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『モヒカンでバグパイプやってる人』

ビールやウイスキーの業界の中で、このような認知をしてもらってます。そして料理人という認知もあるのかな?以外に料理の方が本業だったんですが、ちょっとしたフックの掛け違いで人生が大きく変わってしまいました。

前に料理が本業と書いたけど、高校生の時から三國シェフの元『オテル・ドゥ・ミクニ』で修業を開始していました。だから当時を知る人にとって僕がフレンチを辞めたという出来事は大きく映ったそうです。
三國シェフの『皿の上に、僕がある。』高校生の時に買った本です。


単身、フランスに渡り当時のパリのビストロ界を賑わせていた『レガラードのイヴ』『シェ・ミッシェルのミッシェル』『カルトゥーシュのパッカン』に師事し、ネオ・ビストロと呼ばれていた名店で仕事をしていました。日本に戻ったら神楽坂でビストロを開店するという夢のため朝から晩まで仕事に明け暮れて充実した毎日を過ごしていました。

ここまではフレンチ一色です。

でも、ある衝撃的事件が起こったんですね。
歴史も大好きでノルマンディー上陸作戦が繰り広げられたノルマンディーの海岸オハマビーチに行きました。
相当の戦死者を出した都とは思えないほど奇麗な海岸が続いていました。
丘の上には墓地がありある団体がそちらに向かって行進をしていました。ある楽器を鳴らしながら・・・

スコットランドの民族楽器『バグパイプ』


あの哀愁漂う音色に一瞬にして心を奪われてしまいました。そして思ったことが『料理を辞めてバグパイプを習得しよう。』僕の悪い癖です。激しくっ頃が動いたときの衝動を止められないということ。直ぐに見た目で一番偉そうな人にコンタクトをとりパリに先生がいないかを聞き出し、すぐに電話をしていました。これが始まり。

◆これまでのキャリア

・16歳 栃木県宇都宮短期大学付属高等学校・調理科 入学
    オテル・ドゥ・ミクニにアルバイトを志願
・18歳 調理科卒業、オテル・ドゥ・ミクニ 入社
・24歳 渡仏
    ・レガラード(La Régalade)パリ14区
    ・シェ ミッシェル(Chez Michel)パリ10区
    ・カルトゥーシュ(Le Repaire de Cartouche)パリ11区
・28歳 帰国
    ・ウォーリアーケルト 東京/上野
    ・タラモア 東京/代々木八幡
・34歳 神楽坂に『 The Royal Scotsman 』オープン 

そして今、42歳で間もなく43歳になります。
料理人としての人生まっしぐらで仕事をさえてもらっていたレストラン、ビストロ共に有名シェフの元で真剣にフレンチを勉強していました。
そう、勉強をしていたという過去形です。今は違うので。

特にパリの時に働いてたビストロの名前を知っている料理人は非常に多い、料理人だけでなくフランスの方にも有名店だ。パリにいた料理人からは羨ましがられたし、今でもビストロ好きな料理人から羨ましがられるような注目ビストロの代名詞的な存在。


特にカルトゥーシュ(Le Repaire de Cartouche)のシェフ・パッカンには本当にお世話になったし尊敬をしています。この2m近い大男は何でも僕にやらせてくれました。初日にいきなりフォン(出汁)を取らせたり、アプリコット100kgをコンポートやドライフルーツにしたり、トライアスロンに連れていかれたり、農場を見に行ったり、いろんな経験をさせてくれた恩人。そして、このパッカンの出身がノルマンディー、僕がバグパイプみ出会った地というなんの因果なのかと思いました。

包丁の代わりにバグパイプを手に。コックコートの代わりにキルトを身に着け新しいフランス生活が始まりました。バグパイプはスコットランドの楽器、だからウイスキーやビールを飲みにパリにあるパブに通い始めました。

実は・・・料理やってる当時からモヒカンだったわけですが・・・(笑)
『緑のモヒカンで刺青の日本人がバグパイプを勉強してる』というようなことがパリで噂されるようになりました。そして有名なTV番組に出たり、ドキュメント番組での密着取材など、知らないところで顔が広がっていきました。パブに行ってビールやウイスキーを片手に飲みかわし、笑い、踊り、そして飲み。こんな生活を繰り返しているときに思ったんです。

ここパリでは僕は外国人だ。
だけど、この人の温かさは何なんだ!?
料理人の時とは感じなかった感覚だ。


この暖かさが料理人だった僕の感覚を大きく揺さぶりました。そして思い始めたんです。

日本に帰ったら、こんな温かいパブを創ろう!


それまでワインばっかりだったのでビールやウイスキーを勉強しよう!
英語はいまいち分かんないから日本語で勉強した方が早いしバグパイプ始めてたから、ウイスキーはスコットランドのものだから関係者と多く知り合いになろうと考え始め半年後に帰国して都内のパブで仕事をはじめバグパイプの練習も毎日河川敷でして、思った通り国内のビアフェス、ウイスキーフェスで演奏を頼まれるようになり現場を見学させてもらいながら交流を深め、知識を増やし2011年12月19日『 The Royal Scotsman 』開店しました。
海外の当たり前同様に全面禁煙でスタートをしました。


PUB(パブ)って何だろう!?


パブ(Pub)とは、イギリスで発達した酒場のことを言って、パブリック・ハウス(Public House)の略とされています。
パブリック・ハウスというと分かりにくいかもしれませんが日本的には
『公民館』というような立ち位置とニュアンスを持っていると思います。

僕がパリのパブで感じた温かさ。それは空気感のようなもの。
知った顔が集まり話をして何とも言えない時間を一緒に過ごし、適当な時間で各々が帰ったり、一緒に次のお店に行ったり、週末には子供ちゃん連れの家族が来て、また別の家族と一緒に楽しそうに過ごしている景色。
それがフレンチをやっていた時以上に『飲食をする空間』というものに魅了されてしまったのだと自分で理解をしています。


そして気が付いたんです。ビールやウイスキー、フレンチをやっていたのでもちろん食事も美味しいものを提供しようと試しました。もちろんお客さまには『美味しい』と喜んでいただけます。ただ、それだけではパブにはなりません。『コミュニケーション』という大切なつながりがパブには必要な項目で、それがあるからパブなんだということに。神楽坂という土地でコミュニティーを創る。それこそが料理人を一歩退いた僕が一番やりたい事なんだということに。

パブという空間、その空気感を大切にして英国の文化を日本でやるわけですが、『文化』としてのパブの認知を広げるというとがとても大切です。

『勝ち(かち)』じゃなくて『価値(かち)』

そして

『競争(きょうそう)』じゃなくて『共創(きょうそう)』

こういう存在がPUB(パブ)という僕の大好きなものです。


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