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一度離れたふるさと。帰郷して分かった地域の課題-倉吉やしろ彩菜家 安藤 文江-

「自分のふるさとのために何か力になりたい。でも、何から始めていいかわからない」―そんな葛藤の思いを抱いている人も少なくないのではないでしょうか。

今回取材をした安藤さんは、一度はふるさとである鳥取県から離れたものの、現在は「とっとり暮らしアドバイザー」として移住者向けのお試し住宅と民泊の経営を行っています。

「”関係人口”と難しく考えるより、ファンを作る気持ちで活動している」と明るく語る安藤さんに、今の活動や一度は離れたふるさとに戻ってきた経緯についてお話を伺いました。

「家を出たい」と思い続けた青春時代

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現在「とっとり暮らしアドバイザー」として活動を行っている安藤さん。具体的にはどのような活動を行っているのでしょうか。

「今年度から県公認の『とっとり暮らしアドバイザー』にもなりましたが、以前から移住を考えている人を対象にしたお試し住宅の運営や、移住後の相談を行っています。住民交流サロンや民泊も経営しており、鳥取県のファンになってもらう活動を各種行っています。」

今でこそ移住促進といった形でふるさとのために尽力している安藤さんですが、高校を卒業してからは逃げるようにして鳥取県から去ったと言います。

「私は鳥取県中部の倉吉市で生まれました。父は当時珍しかった草刈機など農機の販売や修理に関する会社を経営していました。

父は家庭より仕事に熱を入れて、一緒に食事をしたことも殆どありませんでした。周りの友達と比べても、家族の絆やあたたかさを感じることは少なかったと思います。

そんな家庭環境もあり、高校を卒業してからすぐに、「ここを出たい」という一心で県外に出ました。鳥取が嫌いというよりは、置かれた環境から逃げ出したかったんですね。

それから四半世紀、約25年くらい岡山県で生活しました。鳥取に帰るという選択肢は、当時の自分には全くなかったです。」


突然の連絡で、仕方なくUターン


逃げるようにして県外に出て、約25年を過ごしたという安藤さん。しかし、突然の連絡でふるさとに帰ることになります。

「岡山で出産・子育てを終え、これからの自分の生き方を模索していたとき、突然一人暮らしの父親が『癌』という連絡が私達姉妹に入ったんです。

父の世話を誰がするのかを姉妹3人で話し合うことになり、結局比較的自由度が高い状況だった私が一時的に鳥取に帰ることになりました。

また、会社の社長である父に代わって、介護以外でもしなければならないことが山ほどありました。

認知の症状も出始めた父親の介護と、会社経営のプレッシャー。鳥取に帰りたいという思いも当初はなかったので、本当に精神的にも肉体的にもしんどかった時期です。」

地域に関わることで変わった鳥取や家族へのイメージ

そうした辛い日々が8年続きお父さんを看取った後に、安藤さんはそれまで目を背けていた“ふるさと”を見つめ直します。

「父を7年前に看取った後、私も倒れて働けなくなってしまいました。少し体調が落ち着いた頃、かつて父の会社や生家があった地区で集落支援員の募集があり、幸いにも採用となって働けることになりました。

『これまで父がお世話になった地区で、なにか恩返しがしたい』と思いました。高齢化はもちろんですが、薄れている地域の絆を深めることが大切だと思い、例えば公民館カフェを始めたり、自治公民館の活動を支援したり、地域のためにできることは何なのか、日々試行錯誤していたように思います。

地区には父の昔の話を聞かせてくれる人もいて、そのうち父の生き方に共感できたり、地域に愛着が湧いてきたんです。

つい最近家系図を見つけて知ったのですが、私の曽祖父はこの地区で村会議員をしていたらしいんです。その他にも小学校校長だったり寺社町奉行だったり、まあ、そうそうたるご先祖様。

ずっと家を出たいと思い続けて飛び出して、仕方なく帰ってきたのに。『私はご先祖様に呼び寄せられたんだな』と思うようになりました。鳥取に帰って来てからの15年間の出来事がすべて腑に落ちた、不思議な体験でした。」

地域の空き家「もったいない。」ここがすべてのスタート

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お父さんの生き方に共感できたことで、ふるさとへの思いが強まったという安藤さん。試行錯誤の中で、今の活動につながる転機があったと言います。

「地域おこしについて日々考える中で、勤務していた公民館の近くに空き家があることが気になってました。

民家を活用したデイサービスを行っていたようで、外観もさほど古くなく立派な家なのに、数年間放置されていました。史跡のすぐ隣なのに、何とか地域のために使えないかなと考えを巡らせていました。

するとたまたま参加した勉強会で、その所有者の方とお話しする機会をいただいたんです。

その方や地域の皆さんと話す中で、誰もが少子高齢化や地域の過疎化が課題だと思っているけれど、意見を交わす場所や、小さな行動を起こすきっかけがない。それぞれの思いを語り、きっかけを生む住民交流サロンとして活用しようと思ったのです。

しかし、そこでふと安藤さんは考えます。

「6LDKで蔵もある大きな家を、まるまる住民交流サロンとしては持て余して使い切れない。それこそもったいない。ならば、『使わない部屋を民泊にして、地域住民だけでなく、県外の人も集うような場所にしてしまおう』と思いついたんです。」

今でこそ民泊は一般的になりつつありますが、安藤さんが「民泊をしよう」と声を上げたとき、周囲の反応はどのようなものだったのでしょうか。

「当時は民泊新法が制定された頃で、まだ鳥取中部では1件も届出が出ていませんでした。色々調べていくうちに、民泊を運営する場合、人が住んでいない家だと管理者の資格と10万近い登録費用がかかることがわかったんです。

人が暮らしていない家だと、エアコン1台買える費用がかかってしまう。『もったいないから、もう私が住んでしまえ』と思いました。(笑)

こうしたいろいろな縁の巡り合わせで、一度は離れた鳥取のために力を尽くすことを決断しました。」

今できることからどんどんやっていけば道は開ける

鳥取県をさらに盛り上げるべく、住民交流サロンや民泊開始のために動き始めた安藤さん。しかし、当時は集落支援員の任期を終えて農業の勉強中で、すぐには行動できない状況だったと言います。

「やりたいことが山のようにあって、本当に全てできるのかと不安も同時に抱えていました。

しかし、『とにかく今の自分にできることからどんどんやっていくしかない』と腹をくくり、仕事をしながらでもできる資金の調達から行うことにしました。

まずは住民交流サロンを開設する飲食業許可を取得するため、必要な厨房などの改装費をクラウドファンディング等で調達し、コミュニティカフェをオープン。そこで日銭を稼ぎながら、民泊届出に必要な設備や書類の準備と少しずつ歩みを進めていきました。

『今できることを着実にやっていく。それが自分のやるべきこと(使命)なら自然と道が開けてうまくいく。』自分自身の人生や、父の会社の経営を代わった経験から学んだものです。

無事民泊のオープンを果たした直後に、東京の会社との提携の話がきましたし、Airbnbを活用して宿泊者数を増やすこともできました。

これまで外国の方を見かけることすら殆どない田舎の地域に、アメリカ・香港・イギリス・フランスなど様々な国のゲストが出入りし、散歩したりしていることで、近所の方々にも宿泊施設として認知されてきました。

地域課題の解決においても『できることからどんどんやっていく』というシンプルなことがコツなんだと実感しました。

関係人口ではなく”ファン”を増やす

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安藤さんが一番印象深い移住事例が、中部地震の時に大阪からボランティアで来られたアメリカ人のクリスさん。ボランティアの際に地元の人と交流する中で、住民の人柄を気に入って引っ越して来られたと言います。

「自治体の助成制度が手厚いからじゃなくて、お金を払ってでも来たい!と思うくらい地域に惚れてもらわないと、地域との関係は続かないと私は思ってます。正直、森も山も海も、日本の田舎と呼ばれる場所は、だいたい鳥取と、この場所と同じような景色が広がっていますよね。

だから大切なのは唯一無二の人なんです。窓口の対応も大事ですが、『あの人に会いたい』、『あの人の作ったものが食べたい』。まるで芸能人やアーティストのファンのように、高い交通費出しても会いに行きたい。それが講じて、いっそ『あの人の近くで暮らしたい』と、そこまで思ってもらえて初めて、移住や定住に結びついていくんだと思っています。」

最後に、安藤さんにとって関係人口とはどういったものなのでしょうか。

「私は正直、”関係人口”ってあいまいな言葉だと思っていて(笑)関係人口を増やすというより、ファンクラブの会員を増やすイメージで日々活動をしているのが本音です。

そこにいる人が魅力的で、輝いて日々を楽しんでいることを発信していかないと、本当の関係人口って築くことができないと思うんです。

だからこそ、私自身がまず、鳥取での生活や活動を楽しむことが一番大事。そしてできれば、ふみちゃんに会いたい!と来てくれるファンをたくさん作りたいですね。」

「関係人口」という言葉を、「ファンづくり」というわかりやすい言葉に置き換え、日々鳥取県の魅力を伝えている安藤さん。ご自身も試行錯誤の中からいまの活動のヒントを得たことから、地域課題の解決のコツは「できることからやってみる」ことだと教えてくれました。

「ふるさとのために何をすればいいかわからない」という方も、まずは難しく考えず、自分の周りに目を向けてみることがヒントになるかもしれません。

安藤文江(あんどう・ふみえ)                    鳥取県倉吉市出身。一度離れたふるさと鳥取に再度住むことを決意。鳥取県中部のゲストハウス倉吉やしろ彩菜家代表を勤めるほか、野菜ソムリエ、美味安全野菜栽培士の資格も持つ。「とっとり暮らしアドバイザー」として鳥取県の移住・定住者を促進する活動も行っている。

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