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「動かない」「続かない」ーーー”遊休”なのは「わたし」ではないか?

とにかくもう、始まる前から反省をしてるわけです。

11/4の乾杯ではじまるトークイベント、びっくりするほど申込がないんすよ! これではほぼマンツーのような感じになっちゃう...!笑

4~5年振り、コロナ禍?、都内でのリアルな場の企画ってことでもろもろアップロードが足りてなかったみたいです。 

うーむ、ゲストの3人はよく、しかもこのメンバーで東京で集まるなんて今後もうないんじゃないかっていうレア回なのに、興味を示してもらえてない。

日時の設定ミスか、分析みるとそもそもあまりリーチしてなく、PeatixやFacebookの媒体選びをトチッたか、いろいろ探ってはいるが、もう時すでに遅し。

あ、そうそう内容的なものを振り返ってみたとき、「遊休」をテーマに「空き家」とか「情報発信」を入れてしまったけど、これって突き詰めると「動かなくなったものを動かすための知恵」のシェアみたいなもんじゃないかと思うわけで。あるいは「はじめたけど続かなったもの」の再起動させるにはどうするか、地蔵可能なものするには、みたいな。コミュニティ的なものもそうっすよね。距離感の調整がうまくできてるかどうかが大きいかもすけど。

イベントに向けて準備するなかで、ここ1ヶ月はずっと「遊休とは」と考え続けてるけど、本当の遊休は「わたし」なんじゃないか? という疑問が湧いている。あれこれ考えるくせに考えるばかりで動かない自分、という「憎たらしいわたし」を誰しも少しは持っているはずで。

まあ実際にはそういう話になるかはわからないけど、ゲストのみなさん、みんな足元にある"近所から"変えて、ムーブをつくってきた人たち。だからこそ、今の現実を変える何かしらの視点を拾える会になるのは濃厚で。

言い換えてみると、そもそもの「おもしろがる」のおもしがる視点がちょっと掴める会なのかもしれない。大都会東京で生活してるとちょっと見えにくい世界を共有できるだろうから。

あと、大山の人や場所の話もところどころに散りばめてくと思うんすけど、もしかしたら、この縁から大山に立ち寄ったり、ちょっとしたプロジェクト関与してくれる人もいるかもしれないと考えると、入口を「おいしいの食べながら話を聞く」なんだけど、どうなっていくかわからないおもしろさはあるわけで。 

そう意味では、大山にいる・知ってる人は「遊休」と見たとき耳にしたときに何を思い浮かべるのか、と聞きたいし、そこらへんを明日持ってくネタにもしたいかも。  

てか、そもそもの話! 鳥取にみんな興味あるのだろうか! てか、どこかわかってないんだろうなぁ。地域関連の人でも鳥取と島根の区別つかないパターンむっちゃあるし!笑 ただでさえ人口の少ない「鳥取」というワードを入れちゃったことによる弊害はややあるのか...。ただ、砂丘とかゲゲゲ以外の鳥取については、通な人たちじゃないと中々知りえない暮らしの奥深さがあるとは思うんだけどな~。

まあ何はともあれ、明日は明日でとにかく開催するわけです。ぶっちゃけると、人数が大事な会とは正直思ってなく、来てもらえるに楽しんでもらえればそれでいいんすよ(むしろ人数多すぎる会は、ぼく自身が苦手...という恥ずかしさもありつつ)。

ただ「ポテンシャル的に楽しんでもらえるかもしれない人に情報がとどいていない」としたら一つそれは問題で、金曜夜を過ごす選択肢の一つとして知ってもらいたい気持ちは正直あるわけです(Peatixのアナリティクスみるとリーチ数がそもそもアレで)

そんなわけで、もしここまで読んでくれて気にしてるかた、もし周りにこういう話が響きそうな人がいたら、シェアしてもらえないですか? すげーいい会になる気配がしてはいるので。最悪、「うまいつまみに一杯ひっかける場所」としての理解でもよいんで。

そして、ぼくとしては自分の知ってる人に来てもらうのはだいぶ気が引ける(恥ずかしい)のはあるんすけど、普段自分が何をやってるのか(何で稼いでるのか)を伝える場でもあるっちゃあるので、辱めるつもりでお越しもらえたらと。

もしかしたら、「授業参観」みたいなもので、それが親じゃなく友人・知人パターンなのかなぁとも思ってます。そう、授業参観しにきてください。ここからどんだけ人が集まり、どんな進行するのかはわりと見ものだとは思うので。笑

いやあ、明日かあ。どうなるなかなあ。

そんな、ぼやきとお誘いのようなお願いでした。


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