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家族と精神障害④兄弟に精神障害があるってどんな感じか〜きょうだい児のつらさ〜

こんにちは。
前回は本人と両親の関係について触れたので、今回は本人と私(妹)の関係について見ていこうと思います。

子供時代は喧嘩することも多くて、そんなに仲は良くなかったと思います。
一人で過ごすのが好きな姉に対して、一緒に遊べと私が要求して喧嘩になることが多かったです。
趣味は姉からの影響が大きく、二人とも漫画が好きで貸し借りもよくしていました。
姉が不登校になってからも、子供目線では「(周りがそう言うから)学校に行くべきだ」とは思ってましたが、家族としてはそこまで気にしてなかったかな。
ただ、姉がいつも家にいることで休むことへの心理的ハードルが下がっていた気もします。
元々学校が好きでなかったのもあり、比較的良く休んでいました。(1年に10日くらい)

喧嘩になると母が姉のことをよく庇うので、それを不満に思っていた記憶もあります。
母が姉のことをよく気にかけるのは今思うと当たり前なのですが、当時は納得できず自分が放って置かれているようなストレスを抱えていました。
今思うとそういう自分の話を誰かに聞いてもらいたかったんだろうな。。

学校を休みがちになったときに母にこう言われました。
「二人は無理」
心の叫びだったんだろうなと思います。
母も一人で色々やっていて本当に大変だったと思います。
でも、当時の私はこの言葉にショックを受けました。
私だって辛いのを誰かにわかってほしいと。

現在は精神障害やそれを支える家族に対する支援が足りていないとよく思います。
でも、この頃はもっとグレーで不登校やそれを支える家族に対する支援も足りていませんでした。

私は小学校も中学校も年に10日くらい休みながら、卒業しました。
そして、高校もやはりたまには休みながら通っていました。

しかし、一番のストレスのピークは受験期でした。
姉が発症して実家に帰ってきて、夜中に叫んだり、情緒不安定な様子に母はかかりきり。
父がブラック企業で働くことに限界が来て、仕事を辞めた矢先、母が何故か父が辞めたら私も辞めたいと言って仕事を辞める。

うちの家はどうなるんだろうと不安に押しつぶされそうでした。

私はみるみる朝起きられなくなり、学校に遅刻が増えました。
教室に入った時、「5分遅れるなら5分前に来れるだろ」とどこからともなく言われました。
「その通りだな」と思いました。
受験期でみんなストレスがあるのに、私のことで以前から不快に思っていた人も多いだろうと思うと申し訳なくなりました。
そして、そこから学校になかなか行けなくなってしまったのです。
休むと担任から電話がかかってくるのがストレスで、いつも家の電話線を抜いていました。
休みを繰り返していると、担任から「もう補講しないと間に合わないから無理して来なくていい」と言われました。
その言葉に傷ついたか、安心したのかもう思い出せません。

この頃になると近くの小児科で「自律神経失調症」と診断を受けて薬も色々もらったりしました。説明を聞いていると、「なんかもう半分、心の病気みたいだな」と思った記憶があります。


私は1ヶ月くらいまるまる休んで、みんなが卒業した後に教科書をノートに写すだけみたいな宿題を出したりして何でか単位を認めてもらい留年せずにギリギリで卒業させてもらいました。

ただ、もうどうでもいいやとなっていた間に全ての願書の提出期間は終わっていました。
親からは「ちゃんとやっておきなよ」と一言言われただけで、なんで学校に行きたく無いのかや進路はどうするのか一度も聞かれた記憶がないです。
これが本当に辛かったです。

どこでもいいからいこうと思って、一つだけまだ願書を受けていたどうでもいい大学に入ろうとすると親はそれでも構わない感じでしたが、担任だけが「もったいないから浪人しろ」と本気で止めてくれました。

今アラサーになってみてここは本当に人生の岐路だったし、担任の先生に感謝しなきゃなと思います。

予備校はお金がかかるという親への遠慮と学校の集団生活が嫌すぎて、一年宅浪しました。
それで行きたい大学に入れました。担任の先生もすごい喜んでくれました。
親にもっと進路の相談に乗ってほしいと強く訴えたところ、大学選びは担任と相談しましたが、受験のスケジュール組みや費用などはちゃんと面倒見てくれました。
姉がやはり調子がよくなく、一人でしばらく遠方の親戚の家に泊まって受験したりしました。
なんか本当に一年かけて出来なかったことをちゃんとやり直した感じがしました。

大学を機に一人暮らしをして、地元に戻らず就職しました。
母は姉の精神障害のことで、私にあまり心配をかけないように気をつけているようでした。
そこからたまに実家に帰るくらいで家族のことで悩む時間は減っていったように思います。
どこかで大丈夫だろうかという気持ちがあるものの、自分の生活に精一杯でした。
そして、最近仕事が落ち着いてきて、改めて支えている両親の支えになりたいなと関わり始めたところです。

次は私が姉のことで周りに言われたことについて書こうと思います。




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