見出し画像

短文小説紹介 #1

概要

 このごろ、僕は自分のTwitterアカウント(@OnishiHitsuji)で小説の紹介をしている。とくに誰に向けたものというわけでもないのだが、書いていると楽しくなれる。もちろん読んでくれる人がいれば嬉しいし、それら小説で楽しんでくれるといいな、とも思う。
「大西書評堂」でも似たようなことをしていた。だが、あちらは書き込みが激しいあまり、体力と時間を消耗してしまう。実際、それがいやになって筆が止まってしまった。ああして作品の文体を意識しながらやってみることは経験として素晴らしいことはそうなのだが、学業や就活が落ち着いたいまは自分の作品を書いていたい。
 そういうわけで、ここでは僕がTwitterに投稿した小説紹介を、微調整はするが、おおむねそのままのかたちで張り付けている。べつにTwitterを見てもらいたいという欲はないから、noteの人はここで読んでもらえればそれでいい。Twitterで見ているという人は逆に読まないでもらってかまわない。


001-森鴎外「寒山拾得」

 ごく短い作品でありながら、強烈な香木のにおいに包まれているような、独特の雰囲気をもつ短編。
 じつに軽快なリズムで進み、最後には読者を大きく突き放すようでもある。しかし、読み返してみればその意図はおのずとわかってくるだろう。
 また、「寒山拾得縁起」という題で、メタ的な視点から「寒山拾得」の読解についてひとつの料簡を提案している。
 読んだうえでの感覚はじつに鮮烈な、それでいて歯切れのいいものだった。とくに日本語文学科に所属する人にはお勧めできるものではないか。量もごくわずかなので、晩御飯のあとなどに腹ごなしとして読んでみるのもいいだろう。

002-ガルシア=マルケス「この村に泥棒はいない」

 マジック・リアリズムの先駆者で知られるガルシア=マルケスだが、この短篇で見られるように震えるような人の繊細さを取り上げて表現することもじつに巧みである。
 彼の著作には短編が多いが、それでもこの作品を特に優れたものとして挙げる人も多いだろう。村の一員でありながら、貧乏から盗みをしてしまった一人の男。彼の逡巡と、悪夢のように広がる現実世界の実際的な混乱。ぐったりと重たく、影を投げかけるように鋭い小説を読みたい方におすすめできる。加えて、文章が文句なしに上手い。

003-リチャード・ボーシュ「世界の肌ざわり」

 文学というのは、いわば震災の風景である。そこには自然の力強さがある。人間の無力さがある。普段の傲慢なふるまいを咎めるものとして見ることはできるが、やはり痛々しい。見ていてつらくなることもある。
 文学はそのような性質をもつ。しかし、「世界の肌ざわり」はへんてこで、心地よく僕らを裏切ってしまう。
 ぽっちゃり気味の少女にまつわる、小さな挑戦。その周囲にひそむ影の気配と希望の香り。この作品は実際にやわらかな現実世界を、うまく小説に落とし込んでいる。普段文学作品は手に取らないという方におすすめできる作品。

004-フリオ・コルタサル「南部高速道路」

 バカンスあとの季節。パリへ続く高速道路で気怠い空気が流れている。誰も彼もが車のなかに閉じ込められ、渋滞のために逃げることもできない……そして、渋滞はなぜか終わらない。次の朝になっても、その次の夜になっても……
 バカンスの終わり、日常への帰還の中途で、世界は急に速度を落としてしまう。高速道路と車という不可思議な閉鎖空間のなかで繰り広げられる怒涛の物語。苦い夢のようなファンタジー世界に、わたしたち読者は力強くひきこまれていく。読み易く、万人にお勧めできる良短篇。車とアスファルトの世界に、わたしたちは何を読むことができるだろうか?

005-マクシム・ゴーリキー「二十六人の男と一人の女」

 白パン焼きは重労働だ。搾取され、痛めつけられている二十六人の男たち。彼らは半地下のパン焼き窯の小部屋で毎夜せっせとパンを焼く。それはむごいことである。白パンはそんな彼らを突き放すようにやわらかで、尊く甘い。
 そんな彼らの唯一の救いが、毎朝パンを取りにやってくる小間使いターニャ。彼女の微笑みのひとつが男たちを勇気づけ、漲らせる。
 これはそんな微妙でほがらかな世界で起こる変化の話。
 日本文学者に影響を与えたことで知られるゴーリキーのその技の集大成ともいえる作品だろう。ロシアの、あの人間性に根ざした奇妙な雰囲気も味わえるものとなっているから、ぜひ手に取って読んでほしい。

006-ジェイムズ・サーバー「先生のお気に入り」

 朗らかな秋の日。老いた大学の女教授が詠んだとある詩に、ひとりの女生徒は惚れこんでしまう。
 そんなロマンスのような情景から始まる本作。文学を専攻しているわけでもなんでもない主人公の女生徒と、謎の多い大学の先生との奇妙な関係を描く物語。夢の溢れる詩の運びとは違って、つめたく刺すように展開されるリアリズムのその並びに、僕たち読者はびっくりしてしまう。
 ふんだんな皮肉に彩られた良短篇。少々込み入っているきらいはあるが、どんな形でも文学を志す人にはお勧めできる内容ではないだろうか。

007-リック・バス「見張り」

 アスファルトの滑らかな道路に突き出したそのぼろ家で、かれらはコーラを飲んでいる。ひとりはずいぶんふけこんでいて、もうひとりはずいぶんくたびれて見える。かれらはむっつりと黙ったままでからっぽの道路を見つめ、やはりコーラをごくごく飲んでいる。
 ここだけの話、この二人は親と子だ。
 あるとき、自転車の集団がやってきて――びゅんびゅん走り去って――最後のひとりがそのぼろ家に立ち寄る。錆びついた自販機でコーラを買う。そのことで男たちはもだえるように興奮する。
 夏の、気怠くぐったりとする暑さのなかで描かれる幻惑の現実の物語。中編の本作にはわたしたちの生き方を鋭く皮肉る力がある。

008-トルーマン・カポーティ「銀の壜」

 カポーティはじつに可愛らしい。子どものような無垢さを抱えている。「イノセンス」という語でそれは表現され、カポーティを語るさいにはついて離れない。
 これはそんな「イノセンス」を巡る、いわば「正」の側の物語。小さな子どもと、その子が見やる世界の景色からなる鮮やかな世界。絵本のような優しい展開がじつに心地よく馴染む作品。読んでいて、ごく純粋なままで嬉しくなれる素敵な短篇だ。

009-村上春樹「納屋を焼く」

 主人公である僕は友達の結婚式で彼女と仲良くなった。
 彼女はパントマイムの先生のもとで修業をしている。
 バーで飲んでいるとき、彼女は空白の空間からみかんをとりあげる。虚構のみかんを丁寧にむいていき、自分の口にむけて放り投げる。彼女はそれを延々とやっていて、僕はそれを延々と見ていられる。
 そのような奇妙な話から始まる、村上春樹らしいひとつの短篇。彼女と僕との関係、そこにあらわれる謎の多い金持ちの男。彼は納屋を焼いていると話す。「ときどき納屋を焼くんだ」
 現代の日本にその設定を求めながらも、心地よく展開される村上春樹のファンタジー。「納屋を焼く」はそんな魅力が色濃くあらわれた作品だろう。ぜひ読んでみてもらいたい。あなたにとって、特別な体験になるかもしれないから。
 2018年には韓国で映画化もされている当作品。話の道筋もそこそこ変わっているようなので、小説と比べる楽しみもあるだろう。

010-ハン・ガン「菜食主義者」

 韓国の映画。みなさんは昨年話題となった「パラサイト」を見ただろうか? 僕はあれを見たのだが、じつに面白い作品だった。
 韓国の文学。ハン・ガンの「菜食主義者」は「パラサイト」と同様に、その韓国らしさを感じられる作品だろう。日本と似たようで、しかし同じでないその社会。過度な競争、家族との歪み。そのような韓国らしい要素が踏まえられながらも、なぜか新鮮で、嫌みのないこの小説。主人公である女を巡る、肉と貪欲の物語。自己と社会に境界が形成されつつも、自己の内側の清純さが強要される現代における鮮烈な血の物語。海外の小説を読むことは、じつに新しい知見をわれわれに与えてくれるのだが、このような現代における韓国の文学はいっそう強いインパクトがある。最近の読書や生活に退屈しているのなら手に取ってみて欲しい。

おわりに

 とりあえず今回は10日分をまとめている。やはり好みがあって、海外文学が多い。日本の小説ばかり読む、という方がほとんどだと思われるのでぜひ新しい世界に挑戦してみてもらいたい。
 このなかではコルタサルの「南部高速道路」がお気に入りだ。読んでいて度肝を抜かれた。椅子から転げ落ちた。本当だ。
 季節が五月となった。素晴らしい葉桜の候だ。産まれがこの月ということもあり、僕はいたく五月のことを気に入っている。もちろん寺山修司のあの詩集も好きだ。季節のことだけでなく、彼の感性もとても面白い。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?