「黒岩メダカに私の可愛いが通じない」に学ぶ、着飾る秘密の選び方。
生に別れを告げるときは、名残惜しそうにではなく、祝福しながら別れを告げるべきだ。オデュッセウスがナウシカと別れたときのように。
『善悪の彼岸』より引用 フリードリヒ・ニーチェ著
イタケーの王・オデュッセウスに惹かれていたナウシカアは、妻であるペーネロペーのもとへとオデュッセウスが去る時であっても、彼の未来を祝福し、毅然とした態度で見送った。ニーチェは二人の姿こそ別れの理想像とドヤり、前述の言葉を著書に残した。
人は死に際に限らず、多くの別れを経験することになる。大切な時間を過ごした伴侶とも、青春を共にした学友とも、好きなマンガのキャラクターとも、いつかは別れなければならない。
『トーキョーバベル』という漫画が好きだった。もう終わってしまったけれど。
その巨大な塔“バベル”は、ある日突然、東京の街に出現した―。「目立たないのが一番」が信条の高校生・大牙。消息を絶った自衛隊員の姉を追って”バベル”を登ることを夢見ながらも、その毎日は退屈で、平凡で。ーしかし、とある日を境に、大牙に「戦いの時」が訪れる!
『トーキョーバベル』Amazon作品紹介より引用
週刊少年マガジンで連載された『トーキョーバベル』は、当時乱立気味だったサバイバルアクション漫画ということもあり、多くの読者には食傷気味だったのか、決して華々しい注目を集めている様子ではなかった。
しかし私は、過度にグロくなりがちなこのジャンルであっても行き過ぎない丁寧な描写や、文字に書いたものを実体化して戦うというコンセプトが好きで、毎週楽しみに読んでいた。
今思えば、書き手の認識レベルに依存して実体化されるモノの出来が決まるといった概念は、最近イチオシのPodcast・『ゆる言語学ラジオ』で知った「音素と意味は体系をなす」をいち早く体感出来ていたのだなと、個人的にグッときた。
(ソシュール講座の最終回:『名称目録的世界観を否定した男・赤ちゃんに戻りたくなる僕ら【ソシュール知ったかぶり講座3】 #18』より引用 ゆる言語学ラジオ作)
そしてなにより『トーキョーバベル』を更に魅力的にしていたのが、ヒロインである朱宮ひばりの存在であった。
(本作の癒やし:『トーキョーバベル』2巻より引用 原作 花林ソラ 作画 久世蘭)
朱宮ひばり、通称 ひばりさんに課せられた役割は多い。
主人公の拠り所であった幼馴染が第1話で死ぬため、代わりに主人公を支えるメインヒロインの役、バベルの謎を紐解く参謀の役、シリアスな場面でドジるコミカルな役、自分を女性と認識していないので油断してパンツを見せてしまう系のお色気役と、過労死レベルでやることが多い。
(パンツを見せながらキレなければいけないほど忙しい、無駄が嫌いなひばりさん:『トーキョーバベル』1巻より引用 原作 花林ソラ 作画 久世蘭)
異次元のマルチタスクを極限状況下で強いられているひばりさんであったが、彼女は決してキャラ崩壊することはなく、強くて弱く、仲間思いでちょっとドジという、色んな魅力を毎週感じさせてくれる稀有なキャラクターであり続けた。
しかし現実は非常である。『トーキョーバベル』の掲載順位は少しずつ下がっていき、単行本全3巻で完結することとなった。
イチ読者に過ぎなかった私に出来たことといえば、アンケートを入れてひばりさんの延命を祈ることだけであったが、その祈りが届くことはなかった。
代わりに編集部からQUOカード5000円分が届いたが。
(そうじゃないよ!ひばりさんっ!:著者撮影)
まさか永遠を願った相手から手切れ金としてQUOカードをもらうことになるとは思わなかった。ひばりさんがいない世界でも逞しく生きてくれという、彼女なりのメッセージだったのだろうか。
(さようなら全てのひばりさん:『トーキョーバベル』3巻より引用 原作 花林ソラ 作画 久世蘭)
こうしてオデュッセウスとナウシカアの別れとはほど遠い結末を迎えた私は悲しみに暮れたが、想像を絶する速さで作画を担当されていた久世先生は少年マガジンに戻ってきた。
『黒岩メダカに私の可愛いが通じない』の連載が開始したのだ。
約束された勝利の物語<ストーリー>
『黒岩メダカに私の可愛いが通じない』は、『トーキョーバベル』の作画を担当された久世蘭先生の連載作品だ。久世先生は『いちご100%』でおなじみの河下水希先生の元アシスタントだったらしく、初ラブコメにも期待が高まるところである。
オチないアイツに、最強モテ女が大奮闘!「アイツのことなんて、ぜんっぜん好きじゃないないのに!!」容姿端麗! スタイル抜群! 川井モナは、息をするようにモテる女!!しかし、そんな彼女に見向きもしない転校生・黒岩メダカの登場で、モナの学校生活は一変する!
『黒岩メダカに私の可愛いが通じない』Amazon作品紹介より引用
自他共に認める最強モテ女であるモナが、ただ1人彼女になびかない転校生の黒岩メダカを振り向かせようと悪戦苦闘する内に…というのが本作のあらすじである。
主人公でありヒロインであるモナは、ひばりさんとは全く方向性は違うが、素直に可愛いと思えるキャラクターだ。外見だけではなく性格も可愛らしいく、幸せになってほしいと願わずにはいられない。
(ガンバレ!モナちゃん!:『黒岩メダカに私の可愛いが通じない』1巻より引用 久世蘭著)
しかし本作を読み進めていくと、彼女の幸せが約束されたものだと安心することできる。物語の序盤でメダカが女性慣れしていないだけで実はモナに好意的であること、モナがメダカにとぅんくしていることが判明するのだ。
(とぅんく:『黒岩メダカに私の可愛いが通じない』1巻より引用 久世蘭著)
互いを意識しているけれどもすれ違い続けるラブコメのことを、アンジャッシュ型ラブコメと私は呼んでいる。全然浸透していないけれど。
アンジャッシュ型ラブコメは、恋のもどかしさを楽しむことが醍醐味であり、「どのヒロインと結ばれるの!?」とか「このライバルキャラ、ウザっ!」という、ラブコメにありがちなストレスから開放されていることが特徴である。
ストレスからは逃げられない現代において、負荷がかからない良質なコンテンツは時代に合っていると私は思う。
本家アンジャッシュは幸せとは程遠いコンビとなってしまったが、『黒岩メダカに私の可愛いが通じない』はハッピーエンドが約束された、勝利のノンストレス ラブコメディなのだ。
(世界で一番アンジャッシュから遠い二人:『黒岩メダカに私の可愛いが通じない』1巻より引用 久世蘭著)
秘密を着飾るメリットとデメリット
幸せが約束された二人ではあるが、一抹の不安要素がないこともない。
「A secret makes a woman woman.(女は秘密を着飾って美しくなる)」は『名探偵コナン』に登場するベルモットの言葉であるが、誰にも言えない秘密を抱えているのはベルモットに限らない。皆から可愛いとチヤホヤされたいモナには、外面と内面を強烈に使い分けているという誰にも言えない秘密がある。
ピュアなふりをして猫をかぶったり、おっとりとした性格を演出したりと、とにかくウケを意識した外面を使いこなすモナは、あざとくて何が悪いの?を地で行く人間だ。そのためメダカを除くクラスメイトは、男女問わずモナに好意的である。
しかし内面の彼女は、大阪弁でメダカをオトす戦略を考えたり、うまく行かない現状にセルフツッコミを入れたりと忙しい。ひょっとしたら、彼女もひばりさん並のマルチタスカーなのかもしれない。社会人になって輝くタイプ。
(将来有望なモナちゃん:『黒岩メダカに私の可愛いが通じない』1巻より引用 久世蘭著)
ヒトの行動原理が「自分自身を正直で立派な人物だと思いたい」と「ごまかしから利益を得て出来るだけ得をしたい」という相反する動機づけによって駆り立てられていると主張したのは、先の記事でも引用した『ずる 嘘とごまかしの行動経済学』の著者、ダン・アリエリーだ。
本当の自分を秘密にして少し立派に見られたい。そんな想いから多少嘘をついたり見栄を張ったりした経験は、誰にでもあるのではないだろうか。もちろん私にも黒歴史にしたい地獄のような思い出がある。
大学時代の話。はじめて年下の彼女が出来た私は余裕のある大人の男性感を演出したくて、発言も行動もかなりイキっていた。
お金もないのにいつも奢ったり、プレゼントに(今思えば)くっそダサいハンドバッグを送ったり。挙句の果てには、サイズも知らないのに「だいたいこんなもんだろ!」の精神で買った指輪をあげて満足していた。キモすぎる。
(なんでもプレゼントすればいいだろうと思っていた地獄パーソンの私)
それでも暫くはお付き合いが続いていたのだが、いつまでもうまくいく筈もなく、最終的に別れ話になった時に、いきなり彼女からビンタされたあげく、「そこに座れ」と正座させられたまま2時間ほど説教をされた。
とてもおとなしかった彼女の変貌ぶりに、私はすっかり面食らってしまった。藤田五郎と思って付き合っていた彼女は実は斎藤一で、腑抜けた抜刀斎であった私は2時間たっぷり「詰めが甘い!」と否定され続けた。
(地獄の2時間:『るろうに剣心』7巻より引用 和月伸宏著)
これは私の見栄の張り方がエグいほど間違っていたから起きた人災であり、もしモナの秘密がバレたとてメダカと幕末の戦いを繰り広げることにはならないだろう。しかしそれでも不安は残る。
嘘や虚栄心によって作られた秘密がバレて大きな失敗をすることは、割と一般的だからだ。
”台湾人”のフランス人
先日『奇書の世界史』という本を読んだ。どの話も興味深かったのだが、その中でも『台湾誌』の著者であるジョルジュ・サルマナザールの話は、秘密がバレたことをキッカケに一人の人間が更なる嘘の泥沼に埋もれていく様子が生々しく、とても印象に残った。
(『ジョルジュ・サルマナザール』Wikipediaより画像引用)
1680年、南フランスに生まれたサルマナザール(サルマナザールは偽名であり、本名不明)は、地域の家庭教師として生きていく普通の人生に嫌気が差し、偽修道士としてヨーロッパを放浪していた。
しかし偽修道士としての活動に限界を感じたサルマナザールは、自身を当時未開の地であった台湾人であると名乗り、レアキャラとしてイギリス国教会に入信した。
サルマナザールは、自ら作成した台湾語で教会の教えを台湾語訳し好評を得た。その反響に味を占めた彼は、新たに『台湾誌』という本を作成し更なる注目を得ることに成功した。要はバズったのだ。
『台湾誌』は当時入手可能な中国と日本の限られた文献を基に、サルマナザールの空想によって創られた台湾に関するデタラメな情報本である。以下にその内容を抜粋し記載する。
・台湾人の祖先は日本人である。
・台湾人は蛇を食す。
・台湾では毎年2万人におよぶ、少年の心臓が神に捧げられている。
・台湾の庶民は上着一枚をはだけたまま着る。陰部は金属製の覆いでのみ隠す。
『奇書の世界史』より引用 三崎律日著
いかがだろうか。もし『台湾誌』に書かれていることが真実ならば、蛇を主食とする複数人のアキラ100%が『進撃の巨人』並に心臓を捧げていることになる。
(心臓を捧げよ!:アキラ100%のプロフィール画像 引用先)
特殊性癖なアキラ100%だらけの国があるなんて主張されたら、誰だって興味津々となる。当時のイギリス人が『台湾誌』に夢中になっても致し方ない。
こうして多くの人を夢中にさせたサルマナザールであったが、アイザック・ニュートンやエドモンド・ハレーという超大物数学者達より、科学的見地からの台湾誌における矛盾点(日照時間や星図の不整合)を指摘され、最後には嘘を自白した。
どれだけ巧妙に嘘を塗り固めても科学はその嘘を暴くことが出来るというのが、この話のエモいところなのだが、それと同時に嘘を見抜かれたサルマナザールの惨めな晩年を思うと胸が痛くなった。
モナはメダカを振り向かすために様々なアプローチを試みているが、今のところ彼女の思惑通りに進んだことは一度としてない。彼女の嘘は仏道を志すメダカの心頭滅却の精神を崩すには至らない。
(分厚いATフィールド:『黒岩メダカに私の可愛いが通じない』1巻より引用 久世蘭著)
このままだと彼女の秘密がどんどんエスカレートしてしまいそうだが、作られた彼女の魅力ではきっとメダカを振り向かせることはないだろう。それどころか、エスカレートしてしまった秘密はバレやすく、下手したらサルマナザールと同じ道を辿ってしまうかもしれない。
ではどうすればよいのだろうか?
答えは、やはりサルマナザールにあると私は考えている。
アイドルにはPが必要
イギリス人にバズった『台湾誌』は、実はサルマナザール一人で創り上げたものではない。サルマナザールの嘘をプロデュースした人物がいたのだ。
「この世で最も聖職者に相応しくない者」と酷評されたウィリアム・イネス従軍牧師は、同族故に鼻が効くのか、サルマナザールの嘘にいち早く気づき、彼の嘘から生まれる利権に目をつけ協力した。悪×悪である。
『台湾誌』の作成の基となった中国や日本の文献を入手したのも、実はイネス牧師の仕事と言われている。最も文献調査よりも先に添削すべき点があったのではないかと声を大にして言いたいが。
(敏腕プロデューサーの成果物(台湾人の服装(創作)):『台湾誌』Wikipediaより画像引用)
たった一人で成果物の完成度を向上させることはとても難しい。作者は自らの成果物に思い入れがあるため、どうしても良く見えてしまいがちになる。そのため客観的な意見というのは、成果物のブレイクスルーには必須不可欠である。
稀代の詐欺師・サルマナザールであっても、イネス牧師というプロデューサーがいなければ、多くの人を騙し魅了することは出来なかっただろう。そしてそれは、モナも同様である。
最強モテ女である彼女は、なぜメダカが自分に夢中にならないのかが分かっていない。そのため、スキンシップが多くなったり性的な方向にアプローチが行きがちになったりと迷走の一途を辿っている。
しかし読者が感じる彼女の本当の魅力は、大阪弁丸出しで話す感情豊かな内面であり、これを魅せていかない限りメダカの心を動かすことはないだろう。
(猫かぶっていないほうが可愛い現象:『黒岩メダカに私の可愛いが通じない』1巻より引用 久世蘭著)
「本来の自分が一番の魅力だ!」なんてことに当人が気づく術はなかなか無い。モナの外面は多くの人を魅了した信頼と実績があるので、今更この秘密を脱ぎ去ることはとても難しい。
しかしモナがメダカを振り向かせたいならば、今までの実績に縛られない、新しく着飾る秘密を選んでくれる、もしくは秘密を脱ぎ去ることを選んでくれるプロデューサーが必要だ。
幸いモナには、彼女の本当の魅力に気づいている有能なプロデューサー候補がいる。ハッピーエンドへの最短ルートを行くならば、彼女の協力を得るより他ない。
着飾る秘密は決して1人で選んではいけないのだ。
(春野つぼみP:『黒岩メダカに私の可愛いが通じない』1巻より引用 久世蘭著)
まとめ
厄介なことに、客観的視点というのは色々な場面で必要になる反面、なかなか身につけることが難しい。蓋をしていた目を背けたい事実と向き合わなければならなかったり、今まで成功していた方法から脱却しなければならなかったりするので、客観的視点というやつは時に恐ろしいものだ。
本文中のプロデューサーという言葉は、実は色々な言葉に置き換えることが出来る。それは親であったり、上司であったり、友人であったりと、自分と違う視点を持つ他人は至るところにいる。
もちろん全ての意見を鵜呑みにする必要はないが、行き詰まった時は耳を傾けても良いと思う。たとえ答えに辿り着かなくても、なにかのヒントになったり、見当違いの意見に笑えたりと、ちょっとした息抜きになると思う。
……などと偉そうなことを書いたが、一番プロデューサーを欲しているのは私である。記事を書き終えるたびに「面白くないなぁ」と自信を失くす私には、褒めて伸ばすタイプのプロデューサーが必要だ。
具体的にはひばりPが望ましい。
(褒めて伸ばすタイプではない:『トーキョーバベル』3巻より引用 原作 花林ソラ 作画 久世蘭)
それでは。
(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』)
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