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2024.9.22 redesign

 何年も通して何度となく聴いてきた曲は、カヴァーやリミックスの方が聴いていて楽しい、ということがある。もう原曲はそれに纏わる記憶や何がしかがあまりにも付随しすぎているせいで、聴いていると苦しくなる。以前に友人と何気なく入ったバーが永遠とBUMP OF CHICKENを流していて、初期の曲などは、特にもう聴くだけで苦しくなって、すぐに出てしまった。同じ時期に聴いていたビートルズも何度となくリマスターされていて、2023年に「Now and then」が出た時には、赤盤と青盤がミックスし直された。鮮明になったそれは勿論聴きやすくなっているのだけれど(2009年のリマスター前は聴いていられない。勿論それを聴いてきたのだが)、一度か二度通して聴いてノスタルジーに浸って、もう聴かなかった。
 僕の何がしかの精神が若い藤原基央の自意識やレノン・マッカートニーの二面性で出来ているにせよ、それらはもう過ぎ去り、飽きてしまった。
 最近は朝に何か文章を書く前にスーパーカーの解散した後のナカコーのリデザインアルバムを聴くことが多い。それはあの解散ライブと同様の息苦しさがある。聴いていて楽しいものではない。しかしいつまでもスリーアウトチェンジを聴ける精神性でもない。だからそれを聴き続けた。
 大体僕の今年の夏はそのようなものだった、と言えるのかもしれない。

 言葉にすることは一つの現実を終わらせることだ、ということが最近実感を伴ってきている。いま書いている原稿は大体一ヶ月後には完成しているのだろうけれど(その締切に向けて書いている)その後に僕が現実をどのように認識してどのように生活していくのか、全く見当がつかない。その頃の僕は誰とどのように言葉を交わしているのか、全く分からない。
 昨日大学が始まって、ガイダンスや撮影の打ち合わせで十一月の話をしているときに、そのとき俺は生きているのだろうか、と思ったのだった。
 この前ふと調べ物をしているときに、三島由紀夫が遺作「豊饒の海」を書くにあたって同じようなことを手記に書いていたことを知った。
 彼は結局第四部を書き上げて完成させた後に自衛隊駐屯地で腹を切って死んだ。それは当時の多くに人にとってピエロのように映ったのだろうし、僕は「豊饒の海」はまだ読んだことがない。
 何はともあれ、一ヶ月後には僕の何がしかの部分が死ぬのだと思う。それが空虚な死体処理になるかあるいは何がしかの光跡となるかは、まあこれからの一ヶ月次第だ、ということでしかない。 あるいは今に一人で永遠と小説を書き続けている俺すらも人によってはピエロに見えることだろう。

 この夏にいわゆる楽しいことなんて一つもなかったけれど、もう段々と、あるいは少なくとも今は、小説を書くことでしか生きられない部分が徐々に大きくなっていって、小説というカタチでしか関われない自分や他者というものが確かに存在している。決まりきった時間に寝て決まりきった時間に起きてパソコンに向かうこと、禁酒、毎日の単調な同じ食事、それに対しても何も思わなかった。友達から誘われても断ることが増えた。しかしそれは原稿の満足を担保するものではなかった。ただ小説を書くにあたって必要なことだっただけだった。春に書いた新人賞作品が落選したことはかなり落ち込んだし、今もある程度僕の心に影を落としているけれど、それは書かない理由にはならない。
 安易な安心や快楽で不安を麻痺させるくらいなら、一生不安の中でストラグルしていたいし、何より衝動を失うことの方が怖い、と僕は思う。中学生の頃にカミュを読んだだけかもしれないけれど。その中にしか理性も善性も宿らないと思うから。そして人の理性と善性を肯定することが、人がより良く生きようとするそのことを肯定することこそが、小説が持つ役割の一つだから。
 小説を今のように書けるのは今しかないから、それに対して犠牲は払うべきだと僕は思う。小説を書くことは時に書き手にとっても大きな危険を伴う行為だとも実感している。
 しかしそれはこの青年の年齢では皆んなが払っている犠牲だと思う。僕はその皆んなのストラグルに敬意を払う。


 「それでも少しの男らしさとか優しさが残ればラッキーなのにね」とナカコーが歌っている。去年の夏からのこの一年で、小説や人間関係で、僕らしさとか優しさが残ったのかは僕には分からない。少なくとも男らしさはどうでもいいから優しさだけは残って、それを君に渡せたら、とは思う。


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