雑記47 「本気なら(喋るより)"書く"のよ」海外ドラマ内のセリフ、ドラッカーのイエズス会とカルヴァン派についての話
雑記47 「本気なら(喋るより)"書く"のよ」海外ドラマ内のセリフ、ドラッカーの「イエズス会とカルヴァン派についての話」
文中で触れている本の画像↓
目安文字数 1400
海外ドラマ・ストレンジャーシングスの、あるシーズンにおいて(多分シーズン2〜3の終盤のエピソードにて) ヒロインが不思議な現象に遭遇し翻弄されつつ、同時に、警察など公的機関の腐敗を目撃する。
ヒロインは、その公的機関の腐敗を黙っていられず、どうにか他の人に、例えば口頭で伝えようか、という思いを持つ。
ヒロインは、自身の母親にそのことを相談したところ、母親はヒロインの心情を理解した上で、
「本気なら"書く"のよ」と話した。
これは、「口頭で喋るのではなく、書くことこそが、あなたの望む事をきっと現実にしてくれるだろう」という風に言い換えても、さほど問題がないように思う。
書くことには、喋ることとは異なった種類の力がある。
ルターも、自分の見解を単に口頭で人に伝えたのでは、さほどの衝撃をヨーロッパ史にもたらさなかったのではないか、と自分には思われる。
ルターは当時としては最新技術だった印刷技術を駆使して、教会の腐敗を訴える文面を町の主要機関の建物などに貼り付けしていった、と世界史の参考書で昔学んだ。
(余談だが、世界の名著 中央公論社 のシリーズの中に、ルターの著作も扱われていて、複数のルターの文章が翻訳され、掲載されていた。分量が多く、当時消化できなかったが、その当時なりに興味深く感じられた。機会があれば、また触れる機会を持てたらいいな、と今思っている。)
ある場面においては、しゃべるのではなく書くことこそが状況の打開につながるということをテーマにここまで書いてきたが、最近読んだ文章の中でそのテーマと重なる内容があるように思った箇所がある。
ドラッカーの プロフェッショナルの条件という本の中で、
パート3 の 1章 (チャプター3-1) 105ページにて、こんな表記がある。
興味深く感じた箇所を以下に引用する。
引用文字数330程度
「書きとめておく イエズス会とカルヴァン派の教訓
…(中略)…
私は、ちょうど当時ヨーロッパで力をもつようになった二つの社会的機関、すなわち南ヨーロッパを中心とするカトリック社会におけるイエズス会と、北ヨーロッパを中心とするプロテスタント社会におけるカルヴァン派の二つの社会的期間が、奇しくもまったく同じ方法によって成長していたことを知った。この二つの組織は別々に、ただし1534年と1541年という同時期に創設されていた。しかも創設時から、まったく同じ学習方法を採用していた。
イエズス会の修道士やカルヴァン派の牧師は、何か重要な決定をする際に、その期待する結果を書きとめておかなければならないことになっていた。
…(中略)…
私自身、この方法を50年以上続けている。」
余談だが、司馬遼太郎の文章で読んだ気がするが、話によれば、吉田松陰は弟子に対して、何か重要なこまやかな注意を必要とするテーマについて話をしたい時、必ず文章にして、手紙の形で伝えるようにしていたという。
そのことを今思い出している。