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雨降りロマンスの準備

今回は藤原による「雨降りロマンスの準備」です。雨の季節のささやかな記憶について

線状降水帯の豪雨が街灯で煙る、降り続ける雨の激しさが、水溜りのコンビニエンスの蛍光灯の反射を掻き消す、それらが強風で流されていく、僕の頼りない折り畳み傘がひっくり返る、僕は少し唖然として、濡れながらそれを直す。
台風と梅雨が重なった夜に、僕は、いつものように、くだらない放課後を過ごして、終電の丸の内線に乗って帰った。
家に着き、水没してくぐもった音のイヤホンを取って気づく、ゴーッ、鳴っている、屋根の下で煙草に火をつける、シメッている。
玄関で濡れてグシャついた足をなんとかしようと、靴下を脱ぐと、その濃紺が、淡い緑のような形で、素足に色移りしている。

朝、起きても外は晴れていなかった。昨晩に寝苦しくて開けた窓を閉めるのを忘れていて、サッシが濡れている。
頭が重い、低気圧のせいだ、と思って立ち上がると身体も少し熱があるようで火照りを感じる。
大学など休んでしまおうか、と思ったのだけれど、なんとなく、今日行かない間にロマンスがあるような気がして、準備をして外に出た。

そういえば、あの夏、彼女はやたら学校に来なかった。
僕だってやたら学校に行かなかったのだけれど、たまに顔を出すと、いつも彼女の席は空席で、その空席は誰も待っていないし、教室でも特に浮いているように思えなかった。
皆んなは僕が来れば僕に話しかけてくれて、僕が来ないのを揶揄したりして、僕がどこに行っていたのかとか何で来れないのかは聞かなかったのだけれど、それは僕がそうして欲しいのを皆んなが分かっていたからだった。
彼女は今誰にどうして欲しいのだろう、と僕は彼女の空席を見ながらいつも思ったのだけれど、少なくともそれが僕ではないことはいつも分かっていて、自分の生活で一杯なのもあって、すぐに忘れてしまった。
しばらくすると僕も彼女も毎日学校に来るようになって、皆んなも僕や彼女の不在の時期を忘れて行ったのだけれど、やはり、僕の中には彼女の空席の侘しさが時折胸に詰まった。

別に僕に何か出来たと思わないし、何かしたいと思うのは僕のエゴの問題なのであって、彼女とは何も関係ないのだけれど、生活には往々にしてそういうことがあるような気がするのだった。

自分のことは自分で救うしかない。
解決は解消や忘却の繰り返しでは決して為されない、生きることの問題は生きていくことでしか解決されない、と思っていた。
でもあの時彼女が何か問題を抱えていたとしたなら、単純に彼女とドーナツを食べて、冗談を言いたかったのだと思う。
それで僕は楽になりたかったのだと思う、十代の無力と内省から。
そのことに気づいてから、正しくなくてもいいから、無理しなくていいから、今だけ楽しければいいじゃないか、とも思える。
まぁ彼女が僕とドーナツを食べることが彼女にとって楽しいかはわからないのだけれど。

まだアジサイは鮮やかでいて、淡く燻んでいない。アジサイで思い浮かべるのはいつも雨で、梅雨明けの陽射しの下で項垂れている彼らには誰も目を向けない。
今日、学校でロマンスがあるかは分からない。
ただ、ロマンスが起きるには、ロマンスの準備が必要なのだ。

(文責:藤原)

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