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不登校体験談 親との関係②

このnoteでは、元不登校生が主に自分自身の不登校について振り返っています。

私は中高で不登校となり、高校を中退しました。現在は教育関連の法人で働いています。
大学時代に行っていた不登校や高校中退者への学習支援を2021年に本格的に再開。不登校のお子さんが無料で過ごせる場を、月10日ほどオープンしています。
また、昨年高知市内にできたフリースクールにも月に数回遊びに行っています。
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親との関係 幼少期から不登校まで


幼い頃の楽しかったことを思い出そうとして次から次へと浮かぶのは、祖父母の家でのなんでもない光景です。
父親は教員。母親については、私が幼い頃は専業主婦だったと最近まで思っていましたが、聞くと共働きだったようです。
確かに、懐かしのコンビニ・ホットスパーの交差点で、よく乳母車で母の帰りを待っていました。横にいたのは祖母。
見送った記憶がなく、働いていたのを知りませんでしたが「寂しがると思ったから北本町の家に預けて、そうっと仕事に行ってた」とのことでした。

当時の両親との時間がどのようなものだったのか。具体的な記憶も写真などの記録も、どちらも多くは残っていませんが、読み聞かせはよくしてくれていたと思います。古い本をひらくと「じゃあじゃあびりびり」や「ねないこだれだ」では父の声が、「ゆきのひのうさこちゃん」や「こぐまちゃんとどうぶつえん」では母の声が聞こえるからです。
また、1歳前後、両親に見守られて歩行器で遊んだのも幸せな記憶です。わずか10畳ほどのフローリングが、当時は体育館のように広く感じられていました。
私が自分の父親を家族として認識したのは、多分その頃でした。父への人見知りはその時に一段落しましたが、その後も2歳頃まで、ゆるく続きました。
仕事で忙しく、私が起きている間に家にいることが稀だったというのが一番の理由だと思いますが、人見知りしなくなってからも、私にはずっと、我が子への関心が薄い人のように映っていました。
私は愛情を感じ取るのが少し下手なのかもしれませんが、父は伝えるのが苦手でした。
母もピアノ講師の仕事で忙しく、実際、私の記憶に残っている通り、祖父母の家にいた時間が長かったようです。
そして、満2歳の時に今でいう認定こども園のような幼保一体の幼稚園に入りました。

親との関係に変化があったのは、3歳目前。外でピアノを習い始めてからのことでした。
スポーツ界でも、親によるスパルタ教育がもてはやされていた時代ですが、私を最初に指導してくださった先生も、厳しい指導でお子さんをピアニストに育て上げた方でした。
習い始めてからは、ピアノ一色。家では母に教えてもらいましたが、練習に費やす時間は1時間や2時間ではありません。
どんどん厳しくなっていく母は、いつの間にか、安心して素直に甘えられる存在ではなくなっていました。
3歳を過ぎてからも、家で折り紙やあやとりで一緒に遊んでくれたり、公園に連れて行ってくれたりしていたと思いますが、私には「親として」よりも「先生として」の記憶がはっきりと残っています。
母は、私がピアノを始めるまでは本当に優しかったと思うし、ピアノ講師としても、誰に対しても丁寧に気長に教える優しい先生でしたが、私を教えてくださっていた先生の教育論も参考に、私にだけは厳しく指導していました。
一方、父は私に平気で危険なことをさせたり、からかったりという感じでいまいち信頼できずにいたので、そのフォローにはなりませんでした。

そのような中で、祖父母の存在は大きかったと思います。
小学校に入ってからも祖父母の家で過ごす時間は多くあり、美術教師だった穏やかな祖父と、洋裁を仕事にしていたおしゃべりが好きな祖母の隣で、絵を描いたり何か作ったりする時間が好きでした。

ピアノは自ら望んで始めたものでしたが、上達する一方で、気持ちがついていけなくなっていました。
それでも、不登校になる頃までは習い続けました。当時は音大一択だと思っていたし、寝食に並ぶピアノがなくなってしまうと、自分がなくなる気がして、辞めるという選択ができないままズルズルと。
かと言って音楽が嫌いになったということは全くなく、曲を作ったりアレンジしたり、大人になってからバンドをしていたこともあって、ずっと音楽は好きだったと思います。
結局ピアノとの縁も切れていませんし、音楽をやっていて良かったとは思いますが、やり方にはとても問題があったと思います。


親との関係 不登校から中退後


私が学校に行かなくなった頃も親は変わらず忙しく、ゆっくり話す時間はあまりなかったように思います。顔を合わせればよく喋ってはいたけれど、肝心なことは話せていませんでした。
変わったのは、高校中退後。「親との関係①」で書いたような経緯でたびたび衝突していましたが、そのうちに、少しずつ腹を割って話せるようになり、17歳の時に親の色々な話を聞きました。楽しい話も苦しい話も。特に高校から大学時代の、自分と同じ年頃の話は印象に残っています。
何故、あれほどまでに異常に熱心に、私にピアノをやらせてしまったのか。親のたどった道を知る中で、その理由も自然に感じられて、受け入れることができ、こちらも10年近くずっと言えないままだったことをようやく話すことができました。(内容については長くなるので、また別の機会に書きます。)

かつて不登校だった頃は、親ははっきり言わないものの私が平日の昼に外出することを良く思っていない様子でしたが、この頃からは親の方から外出に誘ってくれるようになりました。
派手な娘と歩くのは少し恥ずかしかったそうですが、学校に行かなくなった私を受け入れてくれたことには感謝しています。

結局のところ、私たち親子に必要だったのは、関係を取り持つ人ではなく、親子で語る時間でした。
関係の良し悪しにかかわらず、不登校になったお子さんの話を聞こうとするだけではなく、親御さんご自身のことを色々と話してあげてほしいと思います。子ども時代に悩んだこと、仕事の大失敗の話なども、これから生きていく上でのヒントにもなるかもしれません。
それから、子どもは意外と親という人間をよく知らず、理解できていません。
私は、聞いて背景を知ることで、親のいい面も悪い面も理解できたし、受容できたし、それで仲良くなれたと思います。深く知ることによってこちらも心を開くことができて、ただ親というだけで、はっきりとした色をつけられない存在だった人と、新たな距離感で付き合えるようになりました。
親の子ども時代や若い頃の話は、私にはとても新鮮で面白く、何より、親が色々と自分のことを話してくれる時間は、一人の人間として今向き合ってくれているということが感じられて、嬉しかったです。
横並びで、でも心がちゃんとお互いの方を向いて話せたという感覚は、17歳の時が初めてで、色々とぶつけるものもあって泣いたこともありましたが、不思議ととても心地の良い時間でした。
そのうち、私が話す時間の方が長くなり、20歳頃から離れて住むようになってからは、夜な夜な電話で、過去のことから今日のことまで聞いてもらった時期がありました。そうやって、何かを埋めていたのかもしれません。現在は超近距離ですが、一切干渉せずに頼めば協力してくれる、心強い存在です。もし不登校になっていなかったら、今ほど良い関係ではなかったと思います。


今、自分が親になって


程度の差こそあれ多くの人は自分の育てられ方と無意識に闘いながら子育てをしているのではないかと思うことがあります。
私は、長女が2〜3歳の頃、育児でとても悩みました。そして、両親に対して「孫に甘すぎる」と思っていました。
ピアノでスパルタだった母は、怒ることのない優しいおばあちゃんになり、子育てに無関心と思われた父は、オムツ替えも寝かしつけもするおじいちゃんになっています。
子どもの頃のことはもう100%納得できていたはずでした。手伝ってもらえてとても有り難くも思いました。それなのに、自分の幼少期のことが思い出されて、比べて、もやもやしてしまう瞬間があったのです。
私の場合は、もやもやの原因が既にわかっていたこともあって、家族や、子育ての経験が豊富な方と話すことで徐々に解消しつつあります。
ちょっと苦しいですが、イライラ、もやもやのやってくる道を探って、親自身がコンプレックスを乗り越えておくことで、子育てがしやすくなる、楽になるのかもしれないと思います。
私にとっての「不登校の解決」も似たような作業でしたが、理由がわからないままそっと放っておくか、しんどいものと向き合って自分の中で理解しておくかで、その後の生きやすさは随分違ってくると思います。

それから、以前は余裕なくあれこれ心配しまくって育てていました。
一般的によく言われるように、一人目の子どもだからということもあったかもしれませんが、それに加え、長女はやや危険な状態で生まれて後遺症や病弱の可能性を指摘され、生後半年は人混みを避けるように言われていたので、当時「全然心配してない」と言っていましたが、本当に些細なことで心配しました。
それゆえに、本人には親の不安がしっかり伝わり、少しのことで動揺、あらゆることを不安がり、よく泣く子どもでした。
しかし、それも3年間の園生活のおかげで私も娘もずいぶん変わったと思います。子どもに伝わるほど心配しすぎたのは良くなかったと思いますが、それでも取り返しがつかないわけではありませんでした。

子育てや教育に関心があると言うと、気合の入った子育てをしてそうに思われることがありますが、今は良くも悪くも力の入っていない子育てかもしれません。極端な子育てでなければOK、完璧だと思う子育てを目指してそこで消耗するより、私は私の人生を前に進めたいし、何がきっかけで、どんな子育てをしていくのか、今後も色々な出会いで少しずつ変わっていくと思いますが、ひとりの人間である子どもに対して誠実でいて、親である自分自身のことも大切にする。それで十分だと思います。

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