今日は書けない
書くことがないのではなく、書けない
今日は書けない。
以前は書くことがない、と書いたことがあるような気がするけれど、今日は書けない。
書きたいことはあるのに書けないのだ。
書けないってどういうことだろう。
書けないときにしか書けないことを書いてみることにしよう。
たまに訪れる書けないとき
指が動かない。
頭の中に言葉が浮かばない。
書きたいことは物質としては存在するのに、今思いつく言葉はどれもこれもしっくりこない。
たまに、こういうときが訪れる。
書きたいことはあるのに書けない
書きたいことはある。
今朝は、Xで教育の個別最適化のことを書きたいと呟いていたし、最近読み終わった本のことも、勢いで買ってしまった本のこともある。
ほかにも、来月やりたいことリストなんかのはっきりしたことでもいいのになぜか書けない。
蛇足だけど、今日は仕事でも手が動かなかった。
補助金の実績報告書も全然筆が進まなかった。
薄っぺらく文字を埋めただけ。
だから終業のチャイムと同時に職場を飛び出してきた。
私の中に言葉がなくなってしまったみたい
私がこうして文章を作っているときというのは、器からあふれ出してこぼれ落ちていく言葉たちを必死でキーボード上で追いかけて拾い集めて並べているようなもの。
だから、器の中が空っぽになってしまったら、こぼれようがないので拾うことができない。
空っぽになった器の中で焦りだけが転がっている。
私は何に焦っているのだろう。
私がnoteに書くことは、改めて何かを調べたりすることはほとんどない。
知っていること、思っていること、感じていること、考えていることを頭の中でつなぎ合わせている。
だから、これまでインプットして集めてきた情報と経験が化学反応を起こして生み出されたもの。
残念ながら、この本を読めば、あれをやってしまえば書ける、というものではなさそう。
焦りばかり膨れ上がっていくのは、やりたいことをやりきれていないからかもしれない。
純粋にインプットを楽しめないと、ここでの溢れるようなアウトプットはできない。
どうすればいいのだろう…
じゃあ、どうすればいいのか。
とりあえず、今の状況を書いてみている。
これはこれで良さそう。
書くことが嫌になったわけではないことが分かった。
何かインプットをしてみようか。
でも、ちょっと積読が貯まりすぎだし、追いかけたいSNSもコミュニティもたくさんあって、キャパオーバーかもしれない。
本当にしたいことは何?
でもやっぱり、頭がワクワクするようなインプットをしたい。
読めない本は横に置いておいて、何かどっぷり浸れるものを探すことにしよう。
今日は書けないということを認めること
書けない。
書けなさ過ぎて嫌になるくらいなのに、書くことが面白くて、日課になっている。
書けないのに書いている。
書けないことを認めてしまうと、これはこれで少し楽になったような気すらしている。
そう、今日は書けない日なのだ。
書けなくても書いていく
いつまた書けるようになるのか、それが明日なのか、明後日なのか、もっと先なのか、それは私にも分からないけれど、それでも書いていきます。
続けた先に見えるものを引き続き追いかけていきたいので。
こんな駄文に今日もお付き合いいただきありがとうございます。
最近皆さんは、思わず発信したくなるようなワクワクに出会っていますか?
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