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サンフランシスコ国際空港(SFO)の名前となった、ハーヴェイ・ミルクのこと

アメリカに行くとき、サンフランシスコ国際空港(SFO)を使ったことがあるという人も、少なくないかと思う。最近、SFOが「ハーヴェイ・ミルク」という名前を持っていることを知った。ふだんは素通りしてしまうことも多いのだが、時間の余裕があったため、空港で写真のパネルの前を通りかかって、この人は誰だろう? と思った。

Facebookで、友だちがミルクについての映画があると教えてくれた。題名はそのまんまの『ハーヴェイ・ミルク』(原題はThe Times of Harvey Milk.) 。アマゾン・プライムにあったので早速見ることができた。ハーヴェイ・ミルクはゲイとして全米ではじめて、市会議員になった人だということが分かった。

しかし、空港のパネルに書いてあった通り、その在任期間は初当選後わずか11ヶ月で、当時のサンフランシスコ市長モスコーニとともに元同僚で市会議員を辞職したばかりの男の凶弾に倒れた。1978年11月のことだったようだ。

わずかな期間とは言えその政治的手腕(映画を見ると、人柄のようにも見えるが・・・)は優れており、法案6号という、ゲイは公立学校の先生になれないという法案を否決に追い込むなどの功績があった。また、自分がそうしたように、LGBTの人たちにも自分のアイデンティティを隠さず、勇気を出して人に言おうと働きかけた。映画には彼を知っていた人や関わっていた人たちの証言や思い出、また当時の映像などがふんだんに盛り込まれており、当時のサンフランシスコの様子や、ゲイの街として知られるに至ったカストロ地区の様子を知ることができる。また、犯人や裁判の経過についても描写されている。

私自身は現在異性愛を自認しているが(既婚子持ち)、NYの大学院(New York UniversityとThe New School for Social Research)に学んだときセクシャリティの授業を取ったり、また教授や生徒の中にもLGBTの人たちが少なからずいたりもした。教授の一人は同性婚をしているゲイで、言語心理学者であり、当時学部長だった。特に積極的に交流したとか友だちになったというわけではなかったが、自称している人がそこにいる、というのは自然な状態だった。

こういう、カミングアウト(LGBTであることを公言すること)をしても地位や生活が脅かされないということの前提を、ミルクは作り上げたのだと思った。

また、短期間ではあるが(日本で)HIV・エイズ関係の仕事もしており、同僚にはゲイの人が2人いたということもあった。話もしたし、お昼を食べに行ったりもした。

翻って日本ではどうだろう? 日本の小中学校、高校、大学、大学院などにLGBTの先生や生徒はどれくらいいるのだろうか? 学校の先生などが(公立私立関わらず)LGBTだと公表しているといった話を、ほとんど聞いた覚えがない。LGBTに対しては、犯罪者となったり極刑を科したりする国もあるから、それよりはだいぶましなのだと思ってはいたが、HIV関係の仕事をしていた2006年頃から、あまり状況は変わっていないように見える。同性婚どころか、男女別姓も認められておらず、硬直したままの日本社会はその硬直ゆえに他国に追い抜かれてしまっていっているような危機感さえある。

どこかの政治家が同性婚など認めてはますます子どもができなくなる、のように言ってひんしゅくを買ったようだが、実際には、同性婚で養子をもらったり、あるいは代理母や精子提供などを受けて子どもを持つという話も少なくなく、知り合いにもいる。ものはやりようと言うこともできる。形だけの男女の結婚より、愛情を受けて育つことができるならば子どもにははるかに良いのではないかと思われる。

私の母校である国立H大学では、大学院生がゲイであることを同級生に暴露されてしまい、転落死するという痛ましい事件も数年前に起こってしまっている。教育の現場や教育者にある種の「顔」や「権威」を求める傾向は、こうした事件からも推して知るべしであるかと思う。

異性愛者であるならどうしてこんなことを気にするのか? と言われそうである。それは、どんなグループであれ差別・迫害されるということは正義に反することであり、許されるべきではないからである。また大なり小なり、マイノリティとされるグループや人々は差別される。マジョリティ対マイノリティという、「数の力」で仕方ない面もあるが、差別しないという選択や行動も十分に可能である。日本にいれば日本人は多数派だが、海外へ行けばそうではないし、その逆(つまり外国人が日本に来た場合)も真なり、である。

また、心理関係という仕事柄、いじめや虐待を受けた人たちと関わるため、人の痛みや不遇を放っておくのは好まないのである。痛みを理解してくれる人がいるのといないのとでは、その人にとっては天地のように違ってくる。自分だけ良ければいいということではない。もし、自分がそれなりに恵まれた状況にあるのであれば、また過去に大切なものを人から受け取ったと思うのであれば、自分と違う人たちを理解し、共感し、助けていくことが必要だと思っている。

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