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「ルックバック」に学ぶ、哀しきエンジニアよ、組織はサンジをルフィに変える。

前回に引き続き、子どもたちは夏休みを満喫している。宿題も早々に終わらせた勤勉さを見せつけたと同時に、仕事がない日は一緒に遊べ!どこかに連れていけ!という要求が後をたたない。

先週は楽しみにしていた映画が公開されるということで、半ば無理やり一緒に見に行くこととなった。『クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』を。


(予告:『【7月30日(金)公開】『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』予告2 新公開日ver.』Youtubeより引用)


お察しの通り対象年齢は低めなのだが、嘘みたいに面白かった。

特にラスト、焼きそばパン買ってこいマラソンで、しんのすけとスーパーエリート風間さんロボが一騎打ちするシーンは涙なしでは見られなかった。未視聴者にとってはなにがなんだかわからないと思うが、見た人にしか分からない感動がそこにあった。



本作は本格(風)学園ミステリーと銘打っているが、主題となるテーマは「別れ」であったと私は思う。ミステリー要素はおまけである。

しんのすけと風間くんは、ふたば幼稚園(原作だとアクション幼稚園なので、未だに違和感があるが)に通う友達同士であるが、風間くんはお受験、しんのすけは地域の小学校と各々の進路が違う。

風間くんは近い未来に訪れる友達との別れを理解しており、カスカベ防衛隊として出来るだけ長く過ごしたいと考えている。しかし、そんなことを梅雨ほども知らぬしんのすけ達と徐々にすれ違ってしまう、というストーリーだ。


誰にも別れの季節は訪れるが、子ども時代の別れの重大は大人のそれとは比べ物にならない。


私事だが、来年から娘が今いる学校を離れる予定だ。以前の記事でも少し触れたが、娘は聴覚障がいを持っているので今までは聾学校に通っていたが、本人の希望もあり地域の学校へと編入する。それゆえ、彼女にも風間くんと同じような別れが待っている。

まだ半期が残っていることもあり、今は友達との別れを悲しんでいる様子はないのだが、劇中の風間くんやしんのすけの姿と未来の彼女が重なってしまい、感情移入が止まらず、親目線で感極まってしまった。


娘がAmazon Primeでクレヨンしんちゃんの映画を朝から晩まで見続けて、しんちゃん口調でケツだけ星人をやりだした時は神を呪おうかと思い悩んだが、結果として良い映画に巡り会うことが出来た。神に感謝。


思いがけず琴線に触れる作品と出会うことほど嬉しいものはない。最近では『ルックバック』を読んだ時が、ずば抜けていた。



人生ぜんぶを懸けて出来上がるもの

『チェンソーマン』の作者として一躍注目の的となった藤本タツキ先生の読み切り漫画である『ルックバック』は、その完成度の高さから配信当日から界隈をザワツカせていた。同業者からも「凄い」「言葉にならない」「心が折れる」「ぐちゃぐちゃになる」など、反響がエグい。

今のところジャンプ+で全て読めるので、未読の方は是非。

藤野は学年新聞で4コマ漫画を連載し、周囲から絶賛されていた。ある日、教師が京本の漫画を掲載したいと告げる。藤野は不登校児である京本を見下していたが、京本の画力は高く、周囲の児童からも称賛される。2人が創作した漫画は共に新聞に掲載され、藤野は屈辱を覚えながら絵の本格的な練習を開始するが、友人・家族関係にも軋轢を生みながら重ねた研鑽の果てにも京本の画力には届かず、とうとうペンを折ることになる。

『ルックバック』Wikipediaより引用



本作は公開日が京都アニメーション放火殺人事件発生日の翌日であったこと、作中に事件を彷彿とさせるシーンがあること、犠牲者となったクリエーターへの哀悼の意を感じられることなどから、痛ましい事件への追悼作品なのではと話題になった。

また、一部の読者からの抗議で表現の見直しが行われたことが、更なる議論を生むこととなった。

(リプライは批判多め:『ジャンプ+』公式Twitterより引用)



事件を連想させるシーンが、この物語の核となっていることは間違いない。本件に関しては私も思うところがあるが、今回私が取り上げたいのはこの部分ではない。

私が取り上げたいシーンは、主人公・藤野が画力を磨き作品を仕上げるためにひたすら机に向かい続けるシーンについて、だ。


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(机に向かい続ける藤野:『ルックバック』より引用 藤本タツキ著)


本作は机に向かう藤野の背中で溢れている。冒頭の小学四年生から最後のシーンまで徹頭徹尾、彼女はとにかく描いて描いて描き続けていた。これらのシーンにセリフはないが、その背中は「上手くなりたい」という彼女の想いを雄弁に語っている。

結果として、ライバルであった京本に自分が認められていたと知った後のシーンは、ただひたすらに美しかった。

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(雨の中のダンス:『ルックバック』より引用 藤本タツキ著)



目標を持ってなにかに没頭し続けることはとても難しい。

少なくとも私はこの年まで、なに一つとして続けられていることはない。習慣的に読んでいる漫画ですらも、明確なアウトプットをしようと思ったのはnoteを始めた頃からで、それまではただ読んでいるだけだった。


私は藤野のように人生を懸けてなにかに没頭する生き方に、強い憧れを持っていた。人生を懸けて何かを極める姿は美しく、職人的な生き方に憧れていたのだ。

しかし、そういった人生を歩むことは叶わなかった。

いや出来なかった。それはやりたいことが見つからなかったからであり、やり続ける心の強さもなかったからであり、続けようとする努力もしなかったからである。

こんな人生を歩んでしまった私には、『ちはやふる』の原田先生の言葉が突き刺さる。

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(青春ぜんぶ懸けれなかったよ、原田先生……:『ちはやふる』2巻より引用 末次由紀著)


原田先生の言うとおり、これらは全て私が不甲斐ないせいなのだが、それを受け止めるのは心がツラすぎるので、今回はなんとか無理やり私以外のせいにして憂さを晴らしたいと思う。



私たちは正直で立派で、ちょっとだけズルをしたい

どうして私はなにかに没頭することが出来なかったのだろう。それなりに興味があるコンテンツはあった筈なのに、私は藤野のような生き方を選択することが出来なかった。

まずはこれを、私のせいではなく人間のせいにしたい。


ダン・アリエリー『ずる 嘘とごまかしの行動経済学』では、ヒトの行動は「自分自身を正直で立派な人物だと思いたい」という思いと「ごまかしから利益を得て出来るだけ得をしたい」という相反する動機づけによって駆り立てられていると主張している。


本著で紹介されている検証は興味深いものばかりである。なにより、その検証結果のすべてが前述の主張を裏付けていることが素晴らしい。

例えば以下の実験は、ズルが出来る状況とそうではない状況で、ヒトの振る舞いはどう変わるのかを検証している。

・間違い探しの課題を5分間解き続けてもらう
・被験者には正解数に応じて報酬を支払うと伝えている
・ズルが出来ないグループは、解答用紙を試験官に提出し報酬をもらう
・ズルが出来るグループは、解答用紙をシュレッダーで破棄、正解数を自己申告し報酬をもらう


結果は、ズルが出来ないグループの平均正答率が20問中4問だったのに対し、ズルが出来るグループの平均正答数は6問と、ズルが出来たグループはちょっとだけ正答数を水増しして試験官に報告した。

水増しするなら全問正解と答えてしまっても良さそうだが、それは自らの倫理規範に反するのだろう。怒られない程度に水増し報告し、利益を得たいと考える人間の業のようだ。



ズルが起きやすい環境因子はいくつかある。不正をしても辻褄が合わせられること、利益相反があること、他人の不正を認識すること、不正が他人の利益になること、疲れていることなど、これらいくつもある因子が一つでも当てはまる状況では容易にズルが起きうるのである。


藤野のように誰にも見られず努力し続けることはヒトの習性上、簡単なことではない。誰にも見られてはいないのでサボっても咎められないし、作業に疲れれば少しくらい休んでも良いだろうと考えてしまう。なにしろズルし放題なのだから。

それに頑張っても一番になれないならば、すぐにでもペンをへし折ったって不思議ではない。そんな状況で努力し続けられる人はウルトラレアであって、私のようなノーマルキャラは努力し続けられる訳はないのだ。

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(終わり終わりー:『ルックバック』より引用 藤本タツキ著)



ビジネス本から学ぶリーダーの必須能力

もうひとつ。これは言い訳というか、現在進行系の恨み節になる。例のごとく悪いのは私なのだが、自分のことは棚において、次は環境のせいにしたいと思う。


少し自分語りをするが、私は化学系の大学院に進み、その領域に関連する会社へ就職した。会社ではエンジニアとして商品開発に携わり、何をし続けてもうまく行かない阿鼻叫喚の歳月を経て、会社からささやかな評価をされることとなった。私は昇進し、プロジェクトリーダーとなった。


若輩リーダー向けの教育研修で、ビジネス本の読書をすすめられる機会がある。しかし私はビジネス本がとてつもなく嫌いだった。

再現性のない著者N=1の体験を基に、上から目線で色んなことをリコメンドされるのが気に食わなかったし、大体の本が主張の裏付けに本田宗一郎と松下幸之助,あるいはジョブズあたりのサクセスストーリーを引き合いに出してくるあたりは白けた気持ちになる。その割に主張は凡庸極まりない。


Kindle unlimitedの恩恵で先日読んだ下記ビジネス本も、同様に取るに足らないものであった。

以下に内容を要約する。

リーダーには以下の要素が必要とされる。
・決断力:何をやり、何をやめるかを決める
・観察力:正確なものを見る専門性と、ありのままを見る客観性
・実行力:メンバーに実行させて組織として結果を出す


知ってるぅぅぅー!!! それ読まなくても世のリーダー全員が知ってるやつぅぅぅー!!!!!


やはり凡庸極まりないこと170ページもかけて書かれていた。

上記では要点を無理やり3つにまとめたが、実際は10個くらい必要な能力をつらつらと書いていた。もう少し簡潔に教えて欲しかったが、10個の中に”簡潔に伝えること”は入っていなかったので、リーダーには不要なスキルなのかもしれない。

あまりに多すぎる必須能力や習慣は、読者を置いてきぼりにするだけだと思うのだが……。



お前のキャリアは会社が作る

多くのビジネス本は、イキり倒しながら凡庸極まりない主張をしてくるのだが、主張自体は間違っていないと私は思う。プロジェクトを推進を求められるリーダーは、前述のように多くの人を束ねて仕事を推進する能力が求められる。

しかしそれは、エンジニアとして活躍するのに必要な能力と必ずしも一致していない。


リーダーについてを論じる記事で、「これからはワンピースのような組織が理想的だ!」みたいな主張を大真面目にしている記事を見かけた。ワンピースだって好きではないのに、麦わら海賊団のような組織を作ろうぜ!と言われてももうお腹いっぱいなのだが、大まかな主張を要約する。

・ワンピース型組織はリーダーをメンバーが支えることで成り立つ組織
 (逆はリーダーをピラミッドの頂点とした組織)
・リーダーは明確なビジョンを掲げ、メンバーをモチベートしながら仕事を推進する
・メンバーはリーダーのビジョンに共感し、それぞれの得意分野で能力を発揮してリーダーを支える

『昨日の不可能を可能にする「万能朝ポジティブ」講座』より引用


引用元の記事では、ルフィは料理もできない・海図も読めない・泳げないと、海賊としては何の取り柄もないと断言しており(既刊99巻を立派に勤め上げた船長に対して失礼極まりない…)、それでも麦わら海賊団が困難な旅を乗り越えられてきたのは、ルフィの「海賊王になる」という明確なビジョンに惹かれて仲間同士が支え合っているからだそうだ。

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(明確なビジョン:『ONE PIECE』1巻より引用 尾田栄一郎著)


この主張を踏まえて、主要な麦わら海賊団のメンバーを抜粋し、振り返りたいと思う。

・ゾロ:世界一の剣豪を目指す剣士
・ナミ:世界中の海図を描くことを夢見る航海士
・ウソップ:勇敢な海の戦士になることを目指す狙撃手
・サンジ:すべての食材が揃うオールブルーを探すコック


海賊王のクルーになりたい奴が誰もいない。ルフィ……お前のビジョン、息してないじゃん……。


どちらかというと船員各々に夢があって、その夢の実現のためにルフィに力を貸しているという方がしっくりくる気がする。技術,マーケティング,金融,規制対応と、求められる仕事幅が多様に深化する現代において、多くの専門家の力を借りて組織を運営していくという主張は正しい。最早一人で何でも対応できるような、単純な時代は終わったということなんだろう。

ここまでは問題ない。問題はルフィの仕事が終わった後に起こる。



仮に㈱麦わら海賊団が「ひとつなぎの大秘宝」を無事見つけたとしよう。しかし彼らの仕事はそれで終わらない。会社である以上、次のプロジェクトを立ち上げて貢献し続けなければお給料は発生しない。

そして次のプロジェクトのリーダーは恐らくルフィではない。実績をあげた前リーダーであるルフィはより上の役職にステップアップ、そのため次のリーダーはクルーであったゾロやナミ、サンジの誰かが担うことになる。


仮にサンジが次のプロジェクトリーダーになったとしよう。さて、サンジの身に何が起こるのだろうか?

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(ビジョンを共有する新リーダー・サンジ:『ONE PIECE』84巻より引用 尾田栄一郎著)


前述のとおり彼はコックである。コックとして料理の腕を磨いてきた彼が、これからは明確なビジョンを示しつつ決断力と観察力と実行力を持ってプロジェクトを推進することが求められる。

グランドラインも経験したことのない若手クルーと協力しながら2個目の大秘宝を探すうちに、オールブルーを目指して磨いたコックの腕前を振るう場はなくなるはずだ。

もし彼が厨房に立てば、料理をしている暇があれば明確なビジョンを掲げてメンバーをモチベートしながら仕事を推進しろ!と言われることになるだろう(役員となったルフィに)

コックとしての働きを買われて昇進したのに、なんと理不尽なことか。

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(たまにはキレたくもなる:『ONE PIECE』84巻より引用 尾田栄一郎著)



私の場合も同様であった。リーダーとなると同時に、阿鼻叫喚の歳月で身につけた能力を発揮する場は少なくなり、代わりに管理業務やこれまでとは毛色の違う業務が激増した。

少なからず没頭して得た能力は、会社が作るキャリアの道では不要なものとされ、継続して腕を磨く機会は失われていった。



ルックバックが必要だった

私たちが人間として社会で生きていく以上、藤野や京本のように「人生ぜんぶを懸けて何かをつくりあげること」はとても困難なように思われる。それでも彼女らのように真摯に生きたい場合はどうすれば良かったのだろうか。


先にも書いたように私たちはズルをするが、「自分自身を正直で立派な人物だと思いたい」と思っている。なにかに没頭するのは、自分が思い描く立派な人物になりたいという気持ちが原動力になっているのだろう。

藤野の場合は「自分より絵が上手いやつがいるのが許せない」だった。

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(行動の原動力:『ルックバック』より引用 藤本タツキ著)


この気持ちを忘れないためには、適度に自分自身を振り返る(ルックバックする)必要があったのではないか。

様々な局面で心が折れたり楽な局面へ流れそうになった時こそ、自分の行動原動力を思い出すことが、流されず踏みとどまるための力になるのではないかと、『ルックバック』の藤野の背中は思わせてくれた。


新リーダーとなったサンジや私にも、これは当てはまる。

オールブルーを目指したり、エンジニアとして研鑽を積みたいのであれば、それを遮る仕事やポジションは断ってしまっても良かったのだ。安易に受け入れる前に、理想の自分を振り返って自身の行動原動力を確かめるべきだったのかもしれない。



まとめ

『ルックバック』は冒頭と最後のページにそれぞれ「Don't」「in anger」と書いてある。これにタイトルの『ルックバック』(=look back)を入れると、Oasisの代表曲であり、サビを観客に歌われてノエルの歌声が聞こえないことに定評のある、「Don't Look Back in Anger」になる。

(サビを諦めないで:【和訳】Noel Gallagher's HFB - Don't Look Back In Angerより引用)


私は大事な決断のときに、自分の行動原理を振り返ることが出来ず、思うような人生を歩むことが出来なかった。しかし、このことを悪い思い出にしないで(Don't look back in anger)もよいと思っている。


少し前に面白いなぁと思う言葉と出会った。(プロ奢の言葉というところがウケるが。)

やりたいこととかがなきゃいけないってのは呪いだと思うよ。別にだってそんなデカイことなくたってさ、散歩してたら気持ちいいし、本読んでたら楽しいし、ご飯食べてたら美味しいじゃない。」

『【見逃し配信】毎日TikTok通話凸歓迎ライブ6』より(35分あたり) プロ奢ラレヤー


なにかに没頭している姿は美しいし、人生を懸けて創られたものは尊い。だけれども喜びは至るところにあるのだから、やりたいことがなくても卑屈になる必要はないと今は思う。

案外『フォレスト・ガンプ』のように、色んなことに流されて生きていく内に大事なものが見つかるのかもしれない。



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それでは。

(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』

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