そんな経緯で、私は川の絵をよく描いています。いつも同じ川ではないけれど、私の描きたいことはよく川の形や水の流れに現れます。
すべて押し流す流れ、滔々とゆらがない流れ、とおくを見やって立ち尽くす川べり、川の水がなくなった後、川底に見える仄かな石。
絵を思い浮かべる頭の一部分に、いつも川が流れています。



大河 (2)

2020 大河


小品_大河 (1)

2020 小品 大河


川べり

2020 川べり



白い川 やまず流れる  去 (2)

2019 やまず流れる 去


白い川 やまず流れる  来 (2)

2019 やまず流れる 来


白い川 やまず流れる  今 (2)

2019 やまず流れる 今



小品_水底 (2)

2019 水底



行方 (2)

2015 行方



彼方 (2)

2013 彼方



画像10

2013 あとさき


川のスケッチから、石の川原や石、というモチーフにも出会えました。
雨の降る川、白と黒の波、最近は川に月が落ちてくるようになりました。
以前の投稿に載せていますように、2021年は川への落月がいくつか。

とりたてて描くものを定めているわけではありませんが、それでも何か自分をとらえてはなさない風景やものたちと過ごす日々は嬉しいです。

また機会をあらためて次は石の絵など。
最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは。



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