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掌編小説集:四つの滅亡

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サークル活動の一環で、テーマとページ数が制限された小説を書いた。
それら四作品をここにまとめている。

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世界の終りと……ワンダーランド


 朝がた、電話があった。窓辺のところで、愛用の黒電話がちりちりと鳴った。僕は朝を楽しんでいるところだった。実に心地よい日で、湿ったそよ風がふき込み、鉢植えのトマトは緑の色に輝いていた。
「まただよ」相棒は開口いちばんそう話す。「世界が終るってさ」疲れをにじませた声音でそう話す。
「おはよう」と僕。
「十一時でいいな……先生のとこの、門の前で待ってるからさ」
「たまには趣向を変えない? そう。舟に乗り込んで、緑色の夏風といっしょに訪ねてみるとかさ」
 がちゃりという音がして、電話は切れてしまう。
 愛用の黒電話からは愛想ない通信がぶーん、ぶーんといって響き渡る。
 やれやれ。

 僕が先生の家にやってきたとき――すでに約束の時刻を回っていた――相棒は妙だった。僕が舟で空をこいでいるときから、そのおかしな様子は見えていた。車寄せに舟をとめると、相棒は僕に声をかけてきた。その話しぶりから不安の思いがはっきりと読み取れた。相棒は「鍵がかかっている」と言った。「ほら」と言ってそのガラス戸をつよく揺さぶった。たしかに、そこには鍵がかかっていた。がちゃがちゃ音を立てるばかりだった。先生のように陽気な音を立ててひらくあの感じは今はなかった。
 鍵がかかっているだけじゃないか。僕はそう言う。おおかた昨晩の神の会議で飲んだくれて、ぐうぐう眠っているだけでしょって。そう、にこやかに話してみる。
 相棒はうつむいている。
 それから二人して先生に呼び掛けた。まずは大声で。先生。先生。しばらくして、もっと大きな声で呼びかけた。先生。先生。
 途中から、相棒は叫んでいた。先生。先生。先生。先生……
 少々荒っぽいし、あとで謝らなくてはならないことは承知のうえで、僕らはベランダまで飛びあがり、窓を割ってリビングに入った。けれど、部屋はしんとしていて、湧いたケトルも、焼き立てのパンも、優しい音楽もなかった。電気もついていなかった。そこは薄暗い。冷たく、乾いている。
 僕たちは家中探し回った……玄関口、寝室、サンルームに客間……どこにもいない。
 先生の電話を借りて、他の天使に訊ねて回った。「すいません。わたしたちの神様のことですが」……誰も何も知らなかった。
 夕日が差し込むころになると、考えたくないが、それを事実として認めざる得なくなっていた――神は生を全うした。幾度も防がれてきた世界の崩壊は、今や避けられぬさだめにあると。
 夕日が沈んでも、皮肉なほどに美しい月光の時刻になっても、相棒はずっと先生を探し続けていた。声を張りあげ、家財を打ちこわし、泣きじゃくりながら何度も何度も家中をあらためていた。最後の日の出をまえに、相棒は僕のそばへやってきた。優しく抱き合い、言葉のあとに、二人して眠りに落ちた。

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一般国道2号

「ほら、見えますか」
「あれが、『岩』ですよ」
「そうですねえ。いろんなふうに呼ばれますよ……『神戸の岩』だとか、『長田の祠』だとか」
「このまえ、海外のかたもいらっしゃいましたよ。あの岩を見るためにです」
「からだが大きくて、眉毛が太くて、西洋人の、あのにおいがするかたを、です」
「その西洋人のお客さんは英語でわたしに話しかけてきましたんですよね。運転してるあいだずっと。野太い、けれどはきはきとした声でたくさん」
「ただ、わたしは英語がさっぱりなものですから、黙っていたんです」
「そのかたは寂しそうにも見えましたね」
「悪いことをしたなと思いますよ」

「西洋人のお客さんは、あれを『ストーン』と呼んでいました。緊張したふうで、ゆっくりと」
「そんなもんなんですかねえ」
「わたしどもは、『岩』と呼んでいるばかりなんですが」
「そんなに神秘的なものなんですかねえ」
「八百万の神とは言いますがね、わたしどもにはやはり『岩』としか思えんのです」

 梶岡さんは速度を落として、タクシーをとめた。わざわざ外に出て、エスコートするようにドアを開けてくれた。「こちらです」と言ってずんずん歩いていき、巨岩とその周辺が見渡せる小高い丘へと案内してくれた。
 大阪から見えていたのと同様に、巨岩はやはり天に向かってそびえていた。
 野蛮、神聖、不吉、予言。人に意味を与えられるあの巨岩が、積乱雲を、夏の青空を寸断していた。
 僕は丘のうえから写真を撮った。それから持参したおにぎりを取り出し、ひとつを梶岡さんに渡した。梶岡さんは驚いて、それからすごく嬉しそうに笑った。「こういうの、好きなんですか?」と訊ねると、「大好物なんですよ」と言って、笑った。
 二人で黙ったまま巨岩を見やり、おにぎりを食べた。それから僕は梶岡さんにインタビューをした。岩がせりあがってきた、あの晩は何をしていたのか。翌朝、町はどんなふうだったのか。梶岡さんは巨岩をどのように思うのか。
「差異はあれこそ、世論と同じように、終末論を支持しているんですか?」
「今井さんはどう思うんです?」梶岡さんは低い声音をして、不意にそう言った。
 急なことで、驚いてしまって、目を見開いた僕は、数瞬黙っていた。
 すると梶岡さんは笑って、言った。
「今井さんと同じように考えてますよ。わたしどもはね」

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期待

 ある日、人類は絶滅した。
 正確に言えば、すべての人が死んでしまったのだった。なんの前ぶれもなく、まったく突然に死んでしまったのだった。死んだのだった。すべて。にべもなく全滅したのだった。
「あの世」に集まった世界中の人々はざわざわしていた。そう、体育館に集められた小学生のように。
 小声でささやきあったり……しきりにだまりこんだり……
 なんだかとりとめない感じ。
 そんな中、森本さんが声をあげた。
すいません!」と、わりと大きな声で言った。
どうして死んでしまったんですか!」と、ちょっと小さくなったけど、それでも大きめの声で言った。
すると、悲しげなホーンが鳴って、アナウンスが告げた。
《いま確認しますので……少々お待ちください》
 それで、森本さんと世界中の人々は静かになった。体育座りの姿勢になって、出生番号順に並んで、少々待っていた。
 すると神が出てきて話した。
《明日夜の予定だったんですけど、間違えてしまいました。今すぐお返ししますね》
 生き返った森本さんと世界中の人々は、まず顔を洗った。朝だったからだ。
 つぎに、森本さんは、ソファにかけて妻と情報番組を見た。朝食はフレンチ・トーストだった。
 森本さんが出勤すると、社内は今夜の終末のことでもちきりだった。
「今夜なんですか?」「いや、わたしもよく知らないんですけど、たぶんそうなんですかね?」「そうですよね」「ええ、たぶんそうですよね?」


 森本さんは、帰ると、まず換気扇を回した。ぶんぶんぶんぶん……
 風呂掃除をして、それから作り置きの夕食をレンチンした。豆とポテトのサラダ、しょうが焼き。
 テレビを見ながら、もぐもぐとそれを食べた。さいきん引っ越してきていて、こっちのスーパーでは豆が十円くらい高かった。
 八時ごろに、森本さんの妻が帰ってきた。森本さんは「残業おつかれ」と言ってコートを取り、夕食を並べた。妻は豆を、森本さんはサッポロを飲みながらテレビを見た。
 今日の皿洗いで、いつも通りじゃんけんをした。妻が勝った。森本さんは負けた。
 森本さんが皿を洗っているあいだ、妻はお風呂に入っていた。交代で森本さんも入った。
 髪を乾かして、二人してベッドに入って、「今夜どうなるんだろうね?」と話をした。
 森本さんは言った。「今夜っていう話だったけどね?」
「そうだったよね?」「たぶんね」「たぶんそうだよね?」「そうだと思うよ?」「そう言ってたからね?」

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内戦


 そいつは飯どきにやってきた。ジム・ビームを飲んでいるときに。
 すごく大きな声で「いますか?」と言った。無視して野球中継を見ていると「いますよね!」と聞こえてきた。「だってテレビの音が聞こえてきますから!」そう言った。
 明日世界が滅ぶんですよ!
 攻守交代の、CMのときに、玄関まで歩いていき、丸っこくてつぶらなドアアイからのぞいてみた。するとそこには誰もいなかった。ドアをあけてみて、アパートの廊下を見渡してもいなかった。

 つぎの日もそいつはやってきた。冷凍ナンを食べながら、ハイボールを作っているところだった。そいつはドンドンドンと叩いた。ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン
 明日世界が滅ぶんですよ!
 ハイボールを片手にドアまで歩いていく。ほんとに小さいその覗き穴から、向こうを見やる。そこには男が立っている。身長の低い、太った男。肌の白い、禿げあがった男。ピチピチのTシャツに、赤い帽子。ニューヨーク・ヤンキースの真っ赤な、真っ赤なキャップ。マスクはしていない。
 ドアにしっかりチェーンをかけてから、少しあける。そいつと目が合う。見開かれて、むき出しになっていて、ぎらぎらした、目やにだらけの目と。
 明日世界が滅ぶんですよ!
 そいつは言う。こんなに近いのに、まったくの大声で。つばが飛んでくるのがわかる。ふうふう、息を立てている。
 ドアを閉める。ドア越しにも繰り返し話している。

 翌朝、早起きした。ソファに寝て、テレビをつける。そして部屋を片付けよう、そう思い立つ。
 ゴミだらけで足の踏み場のないリビング。
 ペットボトルとビールの空き缶が放り込まれたシンク。
 物置になってしまって、使えなくなった浴槽。
 すべてを……片付けていく。集中する。テレビを消して、集中する。深く深く集中する。ごみをスーパーの袋に放り込む。フェイスタオルをぞうきん代わりにする。錆びついていた窓を開け放ち、空気を入れ替える。早朝のひんやりとした、清麗な大気が、部屋中に広がり、すべてを満たしていく。
 片付けながら思う。今日はまだ酒を飲んでいないと。こんなに集中したのはいつぶりだろうと。
 昼時になって――すべてを片付けられたわけではなかったけれど――ソファにかけて、野球中継のチャンネルにあわせる。汗だらけの顔を洗って、水を飲む。ジュースを用意する。クッキーを用意する。
 そして待つ。そいつを待つ。
 夕方ごろまでそうして待っていた。その声を。大きな声を。太った身体を。滅亡の話を。

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ここに並んだ「四つの滅亡」。
あなたはどれが好きだろうか? 
もしも、楽しめた作品があったのなら、優しい言葉で教えてほしい。

僕は内戦が好きでたまらないよ。

「世界の終わりと……ワンダーランド」、「一般国道2号」、「期待(元は「夜に」という題だった)」は、すでにnoteにアップロードしていた。しかし、改稿と、どうせなら四作品まとめておこうという考えから、初期に公開していたものを非公開にし、このようなかたちで再度公開している。


以前公開していたものに「スキ!」をくださった方々、ありがとうございました。また、僕の作品を読んでくれる方、そして「スキ!」を押したりコメントで感想を書いてくれたりする方々には、いつもとても感謝しています。ありがとうございます。

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