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僕の経歴

保育園に入る前か、入った直後くらい。
僕には母親がいないことと、2人の兄弟が障がい者であることを理解した。
「どうして僕にはお母さんがいないの?」と聞いたこと、その答えを父親が濁したことを今でもよく覚えている。
保育園のおやつ時間に出てくるぶどうゼリーが大好物、赤いシャツを着た先生のことが大好きで、いつも背中にベッタリ張り付いて離れなかった。
内気な子どもだったけど、友達には恵まれた。

小学生になってから、放課後は学童保育所、週末はホームヘルパーの元で過ごした。父親は、家にうるさい子どもがいることが嫌だったんだと思う。当時は家で過ごせないことが辛かったけど、今思い返せば、それでよかったと思ってる。

小学3年生になるまで、僕は静かな人だった。休み時間は自由帳に絵ばかり描いていた。
小3になってからは、堰を切ったように喋り出した。
「キャラ作ってるよね?」と言われた
同じ頃、野球にハマり、近所の少年野球チームに所属した。
監督が厳しい人で、自己肯定感を木っ端微塵にされた。
ただでさえ自分のことが嫌いだったけど、さらに自己を破壊された。
土日が嫌いで、雨になることを祈って、胃液を吐きながら練習に行った

野球は少しも上達しなかった。親に辞めたいと何回も言ったけど、親は最後まで辞めさせてくれなかった。

親が忙しくて、自転車の練習をする時間がなかった。
重い荷物を背負って、2キロある練習場まで走って通った。
足は誰よりも速くなった。

3年か4年の時、鏡の前で自己を自覚した。気持ち悪かった。自分はどう足掻いてもこの身体で知覚し、生きていかなくてはならないという感覚が不快だった。

(確か)僕が10歳の頃、母が家を訪ねて来たことがあった。電話越しに初めて母の声を聞いたとき、僕はなぜか大泣きした。
母と会ったとき、僕は何を話せばいいのかわからなかった。何も話さなかった。
結局、今でも母の顔は思い出せない。

小学5年生、初めての恋をした。秋田からの転校生で、メガネがよく似合う子で、運動神経がよくて、字がとても綺麗な人だった。他の男子からも人気の子だった。
昼休みに告白して、1週間後に遠回しのお断り手紙をもらった。
その手紙の字もとても綺麗で、今でもたまに見返したくなる

その手紙はどこかに紛失してしまった。

小6で携帯を持った、その好きな子とメアドを交換できた時はすごく嬉しくて、返信の一通一通に身悶えしてた。

近所の中学校に入学した。足が速いことを自覚していたので、陸上部に入部することを決めた。
長距離種目で好成績を残して、1年生にして都大会出場を決めた。
自分の実力が通用したことが衝撃的で、嬉しくもあった。
中3の時、陸上部の顧問が変わった。その人は僕にとって最大の恩師だったと思う。
陸上部の部長になった。今でも思うけれど、僕は人をまとめることがとても苦手だ。

同じ委員会の女の子を好きになった。小柄で、お世辞にも美人でもなかったと思う。それでもその子は明確な自己を持っているように見えた。それがとても魅力的だった。僕は明確な自己を持っていなかったから。
LINEでは事務連絡以外のやりとりをするようになった。
その子の好きな曲を僕も聞くようになった。『白日』がヒットする前からking gnuを知っている子だった。
その子にも告白して、最初は振られた。それでも諦めきれなかった。
色々な経緯を経て、その子とは両思いになった。深夜の街灯の下で、女性と初めての抱擁を交わした。その数秒の感触は今でも素敵な思い出として思い返される。

全ての歯車が順調に回り出したとき、僕の陸上人生も全盛期を迎えた。
関東駅伝が偶然地元で開催された。八王子選抜チームとして関東駅伝に出場することができた。
そこでの走りが人生最高の走りだったと思う。

人生初めてのデートはその子だった、緊張してまともに話せなかった。以降関係は悪くなり、音信不通になった。進学する高校も別だったし、仕方のないことだったのかもしれない。

映画『時をかける少女』を見て、華の高校生活に憧れた。
友達とカラオケ行って、素敵な恋愛があって、部活もこなして・・・

高校1年、華やかな夢は見事に粉砕される。
陽キャグループに身を置いても楽しいと思えず。思春期の女性経験激浅人間にとって、異性と会話するという行為自体がバンジージャンプよりも困難である。
陸上部の顧問の練習メニューは中学時代のものと全く別で、順調に実力の低下を実感した。
それでも陸上にしがみつき、スマホゲームにハマり、授業、部活、ゲームに全ての時間を注ぐようにした。

高校2年、うっすらと自分が陰キャであることを自覚する。陽キャに対するコンプレックスを抱えたまま、陸上部内のゲーム仲間に居心地の良さを感じ、自分の居場所を見つけていった。
最初は勝てていた同級生にも次第に勝てなくなり、陸上に漠然とした惰性を感じていた時に競歩に出会う。
メチャクチャ歩きが速くなることに快感を覚え、種目を競歩に転向する。

3年、秋ぐらいまでは部活を続けた。競歩にも本格的にのめり込むことはできなかったが、おかげで今でも超高速歩行が可能になった。
公務員を志望し、公務員試験に失敗し、フラフラしていたら、親に「大学に行きなさい」と言われ、大学に行くことにする。
高校時代終了間際に活字と出会う(『君の膵臓を食べたい』)
読書で感動できることを知った僕は、色々な本を読み始めた。

結局、僕に反抗期はなかった。中学の時から夜遅くまで部活をしていたおかげで、もはや家は「飯食って風呂入って寝るだけ」の場所であり、家族らしいことはなかったから。あと、親が大変であることを認識していたので。僕のつまらない感情で親に迷惑をかけてはいけない。そんな意識があったからだと思う。

特にやりたいこともなく大学に入った。陸上にも愛想は尽きていたし。だらだらとしていた。
偶然目に止まった掲示板の「世界遺産ゼミ」のポスター
「世界遺産ってだけでゼミがいちいちあるのか?笑」
好奇心だけで世界遺産という分野に飛び込み、博物館学や学芸員の世界に触れていく。

大学1年、ある教授の言葉
「人は言葉によって世界を認識し、言葉によって支配される」
”きゅうり”はきゅうりという言葉によって認識され、それは”きゅうり”でしかなくなる、という感覚かな?
学ぶという行為の面白さに気づく。

自分はどう足掻いてもナメクジの生まれ変わりのような人間であり、太陽の下にあればたちまち干からびて死ぬ存在であることを自覚する。
ナメクジでもいいじゃないという諦めは、安寧を与えてくれた。
ポケモンにのめり込み、同じくポケモン好きな友人とポケモン三昧の日々を送る。
今までにない、純粋に「好きなことに没頭する」ことで得られる快楽を享受する。

コンビニバイトを始める。別に面白くはなかったし、最初のうちは苦痛だったが、慣れれば脳死でできるお仕事。褒められも怒られもしない職場はさながら瀬戸内海。
廃棄のファミチキ貪り迎える朝日(唐突なラップ)

メソポタミア文明、それは人類最古の文明であり、粘土とナツメヤシしかない過酷な環境で生きることを選んだ人間達の努力の結晶だった。文明は都市を作り、社会制度を作り、耕作を作り、交易を作り、文字を作り、物語を作った。

惰性で大学生活を謳歌した。最低限の授業に出席し、レポートを書き、空き時間にゲームをし、読書をし、気が向いたらバイトした。毎週木曜日にはポケモンをし、たまには大学のメンバーで石川に出かけたりした。

ゼミの先生と鎌倉に行ったりもした。僕は研究でクジラのことや同性愛のことについて調べたりした。
古代ギリシャでは男の同性愛が一般的だった(但し性器は小さめ)

ある教授の言葉「境界は妖しい。そこに恐怖と魅力が潜む」
境界論の面白さを知る。あの世とこの世、山の谷、かはたれどき、私とあなた。

就活の時期、自分が培ってきたものと向き合う。自分のやりたいことと向き合う。
「兄弟が障がい者だから介護かな?」「読んだり書いたりが好きだから出版かな?」
色々やって、考えてみる。

「田舎暮らししたいなあ」

家族と一緒に暮らせるとか、満員電車から逃げられるとかもそうだけど、何より、自分が一番それをしてみたい。

四万十町に「いなかパイプ」という組織がある。都会といなかを繋ぐ「パイプ」の役割をする。
廃校を利用したドミトリーで1ヶ月滞在した
川遊びしたり、山奥で牛にあったり、蛍を見たり。

のんびりした非日常が僕にいろんなことを教えてくれる。

「コンビニバイトしたことあるし、道の駅でお手伝いします」
そんなノリで初めて来た鬼北町。それまで名前すら知らなかった愛媛の南。

道の駅では色々見せてくれた

「そういえば俺って生き物好きだなあ」

幼少からカブトムシとかおたまじゃくしとか好きで、よく川遊びや森遊びはしてた
「生き物に関わる仕事がしたい」

それは一つの気づきだった。当たり前の嗜好性は簡単に色んなものに遮られ、いつの間にか自分でそれを忘れてしまう。

「鬼北町にはきじがいる」

きじ。面白そうやん、ニワトリじゃなくて。

世界遺産ゼミを選んだ時と同じノリ。好奇心で飛び込む世界

僕は鬼北町の地域おこし協力隊になった。

余談、僕は高校大学と恋愛をすることはなかった、それらしき出来事はあったけれど、それは「恋愛を追い求めている自分」に過ぎなかったと、今は思う。


社会人、正直大学生活が終わるのは嫌だった。ぬるま湯のような自堕落生活から抜け出さなくてはいけない。

右も左もわからない土地で右も左もわからない社会人の始まり。
それでも、自己実現のためにやってみるしかない。右往左往。


愛媛で知り合った人の言葉
「大村くんのこと好きだわ」(同性)
それ以外にも出会った多くの人、モノ、言葉。
多くのものが「あなたはここにいてもいい」ということを優しく語りかけてくれる。

近所のおばちゃんはガミガミ言いながら僕のことを気にかけてくれる。僕の担当職員はグチグチ言いながら僕の将来を案じてくれてる。

僕は地域おこし協力隊になって、鬼北町に根を降ろそうとしている。だけじゃない、一人の人間として、この世界に二足で立とうとしている。

「人が生まれる瞬間」について、しばしば考える。僕は「自分が”生きててもいい”と思えた時」がその人の生まれる瞬間であると思っている。
そういう意味では、僕は生まれたばかりなんだと思う。
決して、自分を愛せない時間が無駄なわけじゃない。それを知っている人は強くなることができるし、優しくなることができる。

自分を愛せない自分は今も僕の中にいる。それを優しく抱きしめて、僕はこれから生きていく。協力隊の最終年度が、これから始まる。

僕のこれから

いろんなものを抱えているけれど、僕はまだまだ多くのものを抱えていきたい。
家族に恩返しがしたい、鬼北町のためになることがしたい、僕のことを思ってくれている人のためになることがしたい。それでも一番は、自分がしたいことをしたい。

母親に、会いに行こうと思います。母親のことが嫌いな期間は随分と長かったけれど、あなたが僕を産んでくれたから、今僕はこんなにも幸せであるということを、何よりも伝えたい。僕はまだまだ成長したい。そのためには、何よりも、あなたのことを愛したいのです。





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