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瞑想における観測者効果(考えるな、感じろ)

こんにちは、Yoshiです。

皆様は、瞑想していますか?

私は、昨年参加したビジネス講座で瞑想を勧められて以降、毎朝やっています。(正確には土日はあまりやっていないので毎平日)

おかげさまで、メンタルは安定してきた気がするし、集中力が高まったような気がします。

ということで、瞑想Loverな私なのですが、最近ちょっと気付くこともあったので、本日は「瞑想と観測者効果」について書きます。


瞑想のススメ

以前、瞑想のススメに関する記事を書きました。

ここで書いているとおり、瞑想はメンタルを安定させるために大変効果的です。

10分でも良いので、静かな環境で目を瞑って自分の呼吸に意識を集中させる。

余計な考えや雑念が出てくるかもしれませんが、それもオールオッケー。
ただし、それに飲まれないようにしましょう。

最初は難しいかもしれませんが、徐々に意識を集中させることができるようになり、意識がクリアになってきます。

時間が終了する頃には、かなり頭がすっきりしている感覚になるはずです。

掴もうとすると逃げる感覚

と、ここまで書いてきましたが、正直言うは易し行うは難しです。

私も、最初の内は余計な考えばかり出てきて逆にイライラするくらいでした。

でも、さすがに半年以上やっていると慣れるもので、最近はかなり良い状態で瞑想ができている気がします。

でも、良い感じだと思った瞬間に限って、その感覚というのは逃げていくんですよね。

良い感覚になって、「これこれ!これを続けよう!」と思ってそれを意識した瞬間に、その感覚から抜け出してしまい、元に戻ってしまう。
そして、もうその感覚には戻れない。

そんなことに陥ってしまう時があります。

観測者効果

「観測者効果」という言葉をご存じでしょうか?

量子力学で使われている言葉で、「観察するという行為が、観察される現象 に与える変化」の意味です。
(この辺の意味が厳密でない場合はすみません)

有名なのが、電子スリットの実験ですね。

色々割愛しますが、観測していない状態では電子は波のような性質を持つのに対して、観測した瞬間に粒のような性質を持つ。

これはつまり、「観測」という行為により、電子という被観測対象の状態に影響を与えてしまったということです。

これと同じことが瞑想にも起きているのだと思います。

意識を意識することは不可能

瞑想をしていて、心地良い状態を意識するとき、私は意識を観測しようとしていることになります。

その瞬間、観測される側の意識は、観測する側の意識に上書きされて、逃げてしまう(消えてしまう)のですね。

まさに観測者効果です。

これを防いだり、それでも観測できるようにする方法はないと思います。
なぜなら、意識で意識を観測しようとしているのですから。
意識が二つないと無理です。

意識せず感じる

では、どうするか。

ただ、感じれば良いのです。

「心地良いな~」と思うなら、「これを意識して再現しよう」とか思わず、ただその感覚に身をゆだねて、心地良さを全身で感じる。

ただそれだけで良いのだと思います。

もちろん、欲として再現性を求めるのは分かります。

でも、どうやっても意識できないのであれば、諦めてその感覚を楽しむ方が良さそうじゃないですか?

一日の中で、貴重な時間を、ただ心地良さに身をゆだねて過ごしてみる。

これ以上の贅沢はないかもしれません。

瞑想の本質

ここまで、小難しい話を書いてきましたが、結論としては、色々考えずにただ感じよう!ということです。

実際、これこそが瞑想の本質なのかもしれません。

私たちは、日々色々なことを考えています。
結果、考えすぎて精神を病んだり、不安に囚われたりしてしまいます。

瞑想は、そんな状況を脱却するために、身体感覚に意識を向ける儀式です。

だから、心地良い感覚を意識せずただ感じるというのは、瞑想の本質であるのかもしれません。

ぜひ、皆様も瞑想にチャレンジしてみてください。

きっと、新しい一日が遅れると思いますよ。

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