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思うこと


昨今の運動会なるものが変に凄いらしい。
会社の人から聞いたのだが、一等、二等とかもなければ、赤組白組もなく、優勝もない。運動会の歌なるものもないそうだ。

これは運動が苦手な生徒たちへの配慮なのだろうか?
でも、不思議なのが徒競走はあるそうだ。
配慮ならそれをなくすものではないか?と思う。
また、ならば運動会そのものを開催しなければいい。
一等、二等がなくても一着する生徒がいて、ビリになる生徒はいるのだから。何をもって配慮なのかわからない。
それに、そこって配慮いるのかな?
私は特別運動が出来た方でも、出来なかった方でもないが....
競争心とか、闘争心を芽生えさせると今の子供達はそれほど危険なのだろうか?
競争心、闘争心を宿して一着になる子もいれば、ビリになった怨みで変な復讐心を宿しそれが良からぬ闘争心にでもなってしまうのだろうか?

いずれにせよ、人間は人生のどこかで躓き挫折しズタズタにされるものだ。
その傷を見る度に、人生の深みを知り試行錯誤して生きて行く。


コロナも終息し、飲み会なるものが増えてきそうな気配だ。
私は酒は大好きだが、1人飲みが好きなだけで大勢で飲む行為は大嫌い。

年末は数年ぶりにそんな催し物があるような気配がしている....
さて、今から不参加の言い訳でも考えておこう。

何故、酒の席が親睦を深める代名詞となっているのか、不思議だ。
これは、酒飲み視点でしか考えていない浅はかな親睦手段だ。

強制的参加を募ればハラスメントとなるものだから、飲まない人はその分たくさん食べてもらって....などと言うが、そういう酒呑は飲まない人を理解していない。

体質的に飲めない人もいれば、酒に良い印象を持っていない人もいる。

何よりも、酔っ払いが隣席しているのが一番嫌なのだろうと思う。
さっきまで会社で紳士的だったのに、小一時間も酒を飲むとこれほどまでにだらしなくなるものなのか?
そこに恐怖を感じるのだと思う。
だから、飲まない分たくさん食べてくださいは参加の理由にはならないと思っている。

運動会といい、会社の飲み会といい、配慮の視点がどこか狂っている。

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