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B・ラッセル「怠惰への讃歌」

ノーベル文学賞を受賞したB・ラッセルは、「自由と平等」「平和」「反権力」を唱え、身をもって行動した実践活動家です。
彼は、次のように述べています。

仕事は良いものだという信念が恐ろしく多くの害をひきおこしている。
(中略)
一日四時間の労働で、生活の必需品と生活を快適にするものを得るには十分であり、余暇を自分で適当と思えるように使える自分の時間とすべきである。

B・ラッセル著「怠惰への讃歌」堀秀彦・柿村峻訳・平凡社ライブラリー

ラッセルが、「かつて社会は、少人数の有閑階級と多人数の労働階級で構成されていた」と言っているように、ヨーロッパ社会は、大きく二つの階級に分かれていました。
過酷な肉体労働を強いられていた農民などの「労働階級」は、家に帰れば、食べて眠るだけという人生です。
ラッセルが言う「有閑階級」とは、貴族や聖職者などを指しているのでしょう。

彼らが、芸術をつちかい、科学を発見し、書物を書き、哲学を創め、社会関係を上品なものにした。

B・ラッセル著「怠惰への讃歌」堀秀彦・柿村峻訳・平凡社ライブラリー

つまり、「有閑階級が社会に文明をもたらした」と言っているのです。
「人間らしい生き方とは何か」という問いに対して、ラッセルは、「芸術」「科学」「学問」「哲学」を重視していることがわかります。
現代でも、これらを仕事にして利益をあげ、生活をすることができている人というのは、ごくごく少数でしょう。
大多数の人は、これらとは関係ない分野で利益をあげる生活を余儀なくされているはずです。
ラッセルは、「問題は、金銭を儲けることは善事で、金銭を費やすことは悪事だとされていることだ」と指摘しています。
仕事ビジネスの世界では、利益至上主義であるため、次から次へと連鎖的に課題が発生し、それが終わりことはありません。
機械文明が発達し、IT技術が社会の隅々まで浸透した社会では、ビジネスがグローバル化することで、24時間365日休むことなく仕事をすることが出来るようになりました。
株式や金融市場などが代表的な例と言えるのですが、そんな社会では、人間は情報に溺れ、機械に隷属している状態と言えるかもしれません。
そうしなければ成立しない仕事というのは、どこかおかしいと考えるべきなのです。

ラッセルが「怠惰への讃歌」を書いたのは、1932年です。
世界では第二次世界大戦が始まる直前でした。
日本では、財閥と軍部が世界恐慌後のブロック経済の締め付けを打破することを目的として、大陸進出を始めるために「満州事変」を起こしたのが、ちょうどこの頃です。
ラッセルは、この文章の中で、「戦争はすべての人々にとって長い過酷な労役をもたらす」と述べています。(同書P.32)

人生は仕事のためにあるのではありません。
仕事は生きる手段に過ぎず、目的ではないのです。
仕事を人生の目的にしてしまうと悲劇です。定年などで仕事が無くなった時、生きる為の目標を失うことになってしまうからです。
品位と品格のある人生とは、学問や芸術をしていくことでしか実現することはできません。
死ぬその時まで、学問や芸術に時間を費やし、知性と教養を高めていくことは、人生を豊かなものにしてくれるでしょう。
できれば、仕事をするようになる前の「子供」のうちから、このような人生の本義をしっかりと学んでいくことが大切なのです。


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