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「ブルーピリオド」に学ぶ、君たちはどう育つか -毒親未満の劇親からみた、あなたの可能性。

他人が喜んでいる姿をみて自分自身も嬉しい気持ちになったり、誰かの悲しいエピソードを聞いて自分も落ち込んだりするように、他者の気持ちが自分自身に伝染する現象情動伝染というそうだ。

他者の特定の感情表出を知覚することによって、自分自身も同じ感情を経験する現象は「情動伝染(emotional contagion)」と呼ばれる。われわれは、この情動伝染という現象を通じて、他者と感情を共有することがしばしばある。

日本語版情動伝染尺度(the Emotional Contagion Scale)の作成. 対人社会心理学研究 (7), 31-39, 2007-03



上記論文では、伝染する感情因子は「喜び」「怒り」「悲しみ」「愛情」の4つに区分されるとし、また伝達しやすい感情には個人差があると結論付けていた。これら4つの因子の中では、私は圧倒的に「悲しみ」を情動伝染されることが多い。

誰かの喜んでいる姿を見て、自分も嬉しくなるなんて経験はほとんどしたことがない。それは人間としてどうなんだろうかと思いながら論文を読んでいたら、ネガティブ感情の感受性が高い人は精神的健康が悪いとはっきり書かれていた。

これらの結果から、「怒り伝染」や「悲しみ伝染」のようなネガティブ感情の感受性が慢性的に高い人は、精神的健康が阻害される可能性が示された一方、「喜び伝染」のようなポジティブ感情の感受性が慢性的に高い人は、精神的健康が増進される可能性が示唆された。

日本語版情動伝染尺度(the Emotional Contagion Scale)の作成. 対人社会心理学研究 (7), 31-39, 2007-03


メンタルチェックの不意打ちである。落ち込むからやめて欲しい。

そんなわけで私は映画やドラマ、そして漫画などで悲しい場面が訪れると、結構な確率で涙を流してしまう。感動を促すような場面で涙することは滅多にないのだが、悲しい場面、特に親や身内が絡むようなシーンが出てくるともうダメだ。ほとんど反射的に涙が出る。

例を上げると、『サマーウォーズ』の栄おばあちゃんが絡むシーンは、私にとってほとんどが泣き所となる。特に栄おばあちゃんが不意に迎える結末には、どうしても気持ちがついていけなかった。落ち込むからやめて欲しい。

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(あんたなら出来る:「スタジオ地図」公式HPより引用)


例え「悲しみ」というネガティブな感情であったとしても、このような物語に私の心が動かされたという事実は変わりない。そして私は、心動かされる物語が好きだ。しんどいけど。

そういう意味では、『ブルーピリオド』がまたしてもやってくれた。




直視できない見開き

21年10月よりTVアニメ化もされ、絶好調の『ブルーピリオド』。バラエティ番組・『マツコ&有吉 かりそめ天国』のスタジオにある本棚にも全巻揃えられており、地味に嬉しく思う。(参考:『かりそめ天国の後ろにある漫画のタイトルは?背景が気になる!』

21年9月に最新11巻が発売となったが、これがまた大変な本であった。

金欠に悩む八虎がたまたま応募したバイト先は、高校の恩師・佐伯先生が開く絵画教室だった。佐伯先生のもとで働くことになった八虎は小さな子供たち相手に四苦八苦。中でも問題児の翔也くんに「ピカソはなぜすごいのか?」と問われるも答えられず…。躍起になって調べるが、深く理解できない八虎は博識なある人物に相談する…!

『講談社コミックプラス』より引用


以前『ブルーピリオド』を取り扱った際に、本作は読み進めていくと中でバキバキに感情を揺さぶられ、そして読後は「私、こんなにぼんやり生きていて大丈夫かな」と猛烈な虚無感に駆られることになると書いた。

しかし11巻では、読後ではなく読み進めていく内に猛烈な虚無感と自責の念に駆られ、一度本を閉じてしまった。面白くなかったわけではない。作品の出来としては文句のつけようもない。

ただ作中のある見開きに、心が耐えきれなかった。




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(『ブルーピリオド』11巻より引用 山口つばさ著)



絵画教室に通う小学生の小枝ちゃんは、絵が好きで向上心もある可愛らしい女の子だ。展覧会への作品として油絵に初挑戦するが、難しく思うように描くことが出来ない。また小枝ちゃんは絵画教室の他にも多くの習い事をしており、そちらでも行き詰まってしまう。

親からの期待、理想とのギャップ、練習や他の習い事で消費される時間。友達と遊ぶこともできず、自分を追い詰め過ぎてしまった彼女が作品を投げ出し、堰を切ったように己の無力さを呪うシーンが上記である。



彼女の絵は決して下手ではない。現に同じ教室に通う生徒からも「かっけー!」と褒められている。しかし彼女や親が目指す理想と程遠い作品を褒められても、それは嫌味にしか聞こえない。観察眼に優れた彼女は、皆の良いところをみつけ、そこに至らない自分を呪い続けるのである。


この見開きが私に与えたショックはとても大きく、彼女から伝染した感情の整理がつかず、そのまま先を読み進めることが出来なくなった。

物事をネガティブに捉えがちな性分の私は、彼女の気持がとても良く分かってしまった。客観的にみれば悪くないはずなのに、気持ちが浮かぶことはなく、ひたすら周りを呪いながら堕ちていった時期を思い出し、虚無感にとらわれてしまった。

加えてトドメを刺されたのが、小枝ちゃんの親の行動に身に覚えがあったことだった。




無自覚に追い詰める親

小枝ちゃんの父親は悪い人間ではない。作中の彼は子供の送り迎えにも精力的で、人当たりも良さそうだ。少なくとも暴力を振るったり、子に無関心でいたりするような、ゴミのような人間ではない。

しかし読者目線で見ると、彼は猛烈に無神経な人間である。少なくとも私は、彼に対して不快感を持たざるを得なかった。


例えば展覧会に出す小枝ちゃんの作品を見るも、彼は他の人の絵を指差し、「ああいう絵にしてみたら?」と答えてしまう。まず褒めろよ。

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(こいつ……:『ブルーピリオド』11巻より引用 山口つばさ著)


ちなみに彼が指差した作品は、同じ教室に通う大人が描いた絵だ。小学生に求める期待値が高すぎる。

小枝ちゃんが気持ちを爆発させてしまった後も、平然と絵画教室に連れてきたり、少しポジティブになるキッカケとなった、憧れの先生との合作を「半分こ…」といいながら破いたりと、彼の無神経さを表すエピソードは枚挙にいとまがない。

合作を「半分こ…」と破き始めた時は、「殴れ!橋田、殴ってくれっ!」と思わずにはいられなかった。

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(このままバトル漫画になっても私は許した:『ブルーピリオド』11巻より引用 山口つばさ著)



このような彼の行動が、彼女を追い詰める一端を担ってしまったことは間違いないだろう。

では、なぜ彼はこんなにも無神経に彼女を追い詰めてしまったのだろうか。私は彼が小枝ちゃんに寄せる期待が、彼の目を曇らせてしまったのだと考えている。

小枝ちゃんは8個もの習い事をこなせる優秀な小学生だ。性格も良く、優等生として周囲の期待に応えてきたのだろう。なんでも応える彼女への期待はどんどん大きくなり、そして彼女の異変に気づくことなく、結果として、彼は無自覚に小枝ちゃんを追い詰めてしまった。




期待する親、期待しない親

先ほど、小枝ちゃんの親の行動に見に覚えがあると書いたが、正確に言うと少し違う。彼は子への期待から無自覚に子を追い詰めてしまったが、私はその反対だ。子の限界を勝手に推測し、子が追い詰められないよう選択を奪ってしまった。子に過度な期待をしなかったが故の過ちである。


これまで他の記事で何度か、私の子は聴覚障がいを持っていると紹介したが、実はそれだけではない。指定難病を患う彼女は、他にもハンディを背負っている。

幸いにも彼女の予後は良く、こおり鬼をしたりマラソンをしたりと、運動面も成長めざましい。また小学校入学前に、足し算引き算や、ひらがなカタカナの読み書きも出来るようになった。生まれた時のことを思えば、想像も出来ないような成長をしてくれた彼女に、頭が下がる思いである。底意地が悪いのが玉に瑕ではあるが、恐らく遺伝によるものなので、むしろ申し訳なく思う。



先日、幼稚園で劇をやることになったと娘から聞いた。『ピーターパン』をやるので、やりたい役を決めてきて欲しいと先生から言われたそうだ。

『ピーターパン』の登場人物といえば、パッと思いつくのは、ピーターパン・ティンカーベル・ウェンディ・フック船長といったところだろう。残りは、ディズニーマニアでなければ名前も思い出せないような有象無象のキャラクターなので、ここでは割愛する。


やりたい役を決めると聞いた妻と私は、示し合わせたわけではないにもかかわらず、ティンカーベルあたりが無難かなと揃って考えていた。なかなか希望を言わない彼女に、「ティンカーベルなんてどう?」とか「ピーターパンは○○くんが似合いそう」など、無自覚に選択肢を狭めるような誘導を行なっていた。

しかし彼女が希望した役は、ティンカーベルではなくピーターパンであった。いままで主役をやりたいなど一度も言ったことのない彼女が、熟考の末に出した結論であった。


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(ピーターパンになりたい娘とティンカーベルが妥当と考える親)


ピーターパンはセリフもアクションシーンも多いし、覚えなければならない手話もたくさんある。色々と出来るようになってきたとはいえ、障がいが重複している彼女には荷が重いだろうと、勝手に彼女の限界を判断し、ティンカーベルを勧めていたと、恥ずかしながら私はこの時はじめて気づいた。



小枝ちゃんが通う絵画教室の講師である佐伯先生は、小枝ちゃんの親を善良で健全で無自覚な人と評した。これ以上ないくらい的確な言葉である。

そして私も胸が痛かった。彼も私も、子のために良かれと思って行動していたが、客観的な視点からみれば、己の行動の空回り加減を自覚できない哀れな人なのだろう。

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(またしてもブルーピリオドに殺される:『ブルーピリオド』11巻より引用 山口つばさ著)




毒親ではないけれども

スーザン・フォワード著の『毒になる親』は、親が与える子への影響の大きさと根深さについて多くの実例を交えて解説し、毒親に育てられた子供が立ち直るための手法を紹介している。

初出が1999年3月とあるが、内容に時代の違いを感じないことで、ヒトの進歩の無さを思い知らされ、悲しくなる。


本書に記載されている例は強烈だ。わざわざ解説頂かなくても、子に対して良い影響などある筈もないという毒親がわんさか登場する。アルコール中毒・言葉で子を傷つける親・暴力を正当化する親・子に性的な行為をする親など、クズ人間のエレクトリカル・パレードだ。

本著では、上記に加えて「コントロールばかりする親」というカテゴリもあった。下記に要約する。

直接的なコントロール
-都合を押し付けるタイプ:自己中心的に責める
-金銭で従属させるタイプ:経済力を盾に責める
-子供の能力を永久に認めないタイプ:何も出来ないと責める

間接的なコントロール
-干渉をし続けるタイプ:不要な手助けで介入する
-兄弟姉妹に責めさせるタイプ:共通の敵とされる
-兄弟を比較するタイプ:身近な人より劣ると示す

『毒になる親』より抜粋 スーザン・フォワード著


さらに著者は、一般的なお願いや意思の主張,アドバイスと、毒となるコントロールとの違いについて、頻度と程度が争点となると主張している。もちろん、根底に善意があるかにどうかという点も重要だ。

自分の気持ちやのぞみを遠回しに表現するということ自体は、程度の差こそあれだれでもつねにしていることであり、ノーマルな形で行われている限り「コントロール」といったようなことではない。(中略)ところがこれを、相手をコントロールするための手段として、執拗に、過剰に使うようになると非常に不健康で有毒なものになる。特に親子の間では、小さな子供は親の本心が分からず混乱してしまう。自分が何かいけないことをしたのだろうとかんじさせられ、だが何がいけないのかわからない。

『毒になる親』より引用 スーザン・フォワード著


著者の論理に従うのであれば、客観的に対応を誤っていた私と小枝ちゃんの父親は、毒親と認定されるほど極悪ではないのかもしれない。本著の例にあるような、要望に応じないと罰を与えるとか、人格をとぼしめるような行為には至っていないのだから。

しかし、子に対して悪影響を示したことは間違いない。


毒物ほど毒性は強くはないが、急性毒性や腐食性、刺激性が強く、その管理や取り扱いが制限されるものを劇物という。私と小枝ちゃんの父親は、毒親未満の劇親と評されるべきなのかもしれない。

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(このステッカーを貼ったほうが良いのだろうか:コチラより画像引用)




求:輪廻を断ち切る方法

『毒になる親』では、毒親となってしまう一番の理由として、毒親の親もまた毒親であり、育てられる中で自己中心的な考え方が根付いてしまっていることが原因と述べており、これを「毒になる家系」と定義している。

もしあなたの親が「毒になる親」だったとしても、その問題は彼らが初めて作り出したものではないということを忘れてはならない。その前からずっと続いてきたネガティブな感情、ネガティブな家のルール、ネガティブな家族内部の人間関係、ネガティブな考え方などが何世代にもわたって伝わり、つぎつぎに積み上げられてきた結果なのである。

『毒になる親』より引用 スーザン・フォワード著


劇親が生まれる過程も同じだろう。人格形成に大きく関わった親の影響は、子や孫に引き継がれていく。

また私が子育てをしていて感じたことは、親にこうやって育てられたから自分も同様にしても構わないという免罪符は、思いの外強力であり、自分の行動を正当化するために根拠なく使われがちであるということだ。


劇親やその素養がある親は、なんとしてもこの輪廻を断ち切らなければならないが、確実な方法はない。

少なくとも特効薬はないのだと思う。そんなに簡単に解決する問題なのであれば、「毒になる家系」なんて言葉は生まれないはずだ。



個人的には、子供は親の所有物ではないという意識を持つこと、放任する勇気を持つこと、理性が負けて感情に振り回されないこと、あたりが重要だと思う。まずは感情に振りまわされず変わっていくために、以下の書籍を読むところから始める。学びがあったら共有にしたいし、より良い方法があれば教えて欲しい。




まとめ

今回は『ブルーピリオド』の小枝ちゃんから、私自身の親としての至らなさと、劇親からの離脱方法に思いを巡らせてみた。


ちなみに娘は、激戦のピーターパン役を見事なクジ運で掴み取ってきた。

背中を押したものの、やはり不安の残っていた妻と私は「ピーターパンやりたい子は多いだろうからクジで外れちゃうかもね。」とたかをくくっていたのだが、来月マジで娘ピーターパンが爆誕する。

妻と私の不安は膨れる一方であったが、予想に反して、娘は精力的に練習に取り組み、いまのところ先生からも順調と太鼓判を押されている。子供の可能性は私達の想定の範疇を超えている。理解が及ばないものを制御するより、ある程度自然の流れに身を任せるほうが、案外お互い楽なのかもしれない。


目下の不安は、『あつまれどうぶつの森』大型アップデートによって、早くもピーターパンに飽きはじめている様子が見られることくらいか。

任天堂よ、なぜもう1ヶ月アップデートを待てなかったのか……。


それでは。

(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』

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