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「日常」をつくるために働く、わたしたちの覚悟

社会に貢献できた感覚が嬉しいのは、働くひとならよくわかると思う。

お客様からの「ありがとう」は、あなたの「働いていて嬉しい瞬間ランキング」にも入っているんじゃないかな。

自分が人のお役に立てている、自分の仕事が人を助けているという貢献感。それが「働きがい」ってやつの正体な気がする。

でも貢献は気を抜くと犠牲になってしまう。

わたしはコロナ禍でそれを痛感した。貢献と犠牲のバランスを取るのはむずかしい。だけど、犠牲を貢献にかえてくれるものがある。

それこそがお客様からの「ありがとう」だ。

「貢献」を軸にお仕事を選んだわたし


わたしの仕事はスーパーの販売員だ。2022年4月でちょうど入社3年目になる。水産部門担当として、お魚をさばく日々を送っている。

もともとボランティア精神が強かったわたしは、「社会貢献」を軸に就活をしていた。人々の毎日を少しでも楽しいものにしたいな、やさしい世界をつくりたいな。そんな気持ちで就職先を探していた。

そこで目を付けたのが「衣食住」だった。人が生きていく中で欠かせないもの。その中でも「食」は一番買う頻度が高い。人々の生活を支えられる仕事だと思った。

toCのお仕事を選んだのも、直接お客様と接したいという思いからだった。自分の仕事がお客様のお役に立てているのか、自分はちゃんと社会に貢献できているのか確かめたかった。

とにかく社会に貢献したい気持ちが強かったわたし。
「お客様のためなら何をやってもいい」と熱く語る社長に惚れて、あるスーパーに入社した。

仕事に誇りとか意義とかを求めていたわたしにとって「人々の食を支える」というテーマは、分かりやすい社会貢献だった。

けれど華々しく入社式が行われた春は、なんだか世間が騒がしかった。
真新しいスーツに身を包んだわたしに飛び込んできたのは、緊急事態宣言という見慣れない文字。

わたしの社会人生活が始まったと同時に、コロナの時代が始まっていた。

コロナが貢献を犠牲に変え、ありがとうが私を救う


コロナ禍では、あらゆる「不要不急」が排除される。

その過程で、いままで日常に溶け込んでいたあたりまえの、「不要不急」でないものが「エッセンシャル」なものになった。

医療をはじめとして、教育も交通も、そして食品を扱うスーパーも。そこで働く人々が「エッセンシャルワーカー」と呼ばれるようになった。

テレワークが推進される中で、三密の現場に出勤するわたしたち。未知の病気に怯えながら、異常事態に多忙を極めるわたしたち。それが「エッセンシャルワーカー」だった。

あらゆる娯楽が取り除かれる中で、スーパーが娯楽の代わりをになっていた。カップ麺やホットケーキミックスが品切れになり、不慣れな感染対策にとまどい、コロナに不満を抱えるお客様を相手にし。

いつの間にか、わたしの「貢献」は「犠牲」になっていた。

どうして感染覚悟で出勤しなきゃいけないのとか、わたしは社会のいいコマになっているんじゃとか。そういう黒いもやもやが常に心をおおっていた。社会の最底辺の歯車になった気分だったのだ。

そんなある日の朝礼で、店長はこう言った。

「みんな今は大変やと思う。けどうちらはお客様の食を支えてる訳やから」
「もう、ここまできたら使命感しかないで!」

「使命感」。その強烈な響きにわたしは胸を打たれた。

誰もコロナを予想できたわけじゃない。これは仕方のないこと。この仕事を選んだのはわたし。感染覚悟で人々の「食」を支えるのがわたしの使命なのだ。

世間の犠牲になっているという感覚はあまりにも苦しい。

これは犠牲じゃない、貢献なんだと思わせてくれる「使命感」と「感謝」だけがわたしの支えだった。

それはとても危うい使命感だったのかもしれない。精神論だとか、やりがい搾取だとか言われるのかもしれない。でもわたしにはそれだけが救いだった。

お客様からは本当にたくさんの「ありがとう」をいただいた。お手紙をくれた方もいた。「忙しいのにわざわざありがとう」「大変なのにありがとう、助かってます」と伝えてくれた。

日常が非日常に変わってしまったコロナ禍にあって、それでもなお日常を維持し続けるべく働くわたしたち。世間はわたしたちが「エッセンシャル」で「ヒーロー」なのだと言ってくれた。

わたしのガラスの使命感は、たくさんの感謝で支えられていた。

日常を支える黒子みたいなわたしだけど、確かにここにいるんだと思わせてくれる。それがお客様からの「ありがとう」だった。

世界をつくるわたしたちに「ありがとう」を


わたしはお客様のために魚を調理するのが一番楽しい。
お客様は「これ三枚おろしにして」「煮付けにしたいねん」「お刺身にして」とわたしに言う。

「できましたよ~」とわたしがお渡しすれば、

「ありがとう、助かったわ」「自分じゃよう調理せんから」「家に包丁ないねん、助かるわ」「綺麗にしてくれてありがとう」そういうお声をいただく。

その「ありがとう」がすっごく嬉しい。
わたしの働きが、技術が、確実に目の前の人を助けている。この世界をうごかす一人として、わたしがいる。

わたしが調理したお魚をお客様が食べて、そのお客様はきっとべつの人を助けていて。そうやって世界は動いている。「世界は誰かの仕事でできている」ってこういうことなんだと思った。

「よし、じゃあ今日もちょっと世界つくってくるわ!」

コロナ禍でもそうポジティブに出勤できるのは、お客様からの「ありがとう」のおかげ。

だからわたしも、世界をつくるみんなに「ありがとう」を伝えたい。
いつもお世話になっています、と。

この日常の「あたりまえ」をつくるために、どれだけ多くの人が働いているのか。今のわたしは知っているから。


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