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別れ話の隣席で頬張るチョコレートパフェ

自作の自由律俳句を表題に短編を書く。
十九作目。約4,600字。

「別れ話の隣席で頬張るチョコレートパフェ」

「もういい、別れる」

案内された席に座るや否や、穏やかでない言葉が耳に飛び込んできた。
声の主は隣席のカップルの女の子で、向かい合って座る彼女らは何やら揉めている様子だ。
二人とも若い。大学生くらいだろうか。
私の真横に座っている女の子は両膝に手を置き前傾姿勢で、俯いているため髪に隠れて表情は分からない。

「なんで」

椅子の背にもたれ憮然とした表情の男の子が、短く返した。女の子に向かい合って座る彼の表情は、私の位置からもよく見える。
その顔からは「めんどくせえな」というメッセージが明確に読み取れた。

「コウスケはアイカのことなんてどうでもいいんだよ。アイカもう疲れた」
「どうでもいいなんて言ってないでしょ」
「言ってないけど、でも、コウスケはアイカより友達の方が大事なんでしょ」

彼女、アイカちゃんっていうのか、一人称が自分の名前の女子、久々に遭遇したな。などと懐かしいような気持ちになっている私のもとへ、店員がやってきた。
メニューを見るまでもなく注文は決まっている。

「チョコレートパフェ、フルーツ抜きで。あと、ブレンドお願いします」

注文を復唱し去って行く店員を見送り、私は麗しのチョコレートパフェに思いを馳せる。

この店は私のお気に入りだ。
糖分への抗いようのない欲求を抱えた状態で出会ったこの店のチョコレートパフェ(フルーツ抜き)は、まさに青天の霹靂であった。
ふらふらと一人で店に入った私がどのような感情を抱えていたかについての記憶は定かでないが、身体が暴力的に甘いものを欲していたことは確かだ。
メニューの中で一番甘そうだったチョコレートパフェを指さしながら、

「あの、フルーツ抜きって出来ますか…?」

と口走ったあの日の私は、恐らく脳みその片隅が痺れていたのだろう。
ダメ元の質問だった。しかし口にした瞬間、心の奥底からフルーツ抜きのチョコレートパフェ(アイスと生クリームとチョコレートソースの集合体)への欲望が湧き上がってくるのを感じた。渇望と言っても良い。
『フルーツが無くなった分、ボリュームが落ちても良い、代金もそのまま払う、なんなら上乗せしても良い』と畳みかけそうになった私に、無表情のまま

「出来ますよ」

と言った店員はそれ以上の言葉は発さず去っていった。

果たして私のもとに給仕されたチョコレートパフェ(フルーツ抜き)は、想像以上願望通りの代物だった。
単にフルーツを取り去っただけではなく、本来フルーツが配置されるべき場所全てがアイスと生クリームで埋め尽くされ、余すところなくチョコレートソースがかけられていたのだ。
底にあるコーンフレークの量も、嵩増しした様子は全くなかった。

冷たく甘いものにチョコレートソースをかけたものと、生ぬるく甘いものにチョコレートソースをかけたものを交互に口に運ぶ。
片隅にあった痺れが脳みそ全体に行き渡るまでそれを繰り返し、冷たさで舌まで痺れ切ったところでコーンフレークをかみ砕く。

痺れた頭部に振動が心地良い。甘さで思考停止した私の顎骨だけが無心に動く。
甘い。それだけが重要で、美味いか否かは当然問題にならない。

全て平らげる頃には甘さすら感じ取れないほどに脳も舌も麻痺している。
無我夢中で全てを飲み込んだ口に、若干酸味が勝っているブレンドコーヒーを流し込む。
ここでようやく、とんでもなく甘いものを摂取したのだという感慨が浮かぶ。

ああ、甘かった。甘いだけのものだった。

ほんの数分前に感じていた、焦燥にも似た糖分への欲望はすっかり消え去っている。
それと一緒に、糖分を欲した原因となったはずの出来事も記憶から跡形なく流れ去っている。
甘さに殴られ踏まれ沈められ、もはや「甘い」以外はどうでもよくなった私がぽかんと座っている。

ああ、甘かった。

満足して会計へ向かうと、なんとお値段そのまま。
かくして私はこの店のチョコレートパフェ(フルーツ抜き)のリピーターとなったのであった。

この店のチョコレートパフェ(フルーツ抜き)と出会う前の私はどのように糖分への欲求を満たしていたのか、今はもう思い出せない。
むしろこの店のチョコレートパフェ(フルーツ抜き)と出会ってしまったが故に、私の脳には「暴力的な甘さ要求」スイッチが出来てしまったのだとも考えられる。

重要なことはただ一つ。
定期的に暴力的な甘さを摂取したくなる私に、この店はそれを提供してくれる。
これだけだ。


甘味に殴られる甘美な瞬間を夢想していると、またも隣席の会話が耳に飛び込んできた。

「そうやってすぐ別れるとか言うの、やめてほしいんだけど」
「すぐ?すぐってなに?コウスケ、冗談だと思ってるんだ?やっぱり全然話聞いてないんだね」

私がチョコレートパフェ(フルーツ抜き)との出会いを回想している間に、カップルの状況は修復不可能な領域へ近づいていたようだ。
二人とも、徐々に声量が増している。
今はまだ混みあった店内のざわめきに紛れているが、このままいくと店中の視線を集めることになりそうだ。

「冗談っていうか、脅してるよね、俺のこと」
「は?なにそれ。アイカが悪いってこと?」
「悪いとかじゃなくて。何かあるたび『別れる』って騒がれるの、正直疲れるんだけど」

女の子の方が黙り込んでしまった。
これは泣いちゃうかな、と思いちらと目をやると、好戦的な表情を浮かべている男の子と一瞬視線がかち合った。

ああ、と思う。
相手をやり込めることに快楽を感じている目だった。
私はこの目を知っている、そう思った。
嫌なことを思い出しそうな予感がして、すぐに視線を逸らした私は二人の会話を意識から追い出そうとしてみる。が、真横の席だ。完全に締め出すには近すぎる。

「ずっと思ってたけど、コウスケって、アイカのこと馬鹿にしてるよね」

女の子の声が、わずかに低くなった。泣き出すかと思っていたので少し意外に感じる。

「なにそれ。別に馬鹿にしてるわけじゃないよ。ただ俺は、不満をぶつけるのに『別れる』って脅すのは卑怯だって言ってんの」
「ねぇ、なんでわかんないの?今アイカが言ってるのは、脅しじゃないよ」
「え、」

ああ、これはもう完全に別れ話だ。痴話喧嘩ではなくなってしまった。
思わず天を仰いだ私に、天使の声が降り注いだ。

「お待たせいたしました。チョコレートパフェ、フルーツ抜きです。ただいまブレンドコーヒーもお持ちしますので、少々お待ちください」

「ありがとうございます」と言いながら思わず深々と頭を下げてしまう。
顔を上げると、麗しのチョコレートパフェ(フルーツ抜き)が、空恐ろしくなるほどの迫力で目の前に鎮座している。
両手を合わせて黙礼し、さっそくアイスの山にスプーンを突き立てる(もちろんチョコレートソースがかかっている部分へ)。

間もなくブレンドコーヒーを運んで来た店員が「ごゆっくりどうぞ」と言い置き去っていく。カップルには見向きもしないその後ろ姿に黙礼する。

隣席では、更に低くなった女の子の声が流れている。

「本当は別れるつもりなんてないのに、『別れる』って言えば焦って謝ると思ってそう言ってるんだ、ってコウスケは言いたいんでしょ。違うから。アイカは本当にコウスケと別れたいから言ってるんだよ。なんでそんなこともわかんないの」

あらら、アイカちゃんキレちゃった。どうするコウスケ君、彼女本気だぞ。

脳内で無責任な実況をあてながら、口腔内に広がりゆく甘さと冷たさと微かなチョコレートの香りを堪能する、飲み込む、次は、生クリーム。
チョコレートソースごとスプーンに目いっぱい掬う。

「コウスケは、アイカが本気で別れたいなんて言うわけないって思ってるから、そんなことが言えるんだよ。それってアイカのこと馬鹿にしてるよね。だいたい、その自信はどこからきてるの?今までのケンカは全部アイカが悪くて、ワガママ言ってるだけって思ってるんでしょ。適当に謝っておけばいいやって思ってるの、隠せてないからね。そういうのほんと最低だよ」

うーん、コウスケ君、何も言い返せなくなっちゃったか。
アイカちゃんスイッチ入っちゃってるなぁ、これは長引きそうだなぁ、と考える私の口の中は生ぬるい甘さで埋め尽くされている。
アイスで冷えた口の中は、クリームの温さが油っぽい甘さを際立たせる。アイスの数倍甘く感じる不思議。

「さっき『何かあるたび別れるって騒ぐ』って言ったけど、アイカが別れるって言ったの今日で二回目だよ。この前言ったときも、本気だったんだよ。それも分かってないのに、毎回言ってるみたいな言い方すんのほんと腹立つ。コウスケはアイカのこと、そういうこと言う女子だって勝手に決めつけて見下してるんだよ。もうほんとに無理だから」

アイスの方が量が多く生クリームの方が甘く感じるので、アイス、アイス、生クリーム、の順番に食べることにする。
甘い、甘い、超甘い、の順番である。
頭部の痺れが広がっていく。

「俺、馬鹿にしてるつもりなかった。アイカが本気で言ってるって気づかなくてごめん」
「無自覚って一番サイテーだから」
「ごめん」
「あのさ、この前も別れるって言ったら謝ったじゃん、でもなんにも変わんないじゃん。嫌だって言ってるのに女子の家で飲み会したり、合コン行ったり、友達と遊ぶからってアイカとの約束ドタキャンしたり。それでアイカが怒ったらワガママなめんどくさい女、って友達に愚痴るんでしょ。コウスケがずっとそうなの知ってるし、直らないのももう分かったから。だからもう謝らなくていいよ」

あちゃー、コウスケ君、これはもうダメだ。っていうか君、けっこうやりたい放題だったんだね。

甘い、甘い、超甘い。

そしてアイカちゃん、君は、コウスケ君のことが好きだったんだねぇ。

甘い、甘い、超甘い。

本当に好きだったけど、でも、別れるときは自分の気持ちをきちんと言えるんだね。格好いいなぁ。

甘い、甘い、超甘い。

私は、思ってること、なんにも言えなかったな。

唐突に浮かんだ思いに胸が痛んだ瞬間、痺れの浸食速度が加速した。
思考停止、甘い甘い甘い。

切り崩し飲み込み痺れる、を機械的に繰り返し、思考も舌も感覚が薄れてきた頃ついにコーンフレークが見えてきた。
残りのアイスと生クリームとチョコレートソースを全てコーンフレークと混ぜ合わせ、勢いよく噛み砕く。

「コウスケのこと好きだったから、色んなこと我慢してたけど、疲れたしほんとに無理。もう連絡しないで」

がりごりがりごり顎が鳴る。
痺れたまま振動する頭、視界、世界。
「甘い」だけの世界がやってきた。
もはや私自身の意思から離れた何らかの力に操られるようにして、スプーンを握った手と顎骨だけが動き続ける。

がりごりがりごりがりごりがりごりがりごりがりごり

ひとかけらも残さず全てを飲み込むと、スプーンを置いた手をコーヒーカップに伸ばした。

一口飲んで、ふう、と息をつく。
麻痺した舌の上を温かな液体が通過し、苦みと酸味が残る。
ふと隣席に目をやると、そこにカップルの姿は無かった。
先刻までの別れ話さえもぼんやりとした記憶になり果てていて、そのことに特段なんの感情も湧かない。
糖分による思考停止、素晴らしく暴力的な甘さ。

現世ではもうこれ以上の幸せは見つけられないかもしれない、と考えて、私は何とも言えない多幸感に包まれた。
そしてまた「甘い」以外どうでもよくなった私が、ぽかんと座っている。

ああ、甘かった。

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