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地域を/で「編集」するとはどういうことか。「場」「資源」「組織」「能力」など編集領域についてホウレンソウする夜

「職業」よりも「職能」の時代なんじゃないか。

つねづねそんなことを感じながらひっそり暮らしてます。そういえば、関連することを過去にも書いてたっけな。

そう、ライターという職業でなくも、ライターの職能(書くこと、取材すること)は日々のあれこれに活かせるよね、みたいな話。

自分の場合、バーテンダーで学んだ職能をもとに、地域での場づくりなり企画なりをどうにかやれてる気がしています。

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さて、話は変わり、ひさびさに京丹後(京都)に行きます。つどいます。「編集」をテーマにしたちょっとした企画をやらさせてもらうんですよ。

きっかけは、一人じゃできないと思ってはじめたポッドキャスト。ゲストにきてくれた上泰寿さんが「京丹後に行けそう」と一声かけてくれ、「だったらぼくも行きます。ラジオの続きをやりましょう」という流れに。

[参照]
#6「ケア視点での編集、“地味”を武器に支える/発掘するスローな編集者」
#6.5「内省×お金×時間=関係性(距離感)、地べた這いつくばる系編集者 」

偶然にも三人の共通項としてあったのは、地域(それぞれ、京都、鳥取、鹿児島)で「編集」を意識しながら活動してること。あと、自身のポンコツ具合に泣き、たがいを「ポンコツだけどどうにかやってる人」と認め合ってること。

なので、こんなタイトルになったわけです。小さい頃よく読んでた「ズッコケ三人組」を意識しながら、Peatixページを作成しました。

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冒頭の「職能」の話にまた戻りますね。

職業として編集者ではなく、職能としての編集についての気づきや学びって、わりとどんな人にも役立つと思うんですよ。特に、地域で活動してるって「すでにあるものをどう活かせるか」という大喜利の連続なはずなので。

まあ「編集」の定義にもよるのですが、九龍ジョーさんの言葉を引用してみます。

編集者は誰かの才能を引き出してそれを世に出す(仕事)

壮絶な転職劇⁉︎ピース又吉著「人間」を手掛けた型破り編集者が語る処世術

雑誌とか本とかメディアに関わってる人=編集者と思いがちなんですが、その本質は、埋もれてしまっているを掘り起こすことだと九龍さんは話します。

本当は「ある」のに「ない」ものになっているものを見える化させる役割って、影だったところに光を当てること。照明をズラしてあげることでみんなの視点も変えること。それがもしかしたら世の中(の仕組み)を変わるきっかけになるかもしれない。

その編集の領域を「ひと」だけでなく「もの」「こと」「ばしょ」にも広げてみると、地域で活動する人なら何か思い浮かぶものがあるんじゃないでしょうか。

「能力を活かせてねぇ」「もったいない!」「これうまく機能してる?」となってるものは多いでしょうし、それらを稼働させるためにみなさん奔走してるわけですよね。去年東京開催した「遊休」イベントでもそういった話がバンバン出てきました。

よく地域事業の例に出てくる「葉っぱビジネス」は、地域資源や高齢者(の労働力)があたる照明を変え、組み合わすことでできた企画なんじゃないかと思います。

過去取材させてもらった、障がいのある人の「仕事力」を可視化し、発信するためのチョコレートをつくる「久遠チョコレート」さんの取り組みも、それぞれの性質をどう捉え直し、仕事をどうマッチングさせるかも編集思考のなせる業と言えそう。

その流れで人の性質や能力との共存について触れると、「ポンコツ」と揶揄されてしまう人たちがどのように自分を生かし、活躍できる環境をつくっていくかも広義の「編集」なんじゃないでしょうか。そこらへんは、当事者意識あるんでむっちゃ切実です(泣)。

そんなポンコツ性を抱える自分の場合、地域の仕事としては、記事を書いたり、探究学習などの学びのプログラムつくったり、地域おこし協力隊の事業づくりのサポートをしたり、企画(地域や世代のつどい)をつくったり、拠点運営(場づくり/リノベーション)に関わっていたりします。

そういった仕事は、自分のポンコツ性を打ち消し、働き方を整え、どうにややっていける環境づくりから生まれたものであり、「自分の編集」の意識の果てにたどり着いたものだとも思うんです。

…..とだらだら書いちゃいましたが、当日はそういう関連の話もできたらなぁと。思ってたんと違う展開になるかもですが……!

一言で無理やりまとめると、「ド真ん中の『編集』の仕事に関わってなくても、その編集領域(対象)を広げてみて、地域のあーだこーだ一緒に考えられたらいいよね〜」な夜です。

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noteをやってて、この記事を読んでくれてる人で、さらに京丹後で出会える稀有な方なんて、偶然がどれだけ重なったらそうなるんだろうと正直思ってますが、ただ、その稀有を信じて、ここに書き留めときます。もう明日じゃないすか。書くの遅いのよ。

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