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「さんさん録」に学ぶ、迷った時は数学Ⅰを思い出すと良い。

昨年からKindleを本格導入した。

きれいに本棚に収めるプロセスがとても好きだったので、紙媒体で購入することに長年こだわっていたが、毎年大量に増えていく書籍に対して、部屋は全く大きくならなかった。

そのため、収納に限界が訪れるたびに古本屋に売りに行き、売った書籍が読み返したくなってまた買うという、負のマッチポンプ状態が長く続き、そのたびにウンザリしていた。

恐らく人生で一番売って買ってを繰り返した本は、小花美穂著『この手をはなさない』だと思う。

おそらく購入と売却を5往復ほどしたと記憶している。タイトルが『この手をはなさない』なのに、手放しまくってしまった。学びが何も活かせていない。

しかし、Kindleという電子的な繋がりを得たことで、私が「手をはなすこと」は2度と無くなった。本をめくる体験こそないが、場所をとらない、購入が楽、ハイライト機能が超絶便利、といった利点は、紙媒体では享受できない。


また、Kindleは度肝を抜かれるセールがたまにある。いままでで一番意味が分からなかったセールは、寺沢大介著『ミスター味っ子』が1冊11円で全巻販売されていたことだ。定価が1,100円なので99%割引である。

しかもこの「極!合本シリーズ」は、単行本3〜4冊分を纏めたものなので、ミスター味っ子の場合、全19巻が55円、1冊あたり2円89銭とチロルチョコの消費税より安い。

これがルネッサンス情熱か・・・。

(なつかしのオープニング:『ミスター味っ子Blu-ray BOX SD/HD比較映像PV』より引用)


『ミスター味っ子』以外にもKindleのセールにはお世話になっている。今回紹介する、『さんさん録』もセール中に購入した書籍である。


そして主夫になる

『さんさん録』は2005年から2006年にかけて、漫画アクションで連載されていた作品だ。こちらもKindleのセールにて購入したため、1巻が99円だった。お得は結構だが、なんとなく作者に申し訳ない。古本屋で買うより100倍マシだとは思うが。

妻に先立たれた男、参平に遺された一冊の分厚いノート。それは、妻・おつうが記した生活レシピ満載の『奥田家の記録』だった。主夫として第二の人生をスタートさせた、さんさんの未来は、ほろ苦くも面白い!

『さんさん録』Google Booksより引用


作者は『この世界の片隅に』や『夕凪の街桜の国』でおなじみの、こうの史代先生である。ちなみに『この世界の片隅に』も同セールにて3冊とも99円で販売されていたので、紙媒体を持っているにも関わらず秒で購入した。

なんとなく日テレポシュレのアンミカかってくらい、Kindleセールをゴリ押し宣伝してしまった。セールの話はこれくらいにしたいと思う。

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(通販界の女帝ことアンミカ:日テレポシュレのHPより引用)


主人公の参平は既に定年退職をした熟年男性である。不慮の事故で妻が他界したことをきっかけに、息子家族と同居することになるも、仕事一筋であったので彼らのことをろくに知らず、どこか馴染めない。

ある日、妻が残した「奥田家の記録」という分厚いノートを見つけたことをきっかけに、徐々に息子家族のことを理解し打ち解けていく・・・というアウトラインだ。


熟年男性が主人公とは挑戦的だなと思っていたら、巻末のあとがきに、苦手なものを主人公にしたかった、だから「じじい」にしたと述べられていた。あまりポジティブな理由ではなかった模様。

四年前、私は自信を失って落ち込んでおりました。いくら描いても、いっこうに早くもならず売れもしない事に気付いたからです。そこで、いっその事うんと苦手なものを描いてみよう、と思い立ちました。それで「じじい」を主人公にしようと思ったのです。

『さんさん録』2巻 あとがきより引用 こうの史代著

「老害」というワードに代表されるように、「じじい」が苦手な人はそれなりに多いと思われる。話が長く、融通がきかず、そして頑固、というのがステレオタイプの嫌な「じじい」像ではないだろうか。


ただ作中通して、参平を嫌な気持ちで見ることは皆無であった。いままで家事を一切やってこなかった参平が息子家族のために奔走する姿は、むしろ好感しかない。

復職を悩む息子の妻に対して、自分が主夫になり家事をするからと、彼女の背中を押す姿は、まさに理想の「じじい」像である。

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(パーフェクトじじい:『さんさん録』1巻より引用 こうの史代著)

スマホもない時代感なので、亡き妻が残したノートだけを頼りに、買い物・料理・掃除・洗濯・裁縫と悪戦苦闘していく参平の様子を見て、読者は徐々に彼を好きになっていくのだろう。


家事経験がまったくない参平が60歳を過ぎて主夫になる。どう考えても容易なことではないが、令和の男性にとってもこれは他人事ではない。昭和からはマシな価値観になったとはいえ、令和の既婚男性も思ったより家事をしていない。

日本労働組合総連合会が2019年にプレスリリースした『男性の家事・育児参加に関する実態調査2019』によると、既婚男性の家事時間は週平均で6.2時間であり、1日あたり1時間に満たない。

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(対象は全国の25~49歳の有職男性 n=1000:『男性の家事・育児参加に関する実態調査2019』より引用)

また行っている家事の内容をみると、最も回答が多かったのが「ゴミ捨て(62.5%)」で次に多かったのが「ゴミをまとめる(43.1%)」であった。ゴミ捨てで家事をやっているとドヤるやつ、ヤバない?

A「普段家事とかしてる?」
B「え、俺?やってるよ。当たり前じゃん」
A「へー、例えばなにやってるの?」
B「ゴミ捨てとか・・・ゴミまとめたりとか・・・」

この会話から漂う「駄目だこいつ・・・早くなんとかしないと・・・」感が半端ない。こんなやつが主夫になっても、出来上がってくる料理からは地獄の匂いしかしないのだが、こんなやつが大多数なのが今の日本なのだ。

せめて料理だけでも・・・早くなんとかしないと・・・。


料理の一般原理を知る

先日、玉村豊男著『料理の四面体』という本を読んだ。

100の料理を作るためにレシピを100個読むのでは時間もお金もかかる。この様な帰納的な方法から共通する一般原理を導き出すのは困難であるので、著者の豊富な経験から着想を得た料理の一般原理を呈示しよう、というところが、本書の肝となる点である。

ここに、ある日突然主夫になる可能性がある方へのヒントがある。

曰く、「火」「空気」「水」「油」という要素を各頂点に置いた「料理の四面体」構造を基にすれば、全ての料理が説明出来る、という内容である。以下にその四面体モデルを示す。

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(料理の四面体:『料理の四面体』より引用)

火と空気のラインにある料理は「焼き物」、火と水のラインにある料理は「煮物」、火と油のラインにある料理は「揚げもの(または炒めもの)」であり、火が関わらない底面は「生物」を表している。

それぞれのラインにおいて火の頂点に近ければ近いほど、空気・水・油といった要素の介在度合いは少なくなる。例えば図のように、焼き物のライン(火と空気のライン)は火に近い順から、グリル(直火)・ロースト(遠火)・くんせい(熱された空気)・干物(火というか太陽に熱された空気)と、徐々に火から遠ざかるわけだ。


著者は「独断的論理により」上記のような四面体モデルを呈示すると述べているが、本モデルはまさに料理の一般原理を表している様に思える。外れる事例がないのだ。

そして、このモデルが頭にあれば、同じ食材を用いても考えられる料理の幅が大幅に広がる。

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(お粥を作る参平:『さんさん録』1巻より引用 こうの史代著)

参平が作っていたお粥を例に考えよう。お粥は「米」を食材とした料理だ。火と水のラインに位置する「煮物」のやや水よりに位置する料理だろう。

もっと水よりに近づければ韓国料理の「クッパ」、火よりに近づければイタリヤ料理の「リゾット」やトルコ料理の「ピラフ」が思い浮かぶ。加える食材や調味料は違えど、大まかな調理工程は「米を煮る」と同様である。あとは水分量の調節を四面体構造に則って行えば、異なる料理が出来上がる。


また「米」を火と油のラインに移動させれば「炒飯」、油側に近づければ「ライスコロッケ」や「あられ」、火側に近づければ「煎り米」など、米にまつわるレシピを続々と思いつくことが出来る。素材を変えても同じだ。

この料理の一般原理と、本当に基礎的な調理工程さえ覚えておけば、家事経験が全く無い、あるいは少ない人であっても、様々な料理を最小限の労力で作ることが出来る。もうレシピ本とにらめっこする必要はない。


ただ、現代ではスマホでクックパッドなりクラシルなりを検索すれば、どんな料理のレシピも一瞬かつ無料で手に入るので、100の料理を作るのに100のレシピをその場で読めばいい。覚える必要もない。

真髄ともいえる料理の一般原理を知らずとも、なんとかなってしまうあたり、技術進展の素晴らしさと同時に一種の哀しみも感じる。


価値のある扉を忘れる

参平が料理の四面体を理解していたかを知るすべはないが、家事という大きな仕事を請け負うことで、徐々に息子家族に打ち解けていったようだ。息子の夫婦喧嘩を何度か仲裁する様子からも、それがみてとれる。

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(打ち解けた様子の参平:『さんさん録』2巻より引用 こうの史代著)

作中で息子夫婦は度々喧嘩をするが、だいたいのきっかけは、妻が仕事をすることを夫がよく思っていないことが原因だ。お金に困っていないのだから、わざわざ外に出て苦労をすることはないというのが、夫の言い分。フェミニストブチギレ案件である。


参平は毎回実にさり気なく二人に寄り添い、解決を促したり、見守ったりするのだが、特にグッときた場面がある。新たに子供を授かった息子に対して、自分の後悔を伝えるシーンだ。

その後悔とは「息子の成長を見落としていたこと」であった。

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(後悔の伝承:『さんさん録』2巻より引用 こうの史代著)


このような後悔はとても一般的なもののように思える。

先の記事でも引用した、ダン・アリエリー著『予想どおりに不合理』でも、価値のない選択肢を追い求める不合理な衝動は、本当に追い求めるべき価値のある選択肢を気づかなくする一面があると述べられている。

なかにはほんとうに消えかけている扉があり、すぐに注意を向けなければならないのに、私達がそれに気づかないときだ。たとえば、息子や娘の子供時代がいつの間にか過ぎてしまうことに気づかずに、職場で必要以上に働く。こうした扉は、閉まるのがあまりにゆっくりで、消えていくところが目に入らないことがある。

『予想どおりに不合理』より引用 ダン・アリエリー著

参平のように、仕事に打ち込み様々な選択を迫られる中で、身近な息子の成長を見守る機会を失ってしまったことは、ヒトの価値のない選択肢を求めてしまう不合理な衝動が原因と考えることが出来る。


著書ではヒトがこのような衝動を持っていることを実証すべく、以下のような実験が行われていた。

赤・青・緑の3種類の扉があり、クリックすると部屋に入れ、更にクリックすると各部屋の設定に応じた金額(例えば1~10セント)がランダムに得られるというPCゲームを行った。部屋の移動には1クリックが必要で、クリック出来る総数は100回。得られた金額の総数を評価する。

・A群:特に条件はない
・B群:12クリック分放置すると、クリックしていない部屋の扉が永久に消える

結果はA群に比べて、B群の獲得金額は15%も少なかった。B群の被験者は、永久に閉ざされるかもしれない扉の先にある「もっと大きい金額が得られるかもしれない」という可能性を追い求める衝動を抑えきれず、無駄に移動し部屋の扉が消えることを拒んだ。クリック数を消耗したのだ。

そして、このような衝動と格闘しているうちに、緩やかに閉まる価値のある扉には気づかず、失われるのである。


不合理から脱出するためには

『予想どおりに不合理』では、「決断しないことによる影響」を考え、決断を先延ばしにしないことが、価値のない扉を閉める力になると述べられていた。

例えば、新しいデジタルカメラの購入を3ヶ月悩んだとして、その間に失われる「写真を取る機会」と「悩んでいる時間」を考えれば、扉を閉めるか進むかの判断を速やかに行うきっかけになるというわけだ。


この結論には賛成であるが、物事の本質が整理できていない状態で、決断しないことの影響を正しく見積もれるのだろうか?という疑問がある。

自分が置かれている状況を客観的に把握することで、初めて自分の価値観と照らし合わせた「決断しないことによる影響」を見積もれるのだと私は思う。


参平の息子だけではなく、多くの人が悩んでしまう問題は対人関係だ。そこで、『料理の四面体』に習い、私も「対人関係の四面体」を半ば強引に提案することで、彼らの悩みを整理してみようと思う。以下に図式する。

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(対人関係の四面体:著者作成)

正四面体の頂点には「自分」「家族」「友人」「社会関係(職場や交友範囲で関わりのある人)」を置いた。料理の四面体と同じく、「自分」に近くなればなるほど、他要素の介在度合いは少なくなる。


参平は働くこと、つまり社会関係に重点を置くあまり、家族である息子の成長機会を失ってしまった。彼の息子もまた、妻には復職して欲しくないという自分の希望を優先することで、家族である妻の希望をないがしろにしてしまっている。対人関係の四面体を基に、彼らの状況を下図に示した。

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(参平と息子のポジション:著者作成)

私は、彼らの決断が必ずしも間違っているとは思わない。何よりも働くことが優先なのであれば、無理に家族に寄り添う必要はない。

ただ参平も彼の息子も、家族の繋がりを重んじる場面がいくつも見られた。そうなると、彼らが大事にしている価値観とはギャップがある行動をしていることになる。この状態では、大切な扉が閉じることを見逃しかねない。

このように、現状を知ることが正しい選択の第一歩となる。


まとめ

選択肢が多いと、人は悩み決断出来なくなってしまう。ある意味では選択肢が無いほうが、シンプルに生きられて幸せなのかもしれない。それでも決断しなければならない時は多い。

そんな時に助けになるのが、一般原理を理解することである。料理であっても、対人関係であっても、その本質と時々の状況を理解することで、選択肢を広げたり、適切なものを選んだりすることが出来るようになる。


正四面体の体積や表面積は数学Ⅰで習う。正四面体構造なんて、いつ使うんだと思うこともあるかもしれないが、意外と世の中の本質は正四面体で説明出来るかもしれない。

歳を重ねても勉強は大事ですね。めんどくさいけど。

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(六十にして耳順ふ:『さんさん録』2巻より引用 こうの史代著)

それでは。


(今までの記事はこちら:大衆象を評す

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