「呪術廻戦」に学ぶ、すぐに怒っちゃう人はAmazon primeを見まくると良い。
木曜の夜9時。あと1日で休日という喜びと、勤労へのストレスが交差するこの時間に、皆さんは何をしてお過ごしだろうか?時間が許せばではあるが、私は大抵あるテレビ番組を見ている。
『ソーイング・ビー』である。
(楽園:『BBC one The Great British Sewing Bee』のHPより引用)
事前オーディションで選考されたアマチュア裁縫家たちが、毎週与えられるテーマに沿った縫製技術や出来栄えを競い合って勝ち抜いていく「裁縫バトル」番組。毎週脱落する人数が決められており、各週の脱落者は1名から2名。(中略)参加者は、使用資材の選択に始まり、型紙の準備、裁断、縫製、アイロンかけ、飾り付けなどの作業をすべて制限時間内に終わらせて課題作品を完成させる。
『ソーイング・ビー』Wikipwdiaより引用
残念ながら私に裁縫の趣味はない。中学の授業でも裁縫は苦手だったし、始めたいと思ったことすら一度もない。にもかかわらず、この番組は大抵見てしまうし、下手したら割と毎回泣いている。『ソーイング・ビー』の一体何が私を引きつけるのだろうか?
『ソーイング・ビー』はリアリティーショーだ。一般的なリアリティーショーの定義は、台本がない予測不可能な場に直面する一般人出演者の様子を楽しむドキュメンタリー、として差し障りないだろう。
よくあるリアリティーショーの比較例として、ここでは『Ex on the beach』を紹介したい。
(地獄:『Ex On The Beach Season 1』のHPより引用)
恋人探しに燃えるセクシーな男女が、恋のバカンスにぴったりのビーチで過ごす、恋愛リアリティーショー!共同生活を送る男女の元に次々と"元恋人たち"が登場し、楽しい恋の場になるはずだった豪邸は一気に修羅場へ。
『Ex On The Beach Season 1』のホームページより引用
上記の説明文だけで、眩暈がするほど低俗な番組構成であることが分かると思う。加えて『ソーイング・ビー』との絵面の差がヤバい。
個人的には時間を割いてみようとは思わない。しかし、『Ex on the beach』は2020年シーズン11まで続く人気番組となっている。視聴者は、ビーチから現れる元カレ・元カノがもたらす修羅場に気持ちを昂らせるのだ。
『Ex on the beach』と『ソーイング・ビー』の相違点を考えると、『ソーイング・ビー』は怒りや妬みといった他人に対する負の社会的感情が皆無であることが分かった。
『ソーイング・ビー』は、毎回1~2名が脱落する裁縫バトルが番組の基本構成であるため、他人の失敗を望んだり、評価に対する不満を口にしたりしても不思議ではないのだが、そんな場面は全く見当たらない。
それどころか、互いの作品を褒めあったり、脱落したメンバーに思いを馳せたり、時には皆で手を取り合いながら作品の評価に臨んだりする。『ソーイング・ビー』は自己研鑽の場であって、他人を蹴落として一番になる世界ではない。いかなる負の社会的感情から切り離された高尚な世界は、まるで楽園そのものだ。
多くの社会人にとって、木曜の夜はいっそう気が荒む。月曜から負の社会的感情に晒され続けた身に、楽園の物語はより心に沁み入るのだろう。
ただ悲しいことに、私たちは綺麗な世界の物語だけでは生きていけない。不合理な現実世界で生きていくためには、時に怒りに満ちた戦いの物語が必要になる。『呪術廻戦』はそんな現代人に最適なマンガだ。
もっとも厄介な感情が「怒り」
『呪術廻戦』は2018年から現在も続く、週刊少年ジャンプの大ヒット作品だ。2020年にアニメ化もされ人気に拍車がかかっている。メディアがネクスト鬼滅と囃し立てたい気持ちも、分からないでもない。
常人離れした身体能力を持つ高校生・虎杖悠仁は、両親の顔を知らず、祖父に育てられた。祖父が逝去した夜、虎杖の学校に眠る「呪物」の封印が解かれ、人を襲う化物・呪霊が現れてしまう。(中略)虎杖は力を得るため自ら呪物「宿儺の指」を食べ、特級呪物・両面宿儺が復活する
『呪術廻戦』Wikipediaより引用
『呪術廻戦』は連載開始から一貫して作品のレベルが高い。設定も細かく、かつ順を追って説明しないので、読み進めていくことで徐々に物語の全貌が明らかになる快感が味わえるところが好みであった。
反面、作者自身が「日本三大既視感作品」と揶揄するように、どこかで見たことがあるシーンが多い(参考:外部サイト)。
特に『HUNTER×HUNTER』へのオマージュを思わせる場面が多く、「パクリだ!許せない!」と『ソーイング・ビー』とはほど遠い世界の人から非難されていることも多いようである。
ただ、私は全く気にならなかった。むしろ『HUNTER×HUNTER』の様な満足感を毎週与えてくれる作者に感謝しかない。
だって、冨樫先生はもう3年近く休載しているんだから、不満がある読者は『呪術廻戦』をジェネリック冨樫と、見方を変えて楽むことをオススメしたい。怒られそうだけど。
なぜ私が全く気にならなかったのかを真面目に考察すると、『呪術廻戦』はどこか既視感のある設定を上手にアレンジすることで、より作品の魅力を引き出しているからだと思う。素直に感心してしまうシーンが多い。
例えば、「呪術廻戦の呪力はHUNTER×HUNTERの念能力のパクリ!」と憤慨しているコメントを見たが、よくよく読み返してみると、これらの力を生み出す根本から異なっていることが分かる。
念能力は、身体からあふれ出す「生命エネルギー」を操る能力である。
(念能力の源は生命エネルギー:『HUNTER×HUNTER』より引用 冨樫義博著)
対して呪力は、怒りや恐怖に代表される「負の感情」から生み出される。これを生まれながら体に刻まれている術式によって操りながら戦う。エネルギーの生産と運用の両方を行っているのが『呪術廻戦』というわけだ。
(呪力の源は負の感情:『呪術廻戦』より引用 芥見下々著)
元々あるエネルギーを運用することと、ゼロからエネルギーを生み出すことには、天と地ほど難易度が違う。加えて、その原動力が「怒り」である時点で、彼らはとんでもないことを行っていると、読者は認識を改めたほうが良い。
「怒り」はヒトの感情のなかで最も厄介である。「怒り」は以下のような特徴を持っている。
1. 怒りは制御が困難な感情である
2. 怒りはあらゆる感情の中で、最も表に出しやすい
3. 怒りは社会的感情であり、必ず対象(ヒト・モノ・事柄など)を要する
ここからは、参考文献も交えながら「怒り」の厄介さを説明していきたい。
紀元前のブチギレはスケールが違う
まずは「怒りは制御が困難な感情である」について説明していく。
この主張は、「直感的に妥当」と思う人も多いのではないだろうか。誰しも我慢しきれずに怒ってしまった経験はある筈だ。特に身近な人に対しての怒りは我慢しづらい。
近年は「アンガーマネジメント」をキーワードに、悩めるビジネスパーソンに向けて様々な書籍が発刊されている。試しに図書館で1冊借りてみた。戸田久実著「怒らない伝え方」だ。
ざっと読んだ程度で恐縮だが、下記が要訳だ。
・怒りは自然な感情だから怒っても良い
・でも上手に怒らないと人間関係が拗れまくる
・だから上手に伝えるように頑張ろう
だいたいこんなことが前半100頁に、後半は実生活で使える会話集が100頁ほど書かれていた。主張自体は「まぁそうだよね」といったものばかりで、特に学びもないのだが、後半の会話集がクセモノだった。書籍上で正しいとされる回答がめちゃくちゃイラつくのだ。例えばこんな感じ。
上司から「やる気がないんじゃない?」と言われた時の対応
NG「はぁ?がんばってますけど!」
OK「やる気がないというのは、具体的にどういう時にそう見えるのか、教えていただけますか?」
『怒らない伝え方』より引用 戸田久実著
イラつくぅ〜。OK回答は、意識高いだけの無がする回答である。無はなにも産まない。
真面目に逆効果なんじゃないかいう回答例が割と多くて困惑した。逆に、この回答で怒るようならアンガーマネージメントが出来ていないという著者からの挑戦状かもしれない。不意に挑戦を挑んでくるのは、たけしだけにしてもらいたい。
(挑戦の第一人者:『たけしの挑戦状』ニコニコ大百科より引用)
実は先程の本の著者は「日本アンガーマネージメント協会」の理事長である。余談だが、「日本アンガーマネージメント協会」で検索した際のGoogle関連キーワードが容赦なさすぎて泣けてきた。世の中、怒りに満ち溢れている。
(関連ワードから溢れる怒り:著者検索時)
そして、怒りに満ち溢れているのは現代だけではなく、紀元前から続いているようだ。ここでは旧約聖書に登場する、エリシャという人物を例として紹介したい。
(預言者エリシャ:『Raising of the son of the woman of Shunem』のWikipediaより引用)
エリシャは旧約聖書の「列王記上」に登場する預言者である。同じく預言者であるエリヤの弟子で、神にエリヤの2倍の力をねだった欲張りやさんだ。力を授かった後の約60年間、彼は様々な奇跡によって社会的弱者を救済した。紀元前9世紀代の話だ。
エリシャが起こした奇跡は数多い。パンを無限増殖させた、油を無限増殖させた、水源を塩で清めた、毒物を麦粉で清めた、などなど。主に無限増殖と清めのアビリティーで活躍していた。
そんな奇跡の中でも異次元なのが、クモ膜下出血で亡くなった子供を生き返らせた、である。お前のアビリティーにそんな能力あったっけ?
現代でもクモ膜下出血の治療は困難だ。脳卒中治療ガイドラインでは、外科手術ならば破裂脳動脈瘤をクリップして止血する、脳動脈瘤頸部クリッピング術がグレードAと推奨されている(参考:日本脳卒中学会HP)が、それでも50%の方は亡くなってしまう。
繰り返すがエリシャは紀元前9世紀代の人物だ。クリッピング術など出来る筈もない。では彼はどう子供を治したのか。池田豊訳「旧約聖書<6>列王記」では、以下のように訳されている。
エリシャが家に着いてみると、見よ、子供は彼の寝台上に横たわって死んでいた。(中略)彼は寝台に上がって子供の上に伏し、自分の口をその口に、自分の目をその目に、自分の両手をその両手に重ねてかがみ込むと、子供の体は暖かくなった。(中略)子供は七回くしゃみをして、目を開いた。
『旧約聖書<6> 列王記』より引用 池田豊訳
全然状況が分からない。
口と目と手を重ねてかがみ込むってどういう状況なの?エリシャは天上ウテナだったの??
(現代のエリシャ:『少女革命ウテナ』より引用)
さすが紀元前、現代医学では理解できない世界である。ちなみに、先程エリシャとして紹介した絵の左側に全裸で横たわっているのが復活した子供だ。なんとなく顔に生気がないが、多分生き返ったんだろう。
そんな奇跡の人、エリシャであっても「怒り」による失敗は避けられなかった。彼がベテルに続く道を上っていく時の出来事である。
町から少年たちが出て来て彼を嘲り、彼に向かって言った、「はげ頭、上って来い。はげ頭、上って来い。」エリシャは振り向いて彼らをにらみつけ、ヤハウェの名によって彼らを呪った。すると森から二頭の熊が現れ、子どもたちのうちの四十二人を引き裂いた。
『旧約聖書<6> 列王記』より引用 池田豊訳
はげ頭をイジられたエリシャはブチギレ、2頭の熊を召喚し子供を殺すという、預言者らしからぬ短気っぷりを披露したのだ。吉村昭著『羆嵐』の題材となった、日本史上最悪の熊害である三毛別羆事件ですら死者7人だ。エリシャによる熊召喚の死者は6倍。スケールが違う。
旧約聖書の列王記におけるエリシャの功績は数多い。社会的弱者を数々の奇跡で救った彼は、本来尊敬に値する人物であるはずだが、はげイジり事件のインパクトが強すぎて、もはや常軌を逸した はげオヤジの印象しか残っていない。紀元前9世紀に「日本アンガーマネージメント協会」さえあればと、悔やんでも悔やみきれない。
すぐ怒る個体が生き残った理由
次に「怒り」は制御困難な特性に加えて、表に出しやすい性質を持っている。Meir Meshulamらは、とあるゲーム中のプレイヤーの脈拍数と皮膚の電気伝導率を測定することで、感情的緊張を測定した。
採用されたゲームは、Dictator Game(独裁者ゲーム)。プレイヤーAがプレイヤーBに、所有する金銭の一部を個人の裁量で渡すだけのシンプルなゲームである。いくらあげても、あげなくても良い。
実験では、プレイヤーBは「もらえる金額が少ない時は、怒りの度合いで報酬が増える」と伝えられた群、「もらえる金額が多い時は、満足度の具合で報酬が増える」と伝えられた群、「平静であれば報酬が増える」と伝えられた群の、計3群に分けられた。結果は以下の通りである。
(怒りが最も表に出やすい:『Rational Emotions in the Lab. Social Neuroscience 7(1):11-7. 2011』より引用)
怒りが報酬につながると伝えられた群は、満足さのそれと比べて、顕著に電気伝導率と心拍数が上昇していることが分かる。満足というプラスの感情よりも、怒りというマイナスの感情を表すほうが、ヒトは得意という結論だ。
なぜヒトはマイナスの感情である怒りを表すことが得意なのだろうか。なにかメリットがなければ、進化の過程で制御困難な怒りを表す個体は淘汰された筈だ。しかしエリシャの黒歴史から2800年、ヒトはまだ怒りに囚われている。
エヤル・ヴィンター著『愛と怒りの行動経済学(原題:Feeling smart)』では、怒りは対象を必要とする社会的感情であるがゆえに、自分と他人の決定に影響を及ぼし、さらに両者の間生まれたコミットメント(確約)を優位に進めることが出来ると述べた。
コミットメントの鉄則として、コミットメントをおこなう側は必要な犠牲を払う覚悟を決めていなければならない。宣言するだけでは不十分である。(中略)たとえば、怒りをあらわにすることで、たとえ自分が損をしようとも、不当な扱い使いや無礼な扱いをされたら拳で答えると言った強硬な対応を取るのも辞さないと示せる。
『愛と怒りの行動経済学』より引用 エヤル・ヴィンター著
ヒトが社会的な生き物である以上、生活の中に交渉事は不可欠だ。その交渉事を有利に進めるには、怒りという感情を示し相手を躊躇させることが有効であった。だから生態系の頂点に君臨するヒトは、一見メリットのない怒りを表すことが得意なのだ。
このような例は、私達の社会でもありふれている。アルカイーダのような、宗教的熱狂に突き動かされている組織が社会に強い力を示せたのは、彼らが理念のためには人命さえも犠牲にすることを厭わないという覚悟と力を示せたからに他ならない。
そんな怒りの特性を最大活用しているのが、五条悟である。
行動経済学的に五条悟は有効
五条悟は、自他ともに認める最強の呪術師である。膨大な呪力を運用した領域展開「無量空処」は領域内に引き込んだ相手に無限回の知覚と伝達を強制する。言葉の意味はわからんが、とにかくすごいやつである。
(とにかくすごい悟:『呪術廻戦』より引用 芥見下々著)
この五条悟、やることなすことカッコいい。特殊な眼である「六眼」をサングラスや布で隠し、ガチンコで戦うときは開放するなど、中二病要素が満載である。普段はフランクなお兄さんだけど、時には冷酷な側面があるところも良い。とにかく良い悟。
彼は、最も効率的に怒りから呪力を作り出すことが出来る人物、故に、最も怒りの取り扱いに長けている人物、と定義することが出来るだろう。
前項でも述べたが、怒りによって生まれる提案の真実味は、相手を躊躇させることに有効で、交渉事を有利に進めることができる。そして、その力が大きくなれば、影響は個人間にとどまらず、社会にまで範囲を広げる。
五条悟は強大な力を持つがゆえに、その存在自体が抑止力として機能していた。彼が生まれて以来、呪術界のパワーバランスが大きく変わり、術師や呪霊の活動が制限されている。ガチンコの不良がいる学校では、マイルドヤンキーは大人しいのと理屈は同じだ。
(呪術界のマイルドヤンキー達:『呪術廻戦』より引用 芥見下々著)
『呪術廻戦』の世界において、彼は最も怒りを効率的に取り扱い、そこから生まれる強大な呪力が抑止力として働くことで、世界の均衡を得ていたのである。
まとめ
多くの人にとって、怒りとは制御困難かつ不利益を生み出す厄介な感情である。しかし行動経済学の観点から怒りを考えると、交渉事を優位に進める武器になりえることが分かった。
私達が暮らす世界は決して『ソーイング・ビー』のような楽園ではない。ヒトが社会的な生物である以上、他人との交渉は絶えず存在する。そんな時は五条悟のように、怒りを有効に取り扱うことで、私達の人生は豊かになるかもしれない。
興味を持った方は、ぜひ怒りをコントロールする『呪術廻戦』式呪力制御の手法を取り組まれたら如何だろうか?
方法は簡単、いろんな映画を見ても感情が乱れないように訓練するだけだ。コロナ禍でもお手軽に始められる。
(おうち時間に優しい悟:『呪術廻戦』より引用 芥見下々著)
現代人はAmazon primeのおかげで、より気軽に始めることが出来るのでさらにお得だ。紀元前に生きるエリシャには真似できない。
それでは。
(今までの記事はこちら:大衆象を評す)
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