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「嫌い」という感情、実は自己中!?

「嫌い!」
という言葉を面と向かって言われることはあまりないかもしれません。

でも
「嫌い」
という感情を人から向けられて「嫌われた…」と思ったり、
ある人に対して「あの人嫌い…」と思うことはきっとあったはず。


人を嫌うという感情はどのようなものでしょうか。

考察してみたいと思います。


1.嫌い≠どうでもいい

嫌いという感情は、中立的ではあり得ません。

つまり、どうでもいいことに対してある程度「好き」という感情は持ちうるかもしれませんが(どうでも「良い」のですから)、
どうでもいいことに対して「嫌い」という気持ちにはなりません。

何らかの拒否反応が働いています。

2.「嫌い」の2パターン

「嫌い」という感情は二つに分けられます。

一つ目は、生理的な嫌悪感。
例えば香水などは人によっては心地よい香りですが、ある人によっては不快な匂いで、時に香害にもなりうるものです。
他に虫が好きな人もいれば苦手な人もいる。
これは趣味の問題と言えます。
この種類の「嫌い」に関しては生理的なものなので、これはこういうものとして受け取るしかありません。

そして二つ目は、性格的な嫌悪感。
例えば「媚を売っているから嫌い」とか、「いつも仕事に遅れてくるから嫌い」といった感情です。
でもこの性格的な嫌悪感の裏には自己本意的な願望が隠されています。

3. 性格的な嫌悪感ー自己本位的な願望

性格的な嫌悪感の裏側には、嫉妬など自己本位的な感情が隠れていたりします。
「媚を売っているから嫌い」というケースの場合、「私は地道に頑張っているのに…」要領の悪い人が要領の良い人に嫉妬して自己本位的な願望を持っている場合があります。

だから実は「嫌い」という感情の背後には、よくよく考えると「嫉妬」や「好意」という感情が隠れています。
そういう意味で、誰かを「嫌い」と思うとき、それは判断保留の状態でもあります。
本来そこにある「嫉妬」や「羨望」、「好意」を「嫌い」という感情で覆い隠してそれ以上は考えさせなくさせるからです。


でもだからこそ誰かに「嫌い」という感情を抱くとき、なぜ嫌いなのか、その感情の裏側には何があるのか、じっくり考えてみる必要があると思います。

「嫌い」という感情を解きほぐしていく作業は、自分を知る作業でもあるからです。



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