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記憶のなかの台湾旅〜台湾の鉄道に乗る〜

※これは2019年に一か月かけてゆっくり台湾を一周したひとり旅を振り返ったエッセイです。

台湾の鉄道に乗る

 
台湾に来て四日目の朝、重い腰を上げてついに三日間拠点としていた宿をチェックアウトした。宿という拠点を失うと、なんだか足場を失ったようで急に不安になってくるものの、次の宿は昨日の夜にアプリで予約してある。今日は台北を出て南下する。次の町へ移るのだ。

 台湾の鉄道には台北内に張り巡らされた地下鉄とはまた別に、台湾を大きく海沿いに一周する台湾鉄道が走っている。今回の旅ではそれに乗って反時計周りにこの島を巡るつもりだった。普通の鉄道よりも早いいわゆる新幹線の高速鉄道もあるのだが、台北から高雄までしか走っていない上に駅が市街地と離れていて不便ということで却下になった。
 何よりゆっくりローカル線に乗り、窓から景色を眺める時間というものを大切にしたかった。それこそが旅のロマンというものだろう。

 台北駅で新竹への切符を切符販売機で買った。例の悠々カードも使えるようだったが、手元に切符を残しておきたかったので都度切符を購入することにした。乗る予定なのは普通列車ではなく特急列車だったので席は指定席で、切符に席番号が記載されている。ホームに降りて列車を待っていると、アイボリーと紅の昔懐かしい色合いの列車がやってきた。あとで調べたところ、台湾の鉄道の殆どは日本で昔使用していた車両を使っているらしい。

 平日だというのに列車内は遠出する人々で溢れていた。台北の地下鉄で飲食をすると罰金があるが(なのでホームの列車内もいつも綺麗)鉄道にはそういった決まりはないようで、駅で売っていた駅弁で早速腹ごしらえをしている人が沢山見受けられる。

車内は日本の新幹線に似てる

 切符に書かれた車両の席まで行ってみると、私の席にはおばあさんが、隣には息子が座っていた。周りと同様に二人とも駅弁を食べながら談笑している。う~んどうしよう、声をかけてもうまく伝えることが出来るだろうか…変にトラブルになったらやだな…そんなことを考えながら立ち往生していると、近くの席に座っていた若い男の人が声をかけてくれた。私が日本人だとわかると、スマホの翻訳アプリを使ってミュニケーションを試みてくれた。

 私が切符を見せると、埋まった席を見て合点がいったのか、男性は私の席に座ったおばあさんと息子に声をかけてくれた。おばあさんと息子も特に気を悪くした様子もなく「おっとごめんね~」と軽く謝り息子は席を離れ、後方の椅子がない方のスペース移動へとした。私は助けてくれた男性に心から感謝し、やっと席に座り一息つくことが出来た。
 いつの間にか列車は台北の街から脱出したようで、窓の外の風景からはビルが消えて、代わりも少し埃っぽい街並みが広がっていた。

遠くに広がる台北郊外の街並み


新竹の風と日本の残り香

 出発前に読んだ台湾旅行記で、新竹は風が強いと書かれていたことがやけに印象的だった。なんでもその風の強さを使って乾燥させたビーフンが名物なのだとか。どこまで本当なのかはわからないが、風の強さはまさしく本当だった。

新竹の駅、左の木から風の強さが分かる

 意外と都会だった新竹の駅前に出ると、その風の強さに圧倒される。風で日傘が裏返ってしまうので差して歩けないほどだ。日差しは一向に強いままなのに日傘が差せないなんて、なかなかハードな環境である。そしてバイクが多い。台北では車の合間合間にバイクがいる程度の割合だったのに、ちょっと郊外に出てみるとバイクバイク時々車といった風に見事逆転した。押し寄せるバイクの波を見て、台北にいるときには感じられなかったタイベトナムあたりの東南アジア感を、やっと感じることが出来た。

新竹の街並み

 ホテルのチェックイン時間が夕方からだったので、スーツケースだけ先に預けて街を散策することにした。といってもこの街の見どころが何なのかはまったく知らないままだ。困ったときは「館」の着く場所へ行けばいい、と過去の自分からの教訓でろくに調べもせずにホテルから少し歩いた「映像博物館」へ行ってみた。休館だった。ええい、こなくそ、と市民美術館となる建物にまた歩いて向かってみる。見事休館だった。

 当てにしていた「館」が軒並み休館だったことにより、灼熱の日差しの中強風のせいで傘も差せずに私は呆然と立ち尽くした。このままでは熱中症になりそうだ。こうなったら駅前のスタバで涼を取るしかないと駅に向かって戻ろうとしたところ、なんとも不思議な建物を見つけた。

 東南アジアの埃っぽいコンクリートの通りに唐突にあらわれたのは、日本の古民家としか呼びようのない木造の家だった。中庭では竹やぶが涼し気に風と踊っている。入口には何やらメニューが書かれていたので中はカフェになっているらしいことがわかった。私は吸い込まれるようにその庭に入っていき、中庭を抜けて母屋の入り口を開いた。

 中も外観に負け劣らず木造のレトロお洒落な空間で、中央に置かれたレコードからは昔の外国の歌が流れていた。タロ芋牛乳を頼み、窓側の席に座って置かれていた日本の雑誌を読んで涼んでいると、ここが台湾であることを忘れそうになる。この居心地の良さはなんなんだろう。日本人の血がこの雰囲気の中の懐かしさに反応しているのだろうか。

まるで日本の古民家カフェ


 そもそもなぜ新竹 の街中に日本式の古民家があるのか。調べてみると、ここは昔統治時代に新竹中学校の校長先生だった日本人が住んでいた家とのこと。その後日本が台湾から撤退してからも史跡として一般公開しているらしい。カフェ部分はその母屋でリノベーションして作られたそうだ。

 日本と台湾は歴史上関係が深いことは知っていたが、こうやって異国で自分の国の一面に遭遇するとなんだか不思議な気持ちになる。ちなみに校長先生とその家族が住んでいた様子を再現した本宅を見ることも出来た。入口で名探偵コナンの漫画(確か七十八巻だった)を読みながら店番をしていたお姉さんが案内をしてくれて、ここでもまた日本と台湾のつながりを感じるのだった。

新竹中学の校長先生の家

 

当時の日記①
当時の日記②


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