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12月15日 観光バス記念日 【SS】バスツアー

日々設定してある記念日の中から一つを選び出して、その記念日から連想した内容でショートショートを綴ってお届けしています。今日の選ばれし記念日はこちら。


【今日は何の日】- 観光バス記念日

1925年(大正14年)のこの日、東京乗合自動車により日本初の定期観光バスである「ユーランバス」の運行が開始された。
日本初の定期観光バスだったが、路線バス扱いであり、途中の下車観光地から乗車した場合の運賃も定められていたという。当初のコースは「皇居前~銀座~上野」であった。

その後、経営不振により、東京乗合自動車の遊覧自動車事業は一旦休止に追い込まれたが、新日本観光株式会社(現:株式会社はとバス)に譲渡され、同社の手によって再開された。

日本のバス事業の始まりには諸説あるが、1903年(明治36年)9月20日に二井商会という会社が京都市内で始めたのが最初のバス事業であるとされている。


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【SS】バスツアー

 コロナ禍が一段落すると、バスツアーの手軽さが見直され、近場の観光地への日帰りツアーも多く登場してきた。今日も多くの観光バスが駅前に集結している。添乗員は手際良く参加者の確認とバス車内への案内をしている。

「おはようございます。お名前と住所が確認できるものをご提示ください」

「保険証でも良いですか」

「はい、問題ありません。えーっと、裏見強さま、県内の方ですね。ご提示ありがとうございます。バスの入り口にお席の番号とお客様のお名前が表示されていますので、ご確認後ご着席ください」

 今日のツアーは、博多駅前から阿蘇へ行き、赤牛のランチを堪能するツアーだ。赤牛は阿蘇のブランド牛でありとても美味しい。参加者は博多駅と途中の基山サービスエリアの都合のいい場所で乗り降りして良いようになっている。いつものことだがバスツアーに応募する人は年配者が多いし、お客様の中には一人での参加者もいる。今回も裏見を含めて三名の参加者が単独での参加だった。裏見の席は比較的後ろの方だ。裏見の真後ろはバスの一番後ろの席で乗客はいない。裏見は都合がいいとばかりにニヤリと笑って座った。

 午前八時半、予定通りにバスは出発した。高速に入ると多少の渋滞はあるが行程に影響するほどでは無いようだ。博多から阿蘇までは九州自動車道を使って二時間ちょっと。ただ途中の基山サービスエリアでトイレ休憩や追加の乗客のピックアップも予定されているので、実際には三時間程度の工程となるだろう。

 ツアーは順調に予定をこなして昼食の赤牛ランチも全員が堪能した。道の駅にも寄ってお土産などのショッピングも楽しんだ後バスは帰路に着いた。帰りの行程も行きと同様に博多に到着する前にトイレ休憩のために基山サービスエリアにバスは止まった。

 裏見はいち早く立ち上がり、荷物を持って通路を歩き中央付近に座っている一人で参加している男性の隣に急に倒れ込んでしまった。男性はびっくりしていたが、落ち着いた対応をしていた。

「どうしました。具合でも悪くなりましたか」

「申し訳ありません。片手間先生ですよね」

「はい、そうですが、どこかでお会い、、まさか、き、君は、、」

 裏見はそのまま何事もなかったかのように立ち上がり、添乗員に「ここで降ります」と伝え、バスを後にした。その後バスはトイレに行った人を乗せ、何事もなかったかのように博多駅に戻った。

「皆様、お疲れ様でした。楽しんでいただけましたか。これからご自宅までの道のりもお気をつけてお帰りくださいませ」

 乗客が全員降りたことを確認しようと添乗員はバスの中を見て回る。

「お客様。お客様。もうツアーは終了しました。バスを降りていただけますか」

 窓ガラスに倒れかかったままの男性がまるで寝ているかのようにしていたので、添乗員は肩を揺すった。

「きゃー、誰かー。お客様が死んでますー」

 上擦った声で叫ぶ添乗員の声を聞いて運転手も駆けつけた。場所は駅前である。すぐに交番に連絡し、警官がやって来た。

「心臓を鋭い刃物で一突きされていますね。おそらくはショックもあり即死だったのでしょう。犯人は上着をめくり刃物で刺したあと、上着を戻していたのでしょうね。そうすれば側から見れば寝ているようにしか見えませんから」

 亡くなっていたのは、一人でツアーに参加し、中央部分の席に座っていた片手間という男性だった。警察は顧客名簿を入手し一人ずつ確認していった。被害者と接点がある乗客が浮かび上がったが、奇妙な事実が判明したのだ。裏見強という男性は、以前、被害者がいた病院に入院しており、片手間が執刀した心臓の動脈バイパス手術後に急変して亡くなっていたということがわかったのだ。裏見強には兄弟もいなかったし、実家に聞いても有用な情報は得られなかった。しかも、裏見強が亡くなったのは五年も前だということで捜査は行き詰まった。裏見強という男性は博多まで戻らず基山サービスエリアで降車したということは分かっていた。しかし、基山サービスエリアでの目撃情報も無く、裏見強を名乗った男性の足取りは途絶えた。

 事態が急変したのは一週間後。添乗員だった女性が項垂れながら憔悴しきった姿で警察署にやってきた。

「あのー。バスツアーでの殺人事件こことでお話ししなければならないことがあります」

 そう言いながら捜査本部が置かれている博多警察署を訪れた女性は話し始めた。弟から口止めされてはいたが、どうしても良心の呵責に苛まれてしまったようだ。

「弟は裏見強さんと愛し合っていたんです。同性愛者でした。だから五年前、裏見強さんが亡くなる前、担当医の片手間先生から、今回の手術は問題ないと言われ、裏見強さんも弟も安心して手術に望んだようだったんです。それが手術後しばらくして容態が悪化し不幸にも裏見強さんは亡くなられました。弟はそれからというもの、閉じこもりの生活を何年もしていました。そして最近復讐を決断したんです。でも、その復讐は殺害ではなく、謝罪の要求だと私に言っていました。私はその言葉を信じました。それである時、片手間さんがバスツアーに申し込んでいるのを私は知り、弟に伝えてしまったんです。そうしたら、自分もツアーに参加すると言い出したんです。仕方なく、私は席を確保しました。まさかこんなことになるとは思ってもいなかったので。本当に申し訳ございません」

「それならなぜ、事件が発覚した日に打ち明けてくれなかったのですか」

「怖かったんです、その時は。もしかしたら弟の仕業じゃないかもしれないとも思ったんです。でも違いました。弟が話してくれました、やっと殺せたよって」

「それで、弟さんは今、どこにいるんですか」

「私のアパートで冷たくなっています」

「えっ」

「私は、弟のしたことも私のしたことも許せませんでした。だから、弟を殺して私も死のうと思ったんです。弟は笑顔のまま私が差し出した包丁にもたれかかって来ました。そして冷たくなりました。でも私は死にきれなくてここに来ました。ごめんなさい」


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