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【エヴァ考察】ナウシカの続きとしてのエヴァ

今回は漫画ナウシカとエヴァンゲリオンについてです.監督同士の関係もあってネタに尽きません.両作品の関係を探るにあたって内容を2回に分け,本記事はナウシカの解説に充てることにします.


1.はじめに

漫画『風の谷のナウシカ』(1982〜1994年.全7巻.以下『ナウシカ』と略記)は宮崎駿氏の最高傑作ともいわれる作品です.庵野秀明氏はその第7巻を映画化したいと打診していたとのこと(映画版ナウシカは概ね第1・2巻までのお話でした).最近の「シン・」シリーズで実現しないか期待している方も多いのではないでしょうか.

その庵野さん,『ナウシカ』について次のことを話されたようです.

鈴木敏夫P「彼〔庵野——引用者〕によると、『エヴァ』もまた『ナウシカ』のつづきを自分なりに作っているんだ、と言うんです」

文藝春秋2012年2月号353頁.ナウシカと庵野さんについてはこの記事が便利.

作品に自分の好きなものを積極的に登場させる庵野さん.そうすることで「世界観に広がりを持たせ」たいとのことですが(シンエヴァ1周年特番)、本記事(主に次回)を通して『ナウシカ』が『エヴァ』全体を支える基礎部分として影響を及ぼしていることを感じていただけるでしょう.

さて、鈴木Pが聞いたという『エヴァ』が『ナウシカ』の続きというのはどういうことなのか.もちろんナウシカの世界のその後を描くというものではありません.次回を含めた全体の目標はいかなる意味で続きなのかを突き止めることになります.



2.ナウシカのおさらい

さて,忘れた方のために『ナウシカ』を簡単に復習します.なんとなく覚えている方は読み飛ばしていただいて構いません.

(1)世界あるいは時代設定

『ナウシカ』の世界の人類は滅びのときを生きているというのが基本設定です.

・旧世界
「大地の富をうばい大気をけがし生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明」が1000年続き、その後巨神兵による火の七日間と呼ばれる戦争によって滅びます(見返し,4:28[末尾註1]等より).

・現在
「地上は有毒の瘴気を発する巨大菌類の森・腐海に覆われていた.人々は腐海周辺にわずかに残された土地に点在し、それぞれ王国を築き暮らしていた」(裏表紙より)

現在の我々より遥かに進んだ文明が1000年続いた後に滅び、人の住めない腐海が生まれてさらに1000年ほど経った地球が『ナウシカ』の世界です.地球は汚染されており、湖は人体を溶かすほど酸化してます.また、人々の生活に電気はありません.

作品に特徴的な腐海とは,毒を放出する巨大な菌類で生成される森です.基本的に人間は住めません.

それでも作品には旧世界の遺産として飛空艇が登場します.発掘したエンジンを修理して使用しており、エンジン自体を造る技術はありません.いずれ尽きる有限な資源として描くことで、人類が滅びゆく存在であることを表現します.

また、腐海が徐々に拡大し人の住める土地がわずかになりつつあったり、体が徐々に石のように硬くなっていく病、少子化など、人類が危機に瀕している様子が諸々描かれます.

(2)ストーリー

次に大まかなあらすじを本記事の関心に沿って紹介します.人が住めない先ほどの腐海や,その腐海の範囲を爆速で広げる大海嘯だいかいしょうという現象自体が,実は滅びる前の旧世界の人達によって始められた地球再生計画の一環だったことが明らかにされていきます.その計画とは「汚染した大地と生物をすべてとりかえる計画」(7:197).

登場する王蟲や粘菌自体、そうした目的を遂行するために造られた人工生物であり、ナウシカ含む現生人類すら、この汚染された世界でも生きられるよう調整された生命体でした.

腐海の奥底では汚染のない土地が生まれつつありますが(「腐海の尽きる所」あるいは「青き清浄の地」と呼ばれる)、その清浄の地では汚染に適応した現人類は生きることはできません.

物語の最終舞台は、旧世界の者が世界滅亡に備えて人類の知恵を結集し、世界再建の要として建造したシュワの墓です(黒いピラミッドのような巨大建造物).そこには旧文明の技術が秘められており、その墓の主はその時々の人類の代表に対し、生き延びるための技術を小出しに伝えています.その代わり墓の諸々の仕事に従事するよう求めます.

もっとも、上述再生計画のことは一切人類に明かされません.人々は滅ぶ予定にあることを知らずに生きているのです.また、伝えられる技術は人間をヒドラという半不死身な生命体に造り変えたり、腐海を造る粘菌の技術だったりと基本的に悪魔的なものばかりです.

世界の真相に辿り着きつつあったナウシカは、人々に真実を伝えない墓の主を追求します.墓の主は、あくまで我々がいなくては今の人類は滅んでしまう、浄化が達成されるその日を越えるために我々に力を貸してほしい(大意)ということに終始するのに対し、ナウシカはそれを拒否し、墓を破壊します.それも浄化後の世界に生まれる予定の人類の卵ごと.

だいぶ端折りましたが大筋このようなお話でした.



3.ナウシカの場合

さて、『エヴァ』が『ナウシカ』の続きというからには何かを引き継いでいるはずです.差し当たり最終局面で主人公が人類に押し付けられた未来を拒否するという物語構造が共通します[註2].ナウシカは再生計画を拒否し、碇シンジは補完計画を拒否しました.次にそれぞれの選択をみていきましょう.まずはナウシカから.


(1)「清浄と汚濁こそ生命」

ナウシカは旅中で倒れ、シュワの庭園に担ぎ込まれました.庭園には旧世界からの遺産が貯蔵されていました.彼女はそこで癒されると同時に人類を含めた地球再生計画という腐海の真相、世界の仕組みに気づきを得て、それらを確かめるべくシュワの墓に向かい墓の主と対峙します.しかしその主が一向に真実を告げないためナウシカは追求します.

墓の主「わが身体に現れる文字を読みその技を伝えるがよい.すべての文字が現れた時その日が来る.苦しみがおわる日が.子等よ……力を貸しておくれ.この光を消さないために……」

ナウシカ「否!!(中略)なぜ真実を語らない.汚染した大地と生物をすべてとりかえる計画なのだと!!」

同「お前は亡ぼす予定の者達をあくまであざむくつもりか!!お前が知と技をいくらかかえていても世界をとりかえる朝には結局ドレイの手がいるからか」

7:196-198

真実を語り始めても墓の主の話は希望にみちています.なんとなれば清浄の地でも現人類が生きられる技術も備わっているのだと.実際、この技はシュワの庭園でナウシカらに施されていました.でもやりとりをする中でナウシカは気づきます.この者たちの人間理解がおかしいと.

主「真実を語れか…(中略)あの時代どれほどの憎悪と絶望が世界をみたしていたかを想像したことがあるかね?数百億の人間が生き残るためにどんなことでもする世界だ.(中略)とるべき道はいくつもなかったのだよ.(中略)これは旧世界のための墓標であり同時に新しい世界への希望なのだ.清浄な世界が回復した時汚染に適応した人間を元にもどす技術もここに記されている.(中略)永い浄化の時はすぎ去り人類はおだやかな種族としておだやかな世界の一部となるだろう.私達の知性も技術も役目をおえて人間にもっとも大切なものは音楽と詩になろう」

7:199-200〔太字強調引用者〕

新世界ではこれまでの人類の知性と技術が不要になり、音楽と詩がもっとも盛んになる.なんだかずいぶん牧歌的な印象です.

墓の主のいう「おだやか種族」というのは旧世界の人類および現人類とは異なる存在です.『ナウシカ』の世界観として、人々に憎悪を撒き散らしたり戦争を止めない人間の凶暴さには根っこがあり、それは心の闇であるというものがあります.

この「闇」は随所に表れます.たとえば、大海嘯の際に王蟲とともに死のうとしたナウシカが精神世界に連れていかれる場面がありました.飛ばされた先は虚無(あらゆる闇の総称的なもの?)が住む闇の世界でした.それまで魂だけの存在になってナウシカに纏わりついていた土鬼ドルクの神聖皇帝(皇弟ミネルパ)とその世界で合流します.

そこにさらにナウシカを現実世界に連れ戻すべく幽体離脱のような能力を使って救出に来た森の人セルムが現れ、逃げ道へ誘導します.その際、その場で闇に飲み込まれそうになる皇弟をナウシカは助けるのですが、これについてセルムが言及します.

セルム「闇から生まれた者〔皇弟のこと〕は闇に返すべきでした」
ナウシカ「闇は私の中にもあります.この森が私の内なる森ならあの砂漠も私のもの」

6:77〔〕内引用者補足以下同じ

あの「砂漠」は闇の世界を意味します.砂漠がナウシカの内側にあったということは彼女にも心の闇があるということ.

さて旧世界の人は愚かさゆえに自滅していく人類に絶望し、諸悪の根源である心の闇を取り除いた人類の生成を計画しました.これが「おだやかな種族」であり墓に安置された卵は心に闇を持たない新人類でした.

ナウシカ「泣いているのです.卵が死ぬと……」
ヴ王「たまご…!?清浄な世界にもどった時の人間の卵か?」
ナウシカ「自分の罪深さにおののきます.私達のように凶暴ではなくおだやかでかしこい人間となるはずの卵です」
ヴ王「そんなものは人間とはいえん」
〔ヴ王はトルメキア王国のボス.クシャナの父〕

7:211

汚染に適応した現人類は心の闇を備えた存在で、やがて来たる新人類は心の闇を取り除いた清浄な存在.先ほどの「おだやかな種族としておだやかな世界」とは心の闇が存在しない世界です.

次に、心に闇をもつ現人類とおだやかな心の新人類の扱いの違いについて見ていきます.

たとえばシュワの庭園のくだりがあります.シュワの墓に向かう途中,巨神兵オーマの発する毒の光で衰弱したナウシカとトルメキア帝国の2人の王子は,癒しのため庭園にお邪魔します.そこは旧世界から新世界に遺すべきものが集められた貯蔵庫でした.

庭園には結界が張られ、外界からは廃墟にしか見えず現人類に閉ざされています(3人は庭園の主に招かれて入れた).墓所からは忌まわしい技術が垂れ流されているのに対し、庭園に保管される詩や音楽の数々は一切外部に出ません.

ナウシカ「なぜ墓所には伝えるに値しない技が遺され死の影を吐き出しているのですか?」
庭園の主「(沈黙)」
ナウシカ「…沈黙もまた答えです.お別れです」

7:135

ここでも闇を宿す現人類/シュワの墓の悪魔技術と、浄化された新人類/シュワの庭園の詩と音楽という区別がされています.そもそも庭園の空気が清浄の地と同様であること、すなわち現人類だと血を噴き出して死に至る空気で構成されていることからして、現人類には詩や音楽を享受する資格を認めていません.

要するに現人類はこの世界から滅びゆく存在だからでしょう.つまり彼らに消え去ってほしいのです.墓所から悪魔的技術が垂れ流されているのは、それにより大海嘯が引き起こされて浄化の時を早め、もって現人類はいなくなるから.

このように浄化は現人類にとって滅びを意味します.ここから墓の主が現人類に真実を告げず欺いていたことがなんとなく理解できると思います.新生のために滅んでほしい.清浄の世界でも現人類が生きられる技があると墓の主は言いますが、それを実際に施すつもりはなさそうと察せます.

話を戻し、このように現人類と新人類、心の闇とおだやかな心を踏まえた上で、しかしながらナウシカは自身の心の闇は自分の一部であるから切り離すことはできないはずと考えています.

ナウシカ「その人達はなぜ気づかなかったのだろう.清浄と汚濁こそ生命だということを.苦しみや苦痛やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない.それは人間の一部だから……」

7:200

この「清浄と汚濁こそ生命」というのは作中のキーワードの1つです.思い出せば、人の心の闇から生まれた巨神兵やヒドラたちが死んで帰る場所が、草木に溢れ生命に満ち満ちた清浄の地でした(先程のセルムとの精神世界の旅で描かれた).

ナウシカ「巨神兵もヒドラ達も来た所へ帰す」
ナムリス「来た所へだと?どうやってだ.こいつらは人の心の闇から来たのだぞ!!」〔ナムリスは皇弟ミネルパの兄〕
ナウシカ「ちがうもっと深く遠い.そなたの弟もそこへ帰った.王蟲達も」
〔皇弟が帰った先は清浄の地でした(6:92.王蟲について6:138)〕

6:153

闇は人間だけでなく生命にあまねく備わるものであると同時に、「清浄と汚濁」が生命の本質であるから闇だけを切り離すことはできない.仮に技術的に切り離すことが可能であってもするべきではない.

なぜならナウシカには、このように生命から心の闇を取り除こうとする旧世界の人々の考えが生命に対する侮辱と映ったからです.これが彼らを拒否するに至った理由と考えます.

ナウシカ「(前略)その黒いものはおそらく再建の核として遺されたものでしょう.それ自体が生命への最大の侮蔑と気づかずに」

7:172

旧世界の人たちは人類滅亡の危機が差し迫り、時間のない中あまりにも絶望していたためか、このことへ理解が及ばなかった.


(2)「いのちは闇の中のまたたく光」

以上が彼女が計画を拒否した理由ですが、その続きも興味深いのでみてみましょう.というのも,墓の主の“では人類は滅びていいのか?“という問いが残されており,彼女がこれにどう答えるのかも見所だからです.

滅びていいのかという問いに,ナウシカは「それはこの星が決めること…」(7:201)と答えます.この部分は,運命に屈するよりも尊厳ある死を選んだと読まれることもあります.確かに、森の人セルムの仲間が清浄の地に送り込まれたが1人も戻ってこなかった.つまり、その地で人間は生きていけないことからすれば、大地が取り替えられたとき今の人類は滅びるしかないように思えます(墓の破壊によって,旧人類が新世界でも生きられる主の技術も失われたので).

しかし,これについては先ほど触れたセルムとの精神世界の場面を思い出す必要があります.そこでナウシカ一行は闇の世界(砂漠)→ナウシカの心が形成する腐海→セルムの心が形成する青き清浄の地という心の旅をしました.

そもそも,この心の世界は各人の妄想が創り出した全くの仮装世界ではなく、実際にその者が体験したもの、現実世界に存在するもので構築されているといいます(6:84).つまり,精神世界で他人の体験を自分も体験することができるといったシーンでした.

そしてそこでセルムの心が見せてくれた清浄の地で、ナウシカは自分たちの世界には存在しない草木が生息し鳥が飛ぶのを目撃します.つまり、この情景は実際に現実世界に存在するものとして描かれています.

ナウシカはセルムの心を通して,現実世界においてこの「世界はよみがえろうとしている」(6:92)と生命のたくましさを目の当たりにしたのです.

ナウシカ「次の瞬間に肺から血を噴き出しても鳥達が渡っていくように私達はくり返し生きるのだと……」〔この鳥達は清浄の地で見たもの〕
「腐海の胞子はたったひとつの発芽のためにくり返しくり返し降りつもり無駄な死をかさねます.私の生は10人兄と姉の死によって支えられています」
「どんなにみじめな生命であっても生命はそれ自体の力によって生きています.この星では生命はそれ自体が奇蹟なのです」

7:172

そして名言「生きることは変わること」に至ります.ナウシカによれば、不死の存在ヒドラと異なり、命に限りある者たちは大量の生と死をくり返す中でゆるやかだが変わっていくことができる.ナウシカ自身も、兄と姉たちが母の体内の毒を取り除いたおかげで?こうして生きることができたことを悟っています.

ナウシカ「その朝が来るなら私たちはその朝にむかって生きよう.私達は血を吐きつつくり返しくり返しその朝をこえてとぶ鳥だ!! 生きることは変わることだ.王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう.腐海も共に生きるだろう.だがお前は変われない.組み込まれた予定があるだけだ.死を否定しているから……」

7:198太字強調引用者

翻って,王蟲は命の冒涜から生まれた存在なので闇から生まれた側の存在なのですが,ナウシカが王蟲と心を通わせて感じた彼らの慈しみと友愛は,その闇と相容れぬ性質のものでした.

王蟲が子どもの王蟲を助けようとしたことや,生物兵器として改良された粘菌を救おうとした際の内面の働きも同様です.彼女はこれらは王蟲を造った者たちが予定していたものとは思えなかった.

世界の再建を計画した者達があの巨大な粘菌や王蟲たちの行動をすべて予定していたというのでしょうか.ちがう.私の中で何かがちがうとはげしく叫びます

7:172

すなわち、それらは1000年という長い年月の間,王蟲が生を紡ぐ中で獲得してきたものであり、まさにそれは「生きることは変わること」の証左なのです.

そうした変化は超高度文明にも予定できない事態、つまり「奇蹟」を意味します.

しかも「この星では生命自体が奇蹟」ですから、予定された運命を裏切る力はもとよりこの生命自体に内包されているともいえます.

そう.であるなら生きていればいつか人間も…とナウシカは言ったのです.

ナウシカ「あわれなヒドラ.お前だっていきものなのに.浄化の神としてつくられたために生きるとは何か知ることもなく最もみにくい者になってしまった」

7:200

確かに、現人類も先の旧世界の自滅にもかからわず、また腐海によって全人類存亡の危機にもかかわらず懲りずに戦争をしており、旧世界と同じ滅びの道を歩んでいます.

すべての大地が浄化されるその朝を現人類が迎えられるのかはっきりしたことは何もわからないので「この星が決めること」としか言えないけれど、命が生きていくことの本質にナウシカは希望の光を見出しています.

「いのちは闇の中のまたたく光だ」の“またたく”にはこのような生命の躍動感、力強さが込められている気がします.

主「生まれる子はますます少なく石化の業病からも逃れられぬ.お前達に未来はない.人類はわたしなしには亡びる.お前達はその朝をこえることはできない」
ナウシカ「それはこの星が決めること……」
主「虚無だ!!それは虚無だ!!」
ナウシカ「王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた」
主「お前は危険な闇だ.生命は光だ!!」
ナウシカ「ちがう.いのちは闇の中のまたたく光だ!!」

7:201

というわけで、ナウシカによって人類の絶滅が決定したといった結末ではないでしょう.物語最後に後世の何者かがナウシカやクシャナを伝説上の人物として偉人伝風に扱う記述がありますが、これはまさに人類は生き延びることができたことの証と理解できます.

ちなみに「王蟲の体液と墓のそれが同じだった」という件はトトロでもやった(絵コンテ)、あえてそれまでの流れをひっくり返す演出と理解できます.墓の主が王蟲と同根であることを示すで、ナウシカは愛する王蟲を殺めたのも同然ということ、そしてヒドラは王蟲のようにはならなかった点、いきものの変化は悪い方向にも変わりうることを言いたかったのではないでしょうか.

以上が今回押さえておきたい漫画ナウシカでした.


後編は「続・ナウシカの続きとしてのエヴァ」


※註


1:『ナウシカ』引用箇所は「巻数:ページ」(1巻50ページは1:50)と表記

2:その他の共通点(筆者が気づいた範囲で)
①物語の展開:『ナウシカ』のお話は基本的に〈ナウシカの戦い〉と〈クシャナの戦い〉の2つで構成されています.前者は腐海の秘密にまつわるもので、後者は土鬼とトルメキアの戦争模様です.
エヴァでは〈使徒との戦い〉と〈人類補完計画との対決〉の2つです.
『ナウシカ』では、その2つを交互に見せることでテンポを出し、ときに2つが交差してストーリーが展開することで作品の魅力を高めます.
『エヴァ』では、使徒戦は人類補完計画の前哨戦という位置付けが最初は隠されていて、それが徐々に明らかになる展開が見事でした.
そしていずれも世界の真相に辿り着くという点でも似ています.まどマギもそうですがこの世界の真実とそれとの対峙という構造…強い強すぎる!

②主人公の対比:ナウシカは敵味方種族を超えて人々をつないでいくのに対し、碇シンジは人をつなぐどころか誰ともうまくつながれない様子.主人公が人とのつながりというテーマ性を有していることが共通してます.もっともエヴァでは主要人物のほぼ全員が苦労してますが.

③クシャナとアスカの母子関係:ともに母が抱いている人形を娘と認識している点が同じです.

④多様な生命の保存:『ナウシカ』では外界から遮断されたシュワの庭園に旧世界の動植物の原種、詩、音楽が保管されています.これらは浄化後の人類に遺すべきと判断されたものでした.『シンエヴァ』では加持によって人類以外の種の保存が図られました.

リツコ「あらゆる生命の種の保存.その守護のための半永久稼働可能な無人式全自動型の方舟がAAAヴンダーの本来の姿」
ミサト「加持にとって人類という種の存続は大した問題ではなかった.補完計画の巻き添えで消えてしまう多様な生命体を自然のままこの世界に残すことが最重要だったのよ」
リツコ「そのためには可能なかぎりの生命の種を地球圏外に避難させる」
ちなみにこうした加持の人類存続を優先しない姿勢は宮崎駿氏そのままです(ナウシカBlu-ray特典の鈴木・庵野対談).

⑤「生きることは変わること」:ナウシカの名言.エヴァでは加持リョウジの台詞に登場します(第15話).どうも宮崎要素が多いこの男.
となると、シンエヴァで「アヤナミが消えた帰り道、加持さんの土の匂いがした」とシンジが立ち直るのに加持が重要な役割を果たしますが、ここでエヴァ旧劇公開後に精神的危機に陥った庵野さんが宮崎さんに救われたエピソードをどうしても思い出してしまいます.シンジの再起に加持が絡むのはこのあたりが関係していそうと訝しんでしまいます.にしてもこのおじいさんたち、最高ですね.

画像:©Studio Ghibli, ©khara/Project Eva.

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