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映画『クレオの夏休み』について

前のブログ(アメブロ、完全に止めた訳ではないですが)では、ときどき観た映画について書いていました。あまりいっぱい映画を観る方ではないのですが、noteでも機会があれば書いていきたいと思います。
さて、今週(8月第1週)はヒューマントラストシネマ有楽町で上映中の、『クレオの夏休み』を観てきました。以前予告編を見て、なんとなくこれは観たいな~と思っていたものです。心理学的な観点から見て、いくつか気になったこともあったので、良かったら最後までお読みください。

(以下、ネタバレありなのでお気をつけください。)話は今オリンピックたけなわのフランス、主人公クレオは6歳の女の子。お母さんを亡くしており、父子家庭らしく、朝から晩まで大好きなベビーシッターのグロリアと過ごします。グロリアはまるでクレオが本当の娘であるかのように、かわいがってくれます。
ところがある日、グロリアの地元のお母さんが亡くなり、国に帰らなければならないことに・・・突然の話で当惑し、泣いて抗議するクレオ。また会えるから、とグロリアは言って去って行きます。
てんてこまいで慣れない育児をするお父さん。グロリアのような感じには行きません。ある日、クレオは怒りを爆発させて、夏のバケーションにグロリアに会えると行ったのに、と抗議。お父さんが折れて、クレオをグロリアの故郷に旅立たせます。
グロリアの故郷は、カーボベルデという、西アフリカの西海岸に浮かぶ島国(名前を聞いたことはあったのですが、どこか分からず目を皿のようにして手元の小さなアフリカの地図を睨んで、ようやく見つけました! このブログ記事の写真はカーボベルデではないです。)。クレオはグロリアの家に連れていかれ、バケーション中そこに泊まることになります。家には、グロリアの2人の子ども(娘と息子)がおり、しかも娘は妊娠中でもうすぐ赤ちゃんが生まれるという状態です。グロリアを独り占めできると思ってやってきたクレオには、当てがすでに外れたということになります。
おまけに子どもたち(特に下の子、息子のセザール)には、自分たちをほっぽっておいてフランスで他人の子を育てていたと思われているお母さんです。クレオへの風当たりもよくなく(また、おそらくフランス人への思い、反発などもあって)、クレオは今まで出会ったことのないような敵意に、当惑します。
島では小型の舟を出して漁をして魚を食べたり、子どもたちの遊びは崖からジャンプして海に飛び込むことやサッカーなど、素朴なものです。グロリアはフランスで稼いだお金を使ってでしょうか、宿を建てているようなのですがそれもフランスと違い、あれこれ言っていっこうに工事が進まない状態です。(余談ですが、小笠原諸島の父島に行ったとき子どもたちが同じ遊びをしているのを見ました。海が身近であれば、ふつうにやる遊びなんでしょうね。)
そのうち、ナンダ(グロリアの娘)が産気づき、病院へ行きます。やがて、赤ちゃんを抱いて帰ってきました。「すごくかわいい(super-mignon)」な赤ちゃんではありますが、夜泣きするので、クレオもろくろく寝られません。ある日、グロリアが昼寝してしまったところに、赤ちゃんが泣き出してしまい、クレオは苛立って「うるさい!」と言います。赤ちゃんのあやし方を知らないクレオは、赤ちゃんを揺さぶってあやうく殺しそうになってしまいますが、グロリアが目覚め、クレオをきつく叱ります。叱られたクレオは走り出して、セザールが遊んでいる崖の方へ行き、自分も跳び込んでしまうのです。
泳ぎの練習はしていたものの、衝動的に跳び込んだクレオ。幸い、セザールらが助けてくれます。以前、トラブルがあり対立していた二人ですが、「オレが助けたんだ!」と自慢げなセザール。
クレオが島の生活に馴染み、子どもたちと遊べるようになった頃に、フランスへ帰る日がやってきます。空港でクレオを送り出すグロリア。笑顔で送り出しますが、帰り道では涙に暮れるのでした。クレオには、新しいベビーシッターが待っているのです。

ストーリーはここまでですが、書いてない部分、映像を見て分かることでいくつかあります。まず、「ベビーシッター」という部分。この映画では、父子家庭という設定ですが、アメリカでもベビーシッターは一般的です。日本だと保育園に連れて行くというイメージなのですが、ベビーシッターは家に来る、というイメージです。
実際、家に人が来てもいいということであれば、来てもらう方がラクなのではと思うことがあります。子どもに着替えさせ、いろいろな持ち物を持って送っていくのはなかなか大変です。ちゃんとした(教育もできるような、評判の)ベビーシッター(ナニー)だと報酬も高く、共働きでも片方の収入が丸ごと持って行かれるくらいと聞きますが(アメリカでの話)、幼児期の子育てや教育の大切さを知っている人たちは、お金を惜しみません。また、米国であれば幼稚園・プレスクールも日本で言うと大学並みの費用がかかります。
クレオのように、お母さんを亡くしている場合(作中にグロリアのお母さんのお葬式が出てきて、そこでクレオは泣くのですが)、親身なベビーシッターがお母さんみたいな存在になるのは、当然と言えるでしょう。
お父さんは、ワーカホリックなのか子育てが苦手と感じたのか(あるいは子どもが亡き妻を思い出させるとか、あるかもしれませんが)、夜も遅く帰ってきたりと、グロリアに子育てを任せっきりでした。グロリアが故国に帰った後のしばらくの時期は、二人がいっしょに過ごせた時期でした。ですが推測するにベビーシッターなしで仕事との両立は(何の仕事か出てきませんでしたが)大変だったのではないでしょうか。
米国もですが、子ども(や親)とベビーシッターの人種が違うことはよくあります。ベビーシッター側はたいてい黒人などマイノリティの人です。私は短い期間ブルックリンで子育てをしていましたが、日中散歩をしたりするとほかのベビーカーはナニーたち(たいていアフリカン)が押していたりしました。ここには、奴隷制や植民地主義の名残のようなものがあります。お給料をもらっているのだからいいじゃないか、という見方もあるかもしれませんが、「使う側」「使われる側」があるのはたしかです。
バケーションと言って、しかしお父さんもついてくるかと思いきや、航空会社の子どもVIPサービスみたいのに任せて、一人で送り出す有様。6歳の子には、荷が重い感じです。(実際にこういうことが頻繁にあるのか、気になります。ネグレクトとまで言わなくても、そこまでする? という感じは抱くからです。)
グロリアがいるとは言え、まったく知らない土地、まったく知らない文化、グロリアや少数の人と除いてフランス語も分からない土地で(カーボベルデの公用語はポルトガル語のようです)、クレオはしばしば当惑した顔や疲れた顔、混乱した顔を見せます。当然のことでしょう。「子役の名演」ではあり、撮影スタッフや子役の親などのフォローはあったのでしょうが、撮影自体が子役にストレスの高そうな内容でもありました。その、いろいろな体験において子どもが見せる「表情」がまさしくこの映画の一番の見せ所ではあるのですが・・・子役の子にとっても、生涯忘れられないような体験になったことは確実でしょう。
この映画の大きなテーマの一つが「きょうだい間の嫉妬」であるように思われます(精神分析ではカイン嫉妬と言いますが)。実際、カウンセリングをしていてもきょうだい間の嫉妬というのはなかなかどうにもならないものとよく感じます。独り占めしていると思っていたグロリアが実は「仮の母」に過ぎなかったこと、まったく違う土地に自分の子どもが2人もいたこと、しかも生まれたての赤ん坊を子育てがうまいグロリアが親身に世話していることなどが、次々とクレオのグロリア像を破壊し、奪い、ついには赤ちゃんに攻撃的になったり、自暴自棄になってしまったりするのです。その表情を、カメラはよく捉えていたと思います。
クレオのように母親を早くに亡くした子は、どのようにしてそれを嘆くのだろうかと思いました。映画の中では、グロリアの亡くなったお母さんのお葬式が出てきて、がんで亡くなったということで「お母さんと同じ病気だ」とクレオが言うシーンがあります。その後クレオは泣きじゃくります。幼い頃お母さんを失ったことによる強い痛みと悲しみに、触れることができたのでしょうか。
また、クレオの家は父子家庭ですが、一方グロリアにもその娘ナーダにも男性の影がありません。グロリアの2人の子どもの父親は誰なのか? ナーダのおなかの赤ちゃんの子の父親は誰なのか? ということはここでは問われません。これは、アフリカには多いと(日本にもありますが)聞いています。要は女性と子どもは放っておかれ、暮らしも困難なものになってしまうのです。

フランスという西欧の先進国と、カーボベルデという発展途上国、小国との強烈な「格差」も強く意識される映画でした。映画で描かれている限りでは素朴な暮らしを送りつつ、人々は寄り合って支え合いながら暮らしているように見えました。小さな島国であれば、本作の撮影も一大イベントだったのではないかなどと想像してしまいます。なかなか行く機会のないアフリカですが、こんな国もあったのだな~と、まだまだ知らないことがたくさんあるとも思いました。

(下書きしてから公開までやや時間を要してしまいました。もし上映が終わっていたらすみません。)

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