藤原

文章。映画を学び、小説を書いています。文芸誌「空地」に参加しています。 連絡先fuji…

藤原

文章。映画を学び、小説を書いています。文芸誌「空地」に参加しています。 連絡先fujiwara.takahiro2477@gmail.com

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  • 小説

    僕が書いた小説です。

  • 空地

    参加している同人誌「空地」に寄せている原稿です。

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2024.6.20 黒猫

部屋のカーテンの外の空が白み始める頃に、一晩居間で寂しがっていた家猫を一頻り撫で回し、それでも足らないようなので、抱き上げ、やはり苦手なようで猫は降りたがり、猫が飽きたのを見計らって、外に出た。 寝起きというものは時間の感覚が不確かなようで、煙草を吸いに外に出るともう朝焼けが始まっており、彼はもう長いこと眠れずに暮らしているので、その朝焼けには何も思わなかった。ただ、それは夕暮の赫ではない、というだけのことだった。 朝焼けの色を確かめるには家の裏が東であり、寝巻きのポケットを

    • 2024.6.2 缶コーヒー

      明るい雨天の午後の下りに、疲れていたのか、本を読みながら寝ていたようで、強くなった雨風の音で目が覚めた。 連休のない身分にとって、平日の大学の隙間時間にも作業するとはいえ、束の間と思える休みでも、何らかの作業の進捗は欲しいところだったが、それは起きて煙草に火をつけた時には、もう無理だろうという気だった。 近頃は随分と日が伸びて、冬の憂鬱など去ったような春だったが、それも過ぎて、気だるい夏がやってくる、それを確かめさせる梅雨の気配が天気にも自分の気分にも張り付いている気がする。

      • プールサイド(短編小説)

        初夏の深夜、散った春の花々とかつての冬に落ちた枯葉の積もった五十メートルプールのサイドに僕は立っている。梅雨明けの掃除を待つプールは虫たちの棲家になっていて腐った匂いがする。一ヶ月もすれば子供たちが虫を取り、二ヶ月もすればその観察も忘れて嬌声と飛沫が上がる。街灯もクラクションも酷く遠く感じる。 僕は去年の夏の始まりから一ヶ月も生きられなかった夏祭りの金魚の死体を、この頃気温が上がったせいか水槽を密封していても部屋に匂いがするようになったので、捨てに来ている。君の名前を付けた夏

        • 君の側に(短編小説)

          すべての場所に行き終えた夜に、僕は細く長くそして深い湖の畔のベンチに座っている。その木製のベンチはささくれ立っていて古いデニムに引っかかる。 ベンチに座る僕と湖の間の落下防止の低木が植えられている。それに雪が積もっている、と思ったら、それは初夏の季節の白いツツジが満開に咲いているだけだった。深い沈黙の夜にそれは薄くぼやけて見える。  風の合間に湖畔に植えられた高木が音を立てるのを止めた時、僕はいつかの鮎子のことを思い出す。  鮎子は赤いカーディガンを着ていてそれに黒く伸び放し

        2024.6.20 黒猫

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          11本
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          6本

        記事

          モーニングコール(短編小説)

          大型連休の中の平日の明るい雨天の夜明け頃だった。 昨日の夜に退屈すぎて二十時に寝たせいで早く目が覚めた僕は部屋の窓を開けて雨の音を聞きながらフォークナーの長編小説を読んでいた。 年度末の新人賞の締切を終えて久し振りに読書するには骨のある小説で随分楽しい読書だったが、窓から流れ込んでくる東京の湿気と一九三十年代初頭に書かれた南北問題はまるで関係がなかった。 それは僕が十代の間に海外文学を好んで読んだ理由だとも言えた。 僕は今は二十二歳だった。 まだ大学生で、通う大学には

          モーニングコール(短編小説)

          中村一義『春になれば』が出た頃に(音楽レビューエッセイ)

          桜の開花情報が出て、その情報は一分咲きから二分咲きに更新され、僕はそれを実際に確認することもできない日々の中で、目の前のことが落ち着いたら目黒川に行って桜でも見たいな、と思っていた。 目黒川の花見は高校の近くだったこともあって、よく行った。 疫病が蔓延してからは売店などが無くなったらしい、今ではやっているのだろう、あの焼き鳥やイカ焼きを高校生の時は高くて買えなかった、しかし桜はその数年の間にも構わず咲き続けていたのだろう。 このところの生活といえば、部屋に篭って小説の新

          中村一義『春になれば』が出た頃に(音楽レビューエッセイ)

          2024.3.5 トパーズ、アジサイ、撮影

          僕は今、住む千葉のベッドタウンから新宿を挟んで等距離にある西東京の友人の家の友人の自室の端っこに座っている。 その椅子は普段は置かれていないらしく、僕のために友人である彼が用意してくれたもので、キャンプ用の折り畳み椅子だ。 それは僕の家にあるものと構造は一緒で背もたれの動かし方も分かる。 だけれど、僕はその家にあるやつはキャンプに行ったことがないから家でのんびり煙草を吸ったり本を読んだりすることにしか使ったことがない。 今思い返したけれど、最近暖かくなってきたからあの

          2024.3.5 トパーズ、アジサイ、撮影

          2024.3.3 原稿とシーズー

          何気ない一日だったからパソコンを持っていなかった。基本的な作業はパソコンで済むから隙間の時間などあればパソコンで何かすればいいのに、僕は、出来るだけ荷物を減らしたい、作業するなら僕の二階の角部屋で机に向かわなければならない、といった心持ちのせいで、大学にも持っていかなかったりする。 時刻はAM4:35で、それを確認する為の時計が何処にあるのか分からない、携帯の充電が切れそうで、座っている椅子の横には犬が寝ている。 それはどうということも無くて、日付で言えば昨日に友人宅で集

          2024.3.3 原稿とシーズー

          ロールキャベツとホットワイン(短編小説)

          何処かの方角が少し明るい、そしてそれは仕事を終えたのだから西のはずだ、と僕が気付いたのは、雨戸を開けたままのアパートの薄暗がりの中にいたからだった。 君が帰ってくるまでにかなり時間がある、君は最近はやっと見つけた医療系の職場でカルテが電子管理になる変更があるのでその業務に当たらなくてはならないと残業が続いている。 地方ではまだカルテを手書きだったのか、と僕は少し驚いたけれど、それを言うにも、君は慣れないでいるさして興味のない仕事に疲れた顔をしていて、その話を打ち切りにした

          ロールキャベツとホットワイン(短編小説)

          郊外にて(短編小説)

          一週間前に首都圏に降った雪は残雪になり、やがて溶け、後に春先の予感が残ると思われた。 確かに日中は労働者用のダウンは少し暑い、山田はネッグウォーマーを朝に玄関先で少し迷った後に脱いだ自分の季節の感覚を正しいと思った。 首都圏から少し離れた、ベッドタウンとも言えない郊外の工場の警備員アルバイト、それは何時もの派遣会社の仕事ではなく、知り合いに頼まれた穴埋めの仕事だった。 穴埋めの仕事であること、そこで働く百余名の人数の中で山田が珍しく若者であること、それを抜きにしてもその

          郊外にて(短編小説)

          2023.12.20 うまトマチキン

          特に問題のない午前中に、僕は鬱屈した全休だらけの毎日から抜け出そうと、前からイメージだけあった小説を書き始めたのだが、やはりイメージしかなかったものだから最初の書き出しから漠然とした文章だけが上滑りしているように感じた。 結局二時間ほどパソコンの画面と睨めっこしていて、その間中、猫が僕の部屋をウロチョロしていて、僕の部屋着で爪研ぎをしたり窓枠に乗っては降りたりしていた。 結局猫に、うまく行かないよ、どう思う?とか喋りかけてしまって、猫も寂しいから話しかけられたら喉を鳴らし

          2023.12.20 うまトマチキン

          2023.11.27 池袋、夜

          人と会う為だけに休日に外に出たのだが、会った友人は明日の朝が早いようで、別れ、僕はなんとなく帰る気にもなれず、繁華街を一人でほっつき歩いた。 馴染みの、刺激しか脳がないと言われたらそうでしかないような、繁華街のラーメン屋で食事を取って、交差点脇にある自販機で缶コーヒーを買おうとした。 百四十円するそれに、なんとなく小さく嫌気が刺して、信号を渡り、その先の自販機は百十円で何時も飲んでいるやつがあったので、それを買う。 ラーメンは九百五十円したので、この一時間ほどで千円以上

          2023.11.27 池袋、夜

          アクアラインのような生活の中で。

          ある秋晴れの、昨日より少し冷え込んだその朝に、僕はいつもはドリップするのに、珍しくコールドブリューのインスタントコーヒーを淹れて、飲んでいた。 貰い物の、開けたばかりで、酸化していない、それ、は、目分量で多めに入れたのもあって、特に悪い味はしなかった。 今日は、中原中也の命日だ、と、新聞を見て思い出す。 彼の言葉の多くを昔の僕は意味も分からず暗記していて、今ではその多くを忘れてしまった。 血肉となった、それ、に目を向けることは、なかなか難しい。 本棚にある詩集、昔は全集で読

          アクアラインのような生活の中で。

          2023.10.11 沈黙

          もう涼しくなったその路地の行き止まった冷たい風が、それは爽風ではない、袖口に入り込み、僕の身体を冷やして、なんとなく、やはり火照っていたのかもしれない、と思う。 季節が変わる度に、その季節の振る舞い方を忘れている、気がする。 夏が終わって、学校が始まって、どこに行っても人がいて、教室のドアノブは冷たく重く、喧騒が僕を包み込んで、僕はやはりなんとなく笑顔を貼り付けたように笑っていて、もうこんなことはしたくなかった、本当のことだけ喋っていたい、と思った。 金木犀でも咲いてい

          2023.10.11 沈黙

          CDで音楽を聴いて思うこと。

          新しいステレオを組んだ。 パワーアンプとCDプレイヤーとレコードプレイヤーをそれぞれで繋げて、ケーブルをスピーカーに繋いだ。 母方の祖父から、色々家のものを処分していきたいのだが捨てるには勿体無いものだから音楽が好きな君に、と電話を貰ったので、部屋に置き場などないのに、欲しい、と返事をしたのだった。 僕が元々音楽を好きになった中学生ぐらいの時に中学生にしては立派なステレオを父親が買ってくれた。それでたくさんの音楽を聴いてきた気がする。 それは愛着もあって処分しなかったので僕の

          CDで音楽を聴いて思うこと。

          村上春樹私論〜『街と、その不確かな壁』で終わってはならない〜

          村上春樹は我々の世代にとっては間違いなく最も読まれた純文学作家であり、読んでなくともその文体には影響を受けていると言っていい。 私自身小説を書く人間であるが、いかに春樹でなく(同様に誰それの文体でなく)書くことが如何に難しいか考える。まずはそこからスタートしなければ作家たり得ない。だからこそ、一度春樹について考えなければならない。 村上春樹は団塊の世代であって、特にその学園紛争に幻滅したこと、そしてその時代の文化に影響を受けたとよくエッセイにも書いている。 村上春樹は二十

          村上春樹私論〜『街と、その不確かな壁』で終わってはならない〜