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篤があつしに変わるまで 18 『生まれて初めての悔し涙』

このエピソードからお読みの方は、 『篤があつしに変わるまで 0 プロローグ』 からお読みください。
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 この物語りも、いよいよ終盤に差し掛かっている。
 そろそろ結論を申し上げるが、『Excelマクロで作る販売管理』と題したボクの原稿は、最終的にはエーアイ出版より『Excel95で作るVBAアプリケーション -VBAで作る販売管理システム-』という絶妙のネーミングをいただいて発売されることになる。

 しかし、エーアイ出版にたどりつくまでに、ボクは門前払い同様の扱いを10回以上も受けた。
 ただ、さすがにボクの「門前払い」ストーリーも食傷気味の人が多いであろう。

 そこで、1社だけ、今なお忘れることのできない「あの対応」を記すに留めたい。

◆◇◆◇◆◇◆◇

「うーん。なんとも言えませんが、話を聞く限り、まあ検討の余地はなくもないですね。とりあえず、履歴書と企画書を送ってください。あ、送るってFAXですよ。FAXくらいは持ってますよね?」
 言葉使いは丁寧だが、なんともとげとげしい話し方の某社の編集者・・・。
 もっとも、何社も出版社を回ったり、また電話をしてみて、この程度の対応にはすっかり慣れてはいるが。

「はい、かしこまりました。それから、完成している原稿はいかがいたしましょうか? こちらは郵送いたしましょうか?」
 時は1996年の春。まだまだE-Mailで原稿を送るなど一般化していない時代である。
 それに、さすがにFAXで送れるような分量でもないので、選択肢は郵送しかない。

「原稿? 申し訳ありませんが読んでる暇はありませんね。企画書だけで結構です。それで売れる本になるかどうかわかりますから」
「はい、かしこまりました。ただ、一つだけお願いがございます。企画が通った場合はもちろんですが、落ちた場合でもご連絡をいただけますか? 結果がわかりませんと、私も『スケジュールの立てようが』ありませんので」

「スケジュールを立てる」とは、言うまでもなく、別の出版社への売り込みを意味する。かれこれ3ヵ月もこのようなやりとりをいろいろな出版社としていたため、ロスはできるだけ少なくしたかった。いや、少なくしなければならなかった。

「いや、2~3日で結論は出ますよ。そうしたら、すぐに連絡します」

 しかし、1週間待っても連絡が来ない。
 業を煮やしたボクが電話してみると・・・。

「あー、あなたの企画、会議にかけるの忘れちゃいました。来週の会議にかけますから」

 なんたることだ。
 人間のすることだ。忘れるのは仕方ない。
 しかし、物は言いようだろう。
「1回の会議では結論が出ませんでした。来週の会議でもう一度議題にあげますから」
 嘘でも、このような伝え方をしてくれるのが「優しさ」ではあるまいか。

 そして、信じがたい話だが、このやり取りが繰り返されること3回。3週間以上待たされた挙句、この編集者は引き継ぎもせずにその出版社を退職してしまった。

 再度、一から別の編集者に説明を試みたが、「うちは持ち込み企画はお断りしてますので。持ち込みで当たった試しがありませんから」。
「でも、原稿は完成しているんです。それをお読みいただければ判断材料になると思うのですが・・・」

「いえいえ。『持ち込み』はあくまでも『持ち込み』。それに、完成した原稿を私が見てしまうと、ますます出版の可能性はなくなると思いますよ。だって、あなた、出版の経験、ないんですよね」

 このとき、ついにボクは涙した。
 原稿が完成してからすでに半年。
 Excel VBAも徐々に世間の注目を集め始め、次々と色々な書籍が世に出回り始めていた。
 当然、ボクの焦りも絶頂に達していた。

 しかし、「コネがない」「実績がない」「どこの馬の骨かもわからない」。
 この「ないないづくし」の三重苦を打破できない自分への苛立ちと、あまりに無礼な編集者の対応。
 子どもの頃、骨折して痛くて泣いたことはあるが、そのとき以来の涙であろう。
 また、生まれて初めての「悔し涙」であった。

 そして、この「悔し涙」以降、それまでは「本が出版されたら驚かせてやろう」と自分の中にしまい込んでいた事の経緯や複雑な心境を初めて友人達に伝えることにした。
「話す」ことで、心がいくばくか軽くなると思ったのだ。

 しかし、友人、正確には「友人だと思っていた知人」も含むが、彼らの反応は実に様々であった。

→ 19話『友人たちの反応』へ

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