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百姓2.0

ぼくは百姓になりたかったのだ。

つい先日、”畑楽”という概念について書いたみたのだけど、そもそもそれは百姓の考え方だった。”百の姓を持つ”と表すように、さまざまな仕事を掛け合わせながら、はたらいていたのが百姓たちだった。

大工や医者、僧侶、神主、商人、漁師など、複数の生業を抱えている人のことを指していた。https://note.mu/omija/n/n23e30db590ac

ぼくら日本人が一つの仕事に絞って(さらにはより専門性の高い分業性になり)はたらくようになったのは、歴史的にみればつい最近のことで、「サラリーマン」という言葉も生まれたのは大正時代だったそうだ。

農家、大工、行商人、神主など、一人が何役もこなさせること、場所を変えるたびに違った表情を持っていること、仕事といういくつものコミュニケーションツールをぼくはゆたかさの一つじゃないだろうか。

また、その器用さ、、いや、「できること(つくれるもの)は自分でやる(やらざるえない)」という考え方は、人間の生きる力にも通ずるもんだよなーとすら思うのだ。

「農家=百姓」と勝手に勘違いしていた自分が百姓の概念を知ってからハッとしたのは、「ぼくは百姓になりたかったのだ」ということ。一つの肩書にとらわれることなく、あっちへこっちへと仕事を行き来できるような働き方がしたかったわけだ。

ただ今は時代が違う。めまぐるしく変化してきたし、変化し続けているなかで、昔のような百姓のかたちを追っていても時代錯誤かもしれない。昔と今の大きな違いは何だっただろう。

交通手段が増えたこと、そのコストが下がったことがまず一つ。土地から土地からへの移動が気軽にできるようになった。そのおかげで運輸手段も広がった。

もう一つが、テクノロジーの発達だ。もっといえば、インターネットの普及により、通信手段が素早くなり、世界の裏側の人とでさえもコンタクトできるようになった。しかも、だれでもだ。スマホさえあれば、というレベルにまでなった。

この二つのおかげで、自分が今いる場所だけに囚われない商いができるようになった。遠くにいるお客さんに商品を届けることもできれば、そのやり取りもオンラインでできるようになった。必要とあれば、今朝北海道いたけど、夜には沖縄にいる(海外にいる)ことが可能になったように、低コストでパッと移動もできる。

そういった二つの変化を加味したうえで、”現代版の百姓”のかたちを模索していきたいと思う。いうなれば、大正以前が百姓1.0であったとしたなら、百姓2.0のかたちを追っていく。

仕事の組み合わせ方も人それぞれだろうけど、ぼくの場合は、カクテルづくりと場づくりとメディアづくりと軸とした百姓のかたちになるだろう。

出張バー/カクテルケータリングについては、移動がしやすくなったからこそできること。また、な〇ではじめる宿についても、辺鄙なところにあっても、SNS等の発信ツールが増えたからこそやれる可能性を感じている。

いやほんといい時代に生まれたよなぁとそれだけは感謝です。そうそう、「タレント」っていう職種も、いってしまえば百姓みたいなもんでしたね。

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