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生きるための、小さな戯れ

 掴んだモズクが、指の間から、するすると抜けでる。モズクは踊るように、波に揺れている。その時、僕は強烈に、ゆるやかな孤独感を覚えたのだ。ゆくゆくは自分の腹に収めて消化するために、僕はモズクを取ろうとして、遊ぶような格好を取っている。要するに、僕は、生きるために戯れている。
 僕もおぼつきながら、躍り出るように、モズクを掴もうとするけど、そう簡単には掴めないのだ。そしてまた掴んでも、モズクは僕の手から逃れる。この繰り返しに、僕の皮膚は火照って、面白くなってくる。僕が見出した、生きるための、小さな戯れ。
 
 知り合いの夫婦と一緒に、南城市へモズクを採りにいったのだが、僕自身はモズクとあまり縁のない人生を送ってきた。どこかの料理屋で、モズク料理を出されたらもちろん食べていただろうが、モズクとして意識して噛みしめることはなかった。言葉の通り、「腹に流し込む」だけだったと思う。


 ただ、沖縄の人と仲良くなれて、わざわざ南城市の海まで行けて、それも数ヶ月分の食品を確保できるのは、僕としてはかなり刺激的だった。なので、夫婦の車に乗り込んで、連れていってもらうことにした。


 車で、みどりが茂る丘を越えると、一気にひらけた南城市の海が見える。海岸に向かって、ひたすら坂を降ると、モズクが取れるポイントに一番近い浜に到着した。


 せかせかと着替え、夫婦と一緒に、崖の岩壁近くを目指した。二人とも本当にいい人で、僕があれも忘れ、これを忘れても、なんでも貸してくれた。ていうか、海に来るっていうのに、僕はなぜタイパンツを履いて行ったのだろうか。もちろん、夫婦から短パンの水着を借りた。岩壁沿いに着いたら、テントを立てて、後に続いて来る夫婦の友達を待った。


 夫婦の友達が到着したのは、僕らが浜に来てからそう遅くはなかった。友達は全員で六人いて、みなさん、挨拶からしてすごく気さくな人たちだった。そのうちの一人である、小学校3年生の女の子は、僕みたいな男が同伴するのを知らなかったのか、僕に会うなり顔をこわばらしていた。けど、「はやく泳ぎたぁい」とすぐ連呼し始め、僕がそれを見て笑っていると、なんだか気を許してくれたらしい。日焼け止めを顔に塗りたくった僕を指さして、「顔真っ白!」とゲラゲラ笑い始めた。夫婦の友達も笑い始めて「志村けんのバカ殿かっ!」「塗ったのはいいけど、ムラありすぎでしょ」と面白がってくれた。そのうち、ルーちゃんと呼ばれ始めた。それにしても、普通の挨拶から会話が始まったのか、僕へのツッコミが先だったか、今となってはもうわからない。


 みんなでだらだら準備していると、早く海に行きたがっていた女の子は、僕にジリジリ近づき始めて、目をキラキラさせながら「早く行こ!」とせかし始めた。僕がちゃんと準備を終え、「じゃあ、行こっかあ」と言うと、女の子は僕の背中を強く押して、駆け出し始めた。僕も、ハイハイと、笑いながら浅瀬まで走った。


 夫婦のうち、妻の女性は、最近足を怪我してしまったので、テントで待っているということだった。みんなで沖合いに向かう途中で、この日のために買った“写ルンです”を水着のポケットに入れたままなことを思い出す。またテントの方へと駆け出すと、女の子が「先、行ってるからねええ!」と、僕に向かって叫ぶのが聞こえた。なんか、女の子にいたく気に入られちゃったらしい。


 まだ水温に慣れきってない身体は冷たさに応えて、みんなで叫びながら、沖合いへと向かった。69歳の女性は、69歳とは思えないほどの若々しい叫びをあげて、手を振り上げながら進んでいた。僕も自然とつま先立ちながらも、歩を進める。女の子ははりきって平泳ぎしているが、疲れるとお母さんにつかまって、お母さんにブチギレられているのが微笑ましい。


 そして、モズクがたくさん取れるあたりで、巨大なイカを発見した。全身50〜70cmくらいある巨大なイカだった。みんなで囲んでびっくりする中、僕は防水カバーに入れたスマホを取り出して、イカに近づいた。みんなは口々に「ルーちゃん、イカにかみついちゃだめよ!」なんて言ってくる。笑いながら、イカを動画に収めた。イカの胴体は、皮膚が剥がれて白くなっていて、目も虚ろだった。そのうちイカは、幽霊船のように、どこへゆくやらわからない雰囲気を漂わせて流れて行ってしまった。

 家に帰った後、高校時代の生物の先生に連絡して、イカの動画を送ってみた。このイカは、“コブシメ”というやつらしい。ウチナーグチだと、“クブシミ”と言うんだとか。先生曰く、胴体が白いのは骨が見えてるかららしく、死んでるとのことだった。死体をキャッキャしながら撮影してたのかと思うと、なんかショックだ。「公設市場にも売ってるし、取ってくれば良かったさぁー」と、先生。沖縄大好きな先生だったけど、そういえば、先生のウチナーンチュのマネ、癖が強かったなあ。数ヶ月前の高校生活が、ほんのり懐かしくなった。


 干潮の時間近くに、ある程度沖合いまで来た。遠くに見える鉄塔と施設を挟んだあたりにあったのが、モズクだらけの網だった。昔、養殖が盛んだった場所らしいが、今は養殖会社が撤退。養殖に使われた網だけが残されて、モズクが取り放題になっているらしかった。それも、毎年モズクは網に住み着くので、一回採ったきりもういなくなる、ということはないらしかった。


 モズクに足が巻きあげた砂がかかるといけないので、風下からモズクを採っていった。網は糸で結われ、7cm×7cmくらいの四角がたくさん作られていて、その四角の辺の真ん中くらいにモズクが生えているのだった。一箇所に生えているモズクの量はピンキリで、ものすごく生えているところは、一掴みで手のひらが埋まるほどだ。モズクは、もちもちした凧糸みたいで、掴もうとすると指の間からすり抜けてしまう。最初は慣れないから、両手でもずくを引っ張り、取ったモズクは全部波に攫われた。慣れてくると、片手で採ったもずくを持ち、もう片方の手でどんどんモズクを採っていく。それなりの量になると、一緒に来た夫婦の男性の持っている網に放り込む。モズクは量があるだけ掴みやすく、プチプチと、採る感触が気持ちいい。網のだいぶ放置されているはずなのに、ちょっと黄色がかった白のような色で、まだ綺麗だった。


 頭の上では、海鳥が鳴いている。空を仰ぎ見ると、白い海鳥が小魚を口に挟んで、向かい風に抗って飛んでいた。すると遠くの方で、別の海鳥が、勢いよく海にめがけて突っ込み、魚を獲っていた。軽い水飛沫が、日に照らされてキラキラ光る。海鳥たちも、僕ら人間のように、沖合いまで来て自分たちの生活を営んでいた。


 そういえば、海鳥の鳴き声を聞いて、沖縄民謡の"浜千鳥節"を思い出したのだった。僕の耳には、鳴き声が「キュイキュイ」と聞こえたけど、沖縄の人たちには、歌詞にもあるとおり「チュイチュイ」と聞こえたのだろうか。「チュイチュイ」の方が、なんだか寂しくて、風情がある。海鳥よりも、海鳥の鳴き声を聞いている人間をつい思い描いてしまうような表現だ。


旅や浜宿い 草ぬ(ヤリ)葉ぬ枕 寝てぃん忘ららん 我親ぬ御側 
千鳥や 浜居てぃ チュイチュイナ


 

 女の子はだいぶモズクを採り慣れているらしく、網をしっかり手元に引っ張ったり、膝に網をかけて両手でモズクを取ったりしていた。毎回誇らしそうに採り方を披露したり、「うわあ、いっぱいだあ」と口から溢れでる陽気さを耳にすると、頬が緩む。


 僕が「採るのうまいねえ?」と褒めると、女の子は「昔からよく来て採ってたからね!」と、鼻をふんふん慣らしていた。そして、ちょっとだけモズクを手にとって、口へ放り込んで、「こんな風に食べてたし!」と、誇らしそうに喋る。お母さんが「一年前までモズク採りに来ても帰りたがったジャン」と言うと、「うっさい!」と反論していて、笑えた。


 僕は、「これだけ自然の中で遊んでいる自分のことを誇らしく思える子供が、今の日本にどれだけいるだろうか」と思った。話の風呂敷は大きいようだが、自分の幼少期と比べながら、ごく個人的にそんなことを考えたのだった。走り去った後に残された、車の排気ガスを好んで鼻に吸いこんでいた僕。冬のマンホールから立ち昇る、家々の排水の蒸気に顔を当てるのが好きだった僕。どこへ連れて行かれても、3DSばかりしていた僕。変な意味で都会的だった僕と比べて、この女の子の誇らしげな感じが本当に尊いものとして、僕の目には映ったのだった。


 モズクを採り続けているうちに、僕は、きっと自分自身だけのものではない孤独感に突き当たった。山では、木々が空間を占めていて、閉塞的な孤独が漂っているが、海における孤独はまた違う性格をしているらしい。海における孤独は、何者かに自分が放り出された時に感じるそれに似ている。ただ広がっている空間で、自分が何を為せるかという無力感。人に置いていかれ、迷子になった時のような手の出せなさ。海の中、ポツンと放り出されている状態の、ゆるやかな孤独感。行動を押さえつけるような圧ではなく、行動する気にさせない類の圧である。


 しかし、この海で、僕は必死にモズクを採っている。馬鹿みたいに同じ手つきを繰り返して、何度もモズクを逃しているし、自分を滑稽だと感じる。モズクを網から採る時の、茎が千切れる感触が心地よくて、面白い。そう思った時、僕は、刹那的に、海に生きる人々を想った。海に生きる人々は、きっと、自分の存在の小ささを海から教わり、それでも生きるために、小さく戯れて生きているのだ。生きるために魚や海の生き物を獲りながら、小さな楽しさや心地よさを見出して生きているのだろう。そうやって、海に生きる人々は、孤独に向き合っている、という気がした。海に生きる人はたいてい、孤独をどこまでも知っていて、それでいて尽きることのないユーモアを掛け持っているという実感が、僕の中にはある。海に生きる人々は、たいてい遊び上手だ。


 僕は今、ゆくゆくは自分が腹に収めるモズクを掴もうと必死になっている。その必死さに、おかしさや楽しさを見出している。モズクは、採られた後、僕の身体に消化され。僕が生きるための栄養となってくれるだろう。いわば、僕は生きるためにモズクを取ろうとしている。そして、この行為は、生きるためには必然的な、小さな戯れである。

 この、生きるための小さな戯れの感覚は、きっと、時代や場所を超えた感覚なのだと、僕は確証もないのに確信している。


 干潮の時間の後もモズク採りを続けると、帰る頃には潮が上がってきてしまうので、早めに引き上げる。帰りの際、二匹の海ヘビに”こんにちは”したり、女性陣にナマコを触らせられて驚かされたりした。駐車場でどうしても閉まらないテントを片付けようとしていると、外国人の男性と、もう一人の県民らしき男性が、少々強引だがテントを片付けてくれて、とても親切にしてくれた。帰る前に、みんなで買ってきた天ぷらをつまみながら談笑し、そこからぽつぽつと僕らは帰っていった。


 帰りの車では熟睡してしまった。家の前まで送ってもらってしまい、モズクの塩漬けの扱い方までレクチャーしてもらって、夫婦の車を見送って一日は終わった。僕の手元には、塩漬けされた大量のモズクが入った発泡スチロールの箱が残された。


 もし住むなら、海と深い関わりのある地域に住んでみたい。海のような孤独と向き合ってみたい。なんとかそれでも生きるために、小さく戯れながら。


 その前に、僕は、これからしばらく続くだろうモズクとの日々にケリをつけなくちゃならないんだが。


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