篤があつしに変わるまで 14 『ジ・エンド』
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最初に僕が目をつけたのはコンピュータ系の専門学校だった。
1つの学校で200冊購入してもらうとして・・・。
15の学校でボクの本を教材として使用してくれれば、ちょうど3,000冊だ。
そんな営業が可能かどうか皆目見当がつかないが、とにかくやるしかない。
まず最初に、静岡県内では非常に有名な専門学校に電話を入れてみる。
もちろんコネなどあるはずもないが、その学校が万が一ボクの本を教材にしてくれれば「はく」がつくというものだ。
あとは、その「はく」を利用して、次から次へといろいろな専門学校に営業をかける。
これが、ボクの考えついた「3,000冊売りさばき」計画であったが・・・。
みなさんご想像のとおり、結果は惨敗。
このときボクは、生まれて初めて「門前払い」なるものを経験した。
とにかく、会ってすらもらえないのだ。
最大手の専門学校は見事に玉砕。
そこで、その後は方針を転換して、多少小さ目のところを攻めてみた。
もちろん、何度も「門前払い」を経験した。
真剣に話を聞いてくださる先生もいらっしゃったが、なんと言っても、当時はVBAのクラスがある専門学校はほとんどなく、結果は全滅であった。
それならばと、もう1つの候補であるパソコンスクールを攻めるも、当時はどこを調べても「VBAコース」を設置しているスクールなど1つもなかった。
結果、本を売り込む以前に(というか、そもそも「その本」がまだ出版されていないのだが)
「VBAは便利である」
「VBAを覚えると仕事の幅が広がる」
「VBAを覚えると作業時間の短縮になる」
というところから説明を始めなければならず、肝心の本を売り込む前に(くどいようだが、肝心の「その本」はまだ出版されていない)「お引き取りください」と言われる始末。
今となっては隔世の感もあるが、1996年のVBAは所詮その程度の扱いだったのだ。
そして、ボクはついに独り呟いた。
「終わった・・・。ジ・エンドだ・・・」
「成功する秘訣? それは成功するまでやめないことだ」
ボクの座右の銘であるが、今回ばかりはもう万策尽き果てた。
これ以上、なにをどうしろというのだ。
東新宿出版には、「出版断念」の電話を入れよう。
そして、また開発の日々に戻ろう。
この数ヵ月のことはなにもなかったことにすればいい。
そして、また一から本業の開発で頑張ればいい。
ただそれだけのこと。
「そうですか。断念なさいますか」
「はい。とても3,000冊売りさばくなど無理な話です。心当たりをどれほどあたっても、そんな販売ルートは見つかりません」
もう終わった話である。
ボクは、淡々と出版断念の意思を青森編集長に電話で伝えて受話器を置いた。
それから数日が経過した。
ボクは、心機一転とはいかないが、また開発で頑張ろうと考えていた。
逃した魚はあまりに大きい。
まだ、心のどこかで引きずっている。
しかし、いつまでも固執しているわけにもいかない。
朝食を終えて、その日の空とは違ううす曇りのような気持ちのままパソコンの電源を入れたとき、電話が鳴った。
今にして思えば・・・。
それは、運命の鐘の音だった。
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