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岩手県の民俗学(胆沢の民話)

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岩手県の胆沢という地域に伝わる民話や伝説を紹介しています。 民俗学的に価値のあるものだと思うので、目にとまった人の記憶に、少しでも残って伝わっていけばいいなと思います。
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2021年11月の記事一覧

替馬壇の地に行ってみた【プチ・フィールドワーク①】

替馬壇の地に行ってみた【プチ・フィールドワーク①】

かえまだん、俗称ではキャマダと読む。

平安時代後期の東北地方で、源頼義・義家親子が、東北の豪族、安倍頼時・貞任(さだとう)・宗任(むねとう)親子を鎮圧する戦がありました。(前九年の役)

源義家(通称・八幡太郎義家)が安倍貞任を追って見分森の近くを通った時、愛馬の香月が倒れてしまいました。

その地に丁重に香月を葬り、新しい馬に替えました。

後にそこは壇山と呼ばれ、牛馬の埋葬地となりました。

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替馬壇の由来【岩手の伝説㉓】

替馬壇の由来【岩手の伝説㉓】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

※替馬壇・・・かえまだん。俗称キャマダ。

平泉に拠って、四囲(しい)を睥睨していた安倍貞任(あべのさだとう)を攻落した八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)は、晩秋の風に吹きさられるる木の葉のように逃ぐる安倍氏の軍勢を追って、森(御殿場)まで来ると、愛馬香月の手綱を静かに引いて留めました。

※拠る・・・よる。あてにしてそれにたよる。 たよって

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茂井羅ものがたり【岩手の伝説㉒】

茂井羅ものがたり【岩手の伝説㉒】

参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館

昔、面塚(めんづか、現水沢区佐倉河字下川原)に、北郷隆勝(きたごうたかかつ)という人が住んでおりました。

※北郷隆勝・・・きたごうたかかつ。仙台藩家臣に名前が残されているので、その人物と考えられる。

満々と水をたたえた、四米(メートル)余りの堀の内は、大樹が欝蒼と繁って、南蛮渡来という大鶏の刻を告げる声が、犬の吠えるに似た音を響かせていました

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